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ネオコン共和主義のロスジェネと、天皇社民主義の団塊オヤジ

2009年07月30日 16時37分16秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
Kiyoshiro Imawano - Kimigayo ~ 忌野清志郎 - 君が代


 前回エントリーでも少し触れたが、数日前から右肩を痛めて職場を休んでいる。だから本当はパソコンなどしてはいけないのだが、こんな機会でも利用しないとブログ更新がなかなか捗らない。それで、以前から書こうと思っていた事について、少し書いてみる事にする。尚、前述の理由により、文字入力を主に左手だけで行っている関係上、入力字数を少しでも減らしたいので、今回に限り文体は全て「である」調で行く。

 前々回エントリー「空想版・自民党大逆転プロジェクト」で取り上げた、自民党が総選挙での劣勢を挽回する為に、皇居を派遣村にする架空物語の内容だが、確かに普通に考えれば、まず在り得ない話だろうとは思う。しかし、全く根拠の無い話でも無いのだ。というのも、この話は、私が普段懇意にしているロスジェネ(就職氷河期)世代の鍼灸医さんと交わした実際の雑談が、元ネタになっているからだ。
 そこでは最初に、「自民党に今の劣勢を挽回出来る可能性があるのか」という話が出た。そして、「郵政民営化の時の様に、本当は保守政党にしか過ぎない筈の自民党が、改革者や庶民の味方を装う事で、野党のお株を奪う事に成功すれば可能かも知れない」という話になった。その例として私が半ば冗談として出した「皇居を潰して派遣村に」というストーリーが、意外にもバカ受けして、予想外に話が盛り上がったというのが、事の真相だ。
 そして、その話の中で引き合いに出した、「天皇なんてどうでも良い」というホリエモン発言にしても、これに類する発言を、同じロスジェネ世代に属すると思われる身近な人から、実際に何度か耳にする事もあった。それも、それまで旧世代がイメージするような左派・リベラルではなく、どちらかと言えばホリエモンや竹中平蔵の様な新自由主義の考え方に近い人たちの間から、その様な声を耳にする事が多かった。そういう体験が、この話の背景にはある。だから、これは決して荒唐無稽な架空話という訳でも無いのだ。

 ついでに、その正反対の体験についても、この際だから紹介しておく。それは、その前のエントリー「共産党の現状安住主義を憂う」の内容を、職場の同僚(仮にKさんとしておく)に、かいつまんで説明して意見を求めた時の事だ。ここでKさんの人となりについても説明しておくと、所謂「団塊の世代」で、かつてはやり手の営業マンとして鳴らした人だ。年齢こそ往ってはいるものの、剣道をやっていた事もあって、今も模範ワーカーとして職場をリードしている、そういう人だ。
 そのKさんが言うには、「共産党凋落の原因は、日の丸・君が代を認めないから」だそうだ。当該エントリーで私が取り上げた事項ともかけ離れた、その余りにも突拍子も無いその説明には、流石に私も言葉を失った。何故なら、「日の丸・君が代」なんて都議選の争点ですら無かったし、仮にそういう理由で共産党を嫌っている人がいたとしても、そんな票は民主党よりも寧ろ自民党に流れた筈だ。そして、当該エントリーのテーマはあくまでも「反自民票が何故共産党にではなく民主党に流れたのか」を論じたものであって、それ以前の「日の丸・君が代」無条件礼賛の保守票の動向なぞ、少なくとも私にとっては「議論の枠外」に属するものだったからだ。
 しかし、そのKさんとて、今はやりの自民党の提灯持ちや、それよりも右の極右のネットウヨクなんかではない。営業マン時代の台湾出向経験から、日本が植民地時代に台湾の人たちにした同化政策の酷さについても見聞して、「当時の日本は植民地の人から言葉も文化も奪った、ナチス・ドイツよりも酷い事をしたのだから、アジアの人からボロカス言われても一定仕方が無い」という事も口にする、そういう人なのだ。かと言って、今の中国・北朝鮮・韓国の言い分も鵜呑みにはせず、批判すべきは批判する、そういうバランス感覚も持ち合わせている。今の自民党政治にも批判的で、小泉改革や非核三原則見直しにも、どちらかというと批判的だ。政党で言うならば、恐らく国民新党の立場が、この人の考え方に一番近いのではないかと思われる。

 片や、ネオコン(対米追従・覇権主義)やネオリベ(新自由主義・市場原理主義)に親和的な「アンチ天皇制」共和主義のロスジェネ世代と、もう片やネオコン・ネオリベには批判的だが「古き良き日本」へのノスタルジーしか持ち合わせていない(何でも日の丸・君が代や道徳などの精神論に結びつける)「天皇」社民主義者の団塊世代という、私にとってはどちらも「その気持ちは一定分かるものの、どちらも一長一短で到底そのままでは組し得ない」存在が、目の前にある。これは確かに自分の周囲の限られた事例だが、結構こういう事例って、現実に存在しているのではないだろうか。
 今や、旧来の帝国主義国・金持ち国たるG8だけでは世界の問題には何ら対処し得ず、G20に早や突入しようかという多極化の時代で、米国大統領ですら核廃絶を口にするようになった、そういう「民衆こそが主人公の、戦争廃絶に向かう時代」であるのにも関わらず、未だ「天皇・日の丸・君が代」なんて帝政・軍国主義時代の遺物に、後生大事にしがみ付いている。かと思えば、サブ・プライムローン問題に端を発した世界不況や、地球温暖化問題で、米国式資本主義(新自由主義)に基づく成長神話がとうに崩壊したこの時代に、未だに小泉政治の復活を説く政治家が幅を利かせている。この日本の異常な政治状況は、一体いつまで続くのだろうか。
 勿論、共和主義も社民主義も、旧来のままで今の世界に通用するとは決して思わないが、それでも「天皇・日の丸・君が代」固執やネオコン・ネオリベよりは、よっぽど現代にマッチしていると思うのだが、不思議と日本では、そういう議論にはなかなか向かわない。これも保守二大政党制の為せる業か。
コメント (2)
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