アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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ポストモダンをひっぱたきたい

2007年04月15日 22時54分10秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 改憲手続(憲法改正国民投票)法案が、衆院の憲法調査特別委員会に続いて本会議でも可決され、参院に送付されました。この衆院特別委員会での強行採決の時の様子が、ウチの職場でも話題になりました。
 ただ、その「話題のなり方」というのが、私から見たら「物足りない」というか「ピント外れ」というか、やたら斜に構えてみせて「与野党どっちもどっち、政治なんてこんなモノさ」と、せいぜい冷笑してみせるだけで、全然その中に「怒り」が感じられないのです。

 まず、衆院特別委員会での強行採決の時に、職権で採決をごり押ししようとした中山太郎委員長の、前にあったマイクを野党議員が投げ捨てた事に対しても、「これは八百長芝居だ」「俺はこう言うから、その時にお前はここでマイクを放れ」「これで自民党は実を取り野党は抵抗ポーズで点数を上げられる」という意見が大勢でした。
 そして、その翌日も、休憩室で強行採決の場面をテレビニュースで見ていた面々が、地元大阪選出の衆院議員である中山太郎の悪口を言っていましたが、こちらも「このオイボレが、そろそろ後進に道を譲らんかい」というレベルでの批判に止まっていました。

 確かに、55年体制下の自民・社会両党や、今の自民・民主両党の間の、表向き対決ポーズの陰での裏取引によって、消費税・小選挙区制導入や格差社会化が進められてきました。そんな中で、映画「オール・ザ・キングスメン」の様な場面を何度も見せつけられると、そりゃあ誰しも「与野党どっちもどっち、出来レース」と愚痴の一つも言いたくなるでしょう。大正生まれで80歳超の中山太郎がオイボレなのも、その通りでしょう。しかし、今問題になっている事は、本当に怒らなければならない事は、そんな事ではないでしょう!!!

 今回の改憲手続法案にしても、国民の知らないうちに地方公聴会をアリバイ的にでっち上げて。その地方公聴会も、間に土・日曜日を挟んでの僅か数日間しか応募期間が無く、それもメールはダメで封書でしか受付けず。そして、そんな公聴会であるにも関わらず、120数人からの応募公述人のうちの108人までが今国会での法案採決に反対だったという、そんな中でのいきなりの強行採決。

 それで、その法案の中身も、最低投票率の定めは無いわ(投票率40%なら僅か20%超の賛成で通る)、何だかんだ難癖をつけて公務員や教師の意見は制限させるわ(同じ国民であるにも関わらず)、そのくせ有料意見広告は無制限に垂れ流せるわ(政府与党や財界の、金にモノを言わせての憲法ジャック)と、もうムチャクチャそのもの。

 「与野党馴れ合い」批判も「オイボレ」批判も結構ですが、それ以前に、こんな国民の目隠し・口封じそのものの、法案内容や採決に至る経緯自体に対する批判が、何故全然出てこないのか? 
 確かに、日々の仕事や生活が余りにも忙しいので、しょっちゅう政治ニュースばかりは見ていられないかも知れません。でも少しは新聞も読むでしょう。そうすれば、如何に最近は「ブル新」「番記者」の「ぶら下がり・垂れ流し記事」や「政府広報」記事が目に付くとは言え、それでも、最低投票率の定めが無いなどの問題点も、少しは記事や社説に載っているでしょう。確かに産経新聞を見た限りでは改憲手続法案翼賛記事ばかりでしたが、少なくとも朝日や毎日なら、産経・読売ほどには、政府・財界の請売り翼賛記事ばかりでは無いでしょう。それで何故、腹が立たないのか?

 何故、「オイボレ」云々などの現象面だけでなく、法案の非民主性とか、そういう本質的な部分で何故、腹が立たないのか?腹を立てないのか? そんな質問を、私と懇意な何人かの人に、それとなくしてみた事がありましたが、帰って来た答えは、とどのつまりが「諦めが入っているのでは?」というものでした。

 確かにそうかもしれません。東欧体制崩壊以後、従来型の社会主義・共産主義の権威は完全に地に落ちました。それらの言説はもはや「希望の星」では無くなりました。他方で資本主義の権威はというと、今も昔もとうに地に落ちてはいるのですが、それについては「元々こんなモノさ」という事で諦めさせられたり、「良い面もあるよ」「実際はもっと良いものだよ」とか言われて如何にもその気にさせられてしまったり―という事が往々にしてあります。

 戦後民主主義や平和主義にしても然り。北朝鮮・オーム・少年犯罪から「あるある大辞典」のデータ捏造まで、そんな事が起こるたびに、やれ「人権メタボ」だとか「治安や統制は(当初は)必要悪だ→(やがて)無くてはならないものだ」とかいう議論が出てきて、民主主義は「秩序ある、制度としての民主主義」や「多数決」にすりかわり、徐々に独裁政治に変質していく。

 そうして、社会主義・平和主義・民主主義といった、かつては光り輝いていた「希望の星」言説の衰退に代わって今度は、「正義とか真実といったモノは、この世には存在しない」「物事を決めたり行ったりする際の価値基準は、自分や自国にとっての損得勘定だけだ」といったポストモダン(前近代主義、反知性主義、相対主義)な言説が台頭し、恰もそれがトレンディ(流行)であるかの様に喧伝される。
 そういう中で、自分も知らず知らず斜に構えてしまう癖が見についてしまい、世の中を変える「希望」を「諦め」てきた悪政容認のツケが、今や、回りまわって自分にも降りかかってきている、「自分で自分の首を絞めつつある」というのに、それに全く気がついていないというか。
 前に「丸山眞男をひっぱたきたい」という論考を紹介した事がありますが、その伝で行けば正に「ポストモダンをひっぱたきたい」。

(参考情報)

・「むちゃくちゃ」 抗議の声相次ぐ 国民投票法案採決(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/politics/update/0413/TKY200704130017.html
・国民投票法案・与党強行採決でいいのか(琉球新報・社説)
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22965-storytopic-11.html

・けんぽうあんぎゃ(「憲法行脚の会」事務局長・弁護士 猿田佐世さんのコラム)→このコラムの「憲法審議ってば、今どうなってるの?国会速報」シリーズを読めば、改憲手続(国民投票)法強行採決の舞台裏が一目瞭然。
 http://kenpou.cocolog-nifty.com/angya/

・そもそも、改憲手続(国民投票)法案の何が問題なのか?→今までの拙稿記事を参照して下さい。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/8ec4072b165919822ab6be52f1f72b30
 
・当初、この記事のタイトルは、以前話題にした赤木智弘の「「丸山眞男」をひっぱたきたい」に準えて、「浅田彰をひっぱたきたい」にする予定でした。しかし、浅田彰については、私が思っていた以上に、ウヨク排外主義批判などの「進歩的側面」がある事も知るに及んで、本記事のタイトルは標記のものにしました。→「ポストモダン」「ポストモダン文学」については下記解説を参照の事。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%A6
コメント (1)
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