acc-j茨城 山岳会日記

acc-j茨城
山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

遅ればせながらのタイ報告

2010年07月29日 16時59分16秒 | 山行速報(海外)
遅ればせながらのタイ報告

4月14日
34年ぶりにバンコクに降り立つ。前に来たときも2泊くらいしたはずだが、細かい記憶は薄れてしまった。バンコクに詳しいA夫妻の案内で、ホテルに向かう。報道で騒がれているデモは、この時点で死者が出ているものの、それほど大きな暴動には発展していなかった。戦勝記念塔でBTSに乗り換えようとしていると、後ろから水鉄砲で水攻撃を受けた。そうなのです、今日からタイの正月であるソンクラーン(水かけ祭り)なのだ。無事ホテルに到着。A夫妻のお薦めの店で夕食をするが、これがとても旨い店だった。明日のために早寝とする。


戦勝記念塔で行われていたイエロー派のデモ


いたる所で水かけが行われていた

4月15日
暗いうちにホテルを出発、N氏と共に戦勝記念塔近くのバスターミナルからロットゥーでメークローンに向かう。周りの景色は塩田が延々と続いていた。メークローンでは有名な鉄道線路市場を見学した。あまりの珍しさと活気に圧倒される。以前テレビで観た時からここには是非来てみたかった。帰りは、列車~フェリー~列車と乗り継ぎバンコクに戻った。列車にも外からバケツで水をかけてくるので、列車の中はビショビショだ。最後の最後、BTSに乗り換えようと歩いていたら、行く先に水かけをしている集団がいた。危ないかなと思いつつ近づいてみると、案の定つかまってしまった。白い石灰みたいな物を顔に塗られ、水を頭からぶっかけられ、二人とも全身濡れ鼠になる。しかしこの時期タイでは、この姿でBTSに乗っても、まったく恥ずかしくないのである。これもお祭りだ、まあいっか!


列車が通り過ぎると同時にシート屋根が開かれ市場が復活する


全身ビショ濡れとなったガストン

4月16日
昨日と同じように暗いうちに起きだし南バスターミナルに行く。一等エアコンバスでカンチャナプーリーに向かう。映画「戦場にかける橋」で有名なクウェー鉄橋を見学後、列車でナムトクに行くも、この列車は最悪で、あまりの暑さにみんなバテバテになり、帰りは列車でバンコクに戻る計画だったが、急遽バスで戻ることにした。待ち時間もありバンコクにはだいぶ遅く戻った。


クウェー鉄橋

4月17日
今日はカトマンドゥ集合日であり、朝からスワンナブーム空港に向かう。予定通りの時刻でカトマンドゥに向けテイクオフ。

この後、ネパールで登山活動を行い、帰りに再びタイに寄り道する。ネパールでの活動記録はすでに書いたので参照のこと。

5月13日
カトマンドゥからの飛行機、スワンナブーム空港着が夕方で、明日午前にはクラビーに向け発つので、今晩は空港内でステーションビバークとする。久し振りのステビバは、あまり眠れなかった。

5月14日
クラビー着、日本人女性が経営する旅行会社のホテルに泊まる。バンコクよりさらに暑く、少々バテ気味で、タイ式マッサージを受ける。ウワサに聞いたほど痛くはなく、かなり気持ち良かった。Wさんお薦めのココナッツシェイクも食する。

5月15日
A夫妻とプラナンに行く。ソンテオでアオナンビーチに行くも、シーズンオフのせいか船がなく少々待つ。プラナン初めての私を案内するため、所々で簡単なクライミングをしながら半島を一周する。私は、もう暑さに負けて、すっかりモチベーションは消え失せ、クライミングはどうでもよくなっていた。ここで食べたココナッツシェイクは最高に美味かった。帰りも船に待たされ、ホテルに帰ったのはすっかり暗くなってからだった。



船でプラナンに向う


ルート名は忘れたが、リードするA夫妻の夫君


ケイビングを楽しむ。ここから20mの懸垂下降で降りる。


ここのココナッツシェイクが最高に美味い。しかし17時過ぎでないと電気が来ないので作れない

5月16日
朝市でマンゴスチンを買う。私は今まで食べた果物の中で、これが一番美味しい果物に思える。ドリアンは不味い。ランプータンは美味くも不味くもない。旅行会社の旦那の車で、天然クリスタルプールと天然の川が温泉になっているクロントム天然温泉風呂に行く。その後、タイガーケイブを見学し、クラビーに戻る。この観光は、物珍しさも加わって非常に楽しかった。


天然クリスタルプール(全身黒ずくめのイスラムの女性も泳いでいた)


川の水が温泉のクロントム温泉


いままで食べたフルーツで一番美味しく思うマンゴスチン

5月17日
今日、N氏と私はバンコク向けてクラビーを発つ日である。テレビでバンコクの暴動をさかんに放映している。軍隊が出て銃撃戦になっているようだ。それも我々が泊まる予定のホテルは、その真っ只中にある。これは非常事態である。A夫妻と旅行会社の社長に、バンコク行きを延期するよう勧められるが、チケットのこともあるし、日本に帰るのを遅らせる訳にもいかないし、イザというときは空港ステビバ2泊を覚悟してクラビーを発つ。我々の持っているチケットは、5月19日バンコク発フィックスだが、スワンナブーム空港内のタイ航空オフィスで事情を話したら、簡単に17日発のチケットに交換してくれた。これで空港内2ビバークは避けられた。当初、バンコク市内観光を予定していたが、今の状態では命が危ない。しかたなく17日の夜の便で、日本に向けバンコクを離陸した。

                                 ガストンガニマタ


谷川・衝立岩中央稜

2010年07月23日 23時53分36秒 | 山行速報(アルパイン)
谷川・衝立岩中央稜に行ってきました。

梅雨明け10日のこの上ない晴天。
暑さにやられるのでは?という不安を抱きつつもカラカラの岩に期待は膨らむ。


テ-ルリッジはもうすぐ!

ガストンさんを筆頭にKさんAさん、そしてsak。
Kさんは始めての中央稜。
Aさんは15年ぶりの谷川登攀。
sakにとっては、昨年の宿題となった核心部が待っているわけだ。

今年は未だに雪渓通しでテ-ルリッジに取り付けた。
岩はまったく問題なく乾燥度100%。
アプロ-チシュ-ズでさえ、充分なフリクション。
不安視していた暑さも程よく風が吹き、さわやか。
陽射しも程ほどに差したり陰ったり。
これは期待ができますなあ。
ガストンさん・Kさん、sak・Aさんのオ-ダ-でスタ-トと相成った。


核心ピッチを登るAさん

1ピッチ・快適なスタ-ト。体の動きを確かめるようにゆったりと。
2ピッチ・左に回りこみ直上。後発の4人パ-ティ-は「変チ」取り付きに。
3ピッチ・リッジを右に回りこみ直上。落ちると振られるので慎重に。
4ピッチ・フェ-スからチムニ-。核心はフェ-スから抜ける。快適なフリクションで夏休み早々に宿題を片付ける。
あとは、Ⅲ級程度をピッチ。ガバが多いのでグイグイ登る。
いつの間にか後発パ-ティ-は取り付くことなく下山していた。何かあったのだろうか?
最後のルンゼは岩くずボロボロでチョット嫌な感じ。
今までの登攀を思い返しながらゆったりと。


まるで空に向かうようだ

終了点で滝沢スラブと岩つばめを眺めながら登攀を振り返る。
まったく快適なクライミングであった。

今年の山行を考えながら、北稜下降。
時折聞こえる、鳥のさえずりに耳を傾けながら、険壁コップ状が大きい。
やっぱり、自分はアルパインクライミングが好物なのだと再認識した一日であった。

sak

那須岳(湯沢-南月山-白笹山)

2010年07月20日 18時28分20秒 | 山行速報(登山・ハイキング)
6月12日~13日
世話になったオヤジに秘湯に行きたいと頼込まれ
那須岳登山をしてきました。

今回は早朝車で沼原Pまで行き、~沼原湿原~湯沢
~深山ダム分岐~三斗小屋宿跡~山斗小屋温泉煙草屋(泊)

~沼原・姥ヶ平分岐~沼原分岐~牛ヶ首分岐
~南月山~白笹山~沼原Pの1泊2日の行程です。




鉱山植物の咲き始めた沼原湿原から流石山を望む。
梅雨入り前の快晴の中のんびりと歩きます。
湯沢でお昼の予定です。




山斗小屋温泉煙草屋です。
4代続く老舗の旅館ですが、女将の着くなりの、
宿帳書け・金払え・靴はあっち・荷物揚げろには参ります。
思わずどれ先にする?




煙草屋の内風呂です。
男女を時間帯を分けて入浴になりますが、
誰も入ってないのですかさず入浴しました。




煙草屋の露天風呂です。
流石山の峰々が良く見えますが、茶臼岳は見えません。
ここも男女時間帯で分けてますが、朝は混浴です。




私が大量の酒とつまみを荷揚げしたので
昨夜は、山ガール達と大宴会でした。

身支度をして出発し、
姥ヶ原・ひょうたん池より見た茶臼岳▲1,915mです。




那須連山の1つ南月山▲1,776mでのスナップ写真です。
これから白笹山▲1,719mへ縦走して下山します。

by Apple

新人会員募集中!

2010年07月16日 21時13分14秒 | 管理人日記

ACC-J茨城では、只今新人会員募集中!

そうです。そうなんです。
関東の山なし県・茨城の山岳会、ACC-J茨城では新人会員募集キャンペ-ンを展開中です。
ということで、先日作ったポスタ-をいろんなお店に展開開始です!
山の店やスポ-ツショップ、クライミングスポットなどなど。



掲示板のようなものがなくても、レッツトライで聞いみるものです。
案外、OKもらえるものですなあ。

さあ、会員の皆さん、何処に掲示されているか探してみましょう!
全てコンプリ-トした暁には・・・。
豪華景品を用意いたしましょう。

ご協力いただいているショップには感謝感謝です。
シ-ズンが変わったら、冬バ-ジョンもなんて画策中です。

それでもって、このブログを見て

クライミングやってみたいっ!とか
「沢登」って何?とか
とにかく山登りをやってみたい!

という方はこちら
ACC-J茨城のHPでお待ちしております!

sak


筑波山の風景<12> 石塔

2010年07月12日 23時55分39秒 | 筑波山の風景

<筑波山の風景・12>

石塔



茨城南西部に生まれ育った者にとって、その原風景に筑波は根を宿している。
それぞれの地域から仰ぎ見る容姿は瞼の裏に焼きついていることだろう。

筑波の歴史は、人々の生活に密接に関わり合っている。
筑波神社の創祀は遠く神代に至るらしいが、御神体としての筑波男ノ神(いざなぎのみこと)筑波女ノ神(いざなみのみこと)
のニ神は日本の祖神(おやがみ)として「古事記・日本書紀」にも記される所から、
それ以前より、信仰の対象として仰がれてきたことは言うまでもないだろう。
その証に、筑波神社の境内社は20を超え、山中深くに祠を見ることも多い。

時にその正体の明らかにない石塔も。
そのカタチから宝篋印塔(ほうきょういんとう)の上部と見える。

宝篋印塔は、元来、宝篋印陀羅尼を納める石塔であったが、鎌倉期以降は宗派を超えて造立されるようになった。
滅罪や延命の利益から、後に供養塔、墓碑塔として造立されるに至った石塔である。

信仰の山の多くは神を宿す。
中には「神」として、人とは隔絶した世界観、畏れや敬いをもって尊ぶこともある。
しかし、人、生活との関わりの中で皆に愛されてきた筑波山から受けるさまざまな恵みの数々は、まさに神からの賜物であったのだろう。

sak


BC撤収~トロンパス~ジョムソン~ポカラ

2010年07月05日 20時15分17秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録最終回


5月5日
今日は私の内孫の初節句なのだが、おじいちゃんはネパールの山の中である。大きくなったかな!決して家族思いの良いおじいちゃんとはいえないが、やはり気にはなる。独身のころから現在まで、山、岩、沢の生活を続けてきたが、ケガや体力的に、そろそろ年貢の納め時かと思うようになった。明日のBC撤収の準備をしながらのんびりと過ごすのは幸せな気分になれる。私のセキもだいぶ良くなってきた。天気は悪く、今思えば昨日が我々に与えられたアタックのワンチャンスだったのだ。ついていた。運がよかった。


BC撤収の準備

5月6日
BC発、7時20分
今日は下山の日である。
トロンヘェディ着、10時30分、昼食
ハイキャンプ着、12時10分。私のセキが再びひどくなる。NさんとAさんの調子が悪い。チェトさんは風邪をひいたらしく風邪薬を服用した。
BCの高度は約4700m、チュリ・レダーは4200m、ハイキャンプは4700m。今日はこれだけ登り降りしたわけだ。


BCで隊員とスタッフで記念撮影。みんな本当によく働いてくれた。感謝!!!


ハイキャンプに向う、天気曇り


ハイキャンプ(4700m)に着いた

5月7日
ハイキャンプ発4時45分。もっと早く出発の予定だったが、Nさんと私は完全に寝坊し、隊長に起こされる。みなさんに迷惑をかけてしまった。トロンパス7時15分。歩いているときには何故かあまりセキは出なく、調子はすこぶる良いのである。トロンパス(5416m)を超すと景色がガラっと変わり、チベットの風景になった。ムクティナート着11時15分。ここには大きな寺院があり、見学に行った。


トロンパス(5416m)にて


トロンパスを越えるとチベットの風景になった


ムクティナートの有名な寺院(インド人がたくさんいた)

5月8日
ムクティナート発、7時45分
化石が多く、道の傍らに結構転がっている。カクベニを通って遠回りしたので、ムスタン王国の雰囲気を少しは味わえるかな、と期待したが、プーちゃんは端っこをかすめただけで素通りしてしまった。これでは、なんのために遠回りしたのかと少々ガッカリした。
有名なカリカンダキの強い向かい風に向かって河原の道をひたすら歩く。この風が毎日吹くため、飛行機は風の吹かない朝のうちだけしか飛べない。ジョムソン着、14時15分


早朝ホテルの屋上から見たダウラギリ方面


城壁に囲まれたカクベニの集落に降りていく


カクベニで見たお葬式


カリカンダキの向かい風に苦しめられ、やっとジョムソンに着く。橋を渡るとジョムソンの町だ。

5月9日
ジョムソン発、6時48分の飛行機でポカラに飛ぶ。窓からはアンナプルナが見えた。ポカラ着、7時7分。ポカラには40年前に来たことがあるが、まったく以前の面影がない、というか記憶が残っていない。ポカラの山岳博物館見学などして時間を費やす。我々がポカラに着いたことを知ったA夫妻がカジさん(A夫妻のガイド)と共にホテルに会いに来た。彼らも随分と頑張って歩いたようだ。まあとにかく皆の無事を喜ぶ。今回の山行で、A夫妻のガイドであるカジさんも、我々のマネージャーのチェトさんも、日本語ペラペラで、意思疎通に苦労することはまったくなかった。


ジョムソンから見たニルギリ北峰


飛行機からのアンナプルナ


ポカラ山岳博物館にあった河口彗海の地図

5月10日
ポカラ発、6時35分。チャーターしたバスに乗りカトマンドゥ着、13時15分。


カトマンドゥの日本レストランで、シェルパ達とお別れパーティを行う

ネパールの記録終わり

行きと帰りにタイに寄りました。クラビ近くのプラナンにも行きましたので、その報告は後でいたします。結構大きな壁でした。もちろん登っていませんがね。
例のバンコクの大騒動の時期でした。         ガストンガニマタ

ネパール(チュルーウェストC2~頂上~BC)

2010年07月03日 13時21分32秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録その3

5月4日
詳しく言えば5月3日の23時2分起床。4日1時出発。パーティは、プーちゃん、Tさん、Nさん、Aさんの4名と、ロメちゃん、サンちゃん、N隊長、ガストンの4名の2パーティに分けた。プーちゃんパーティが先行する。ヘッドランプ頼りで暗い広い雪原を行くのは、ガイドがいないとルートが分からないであろう。先行パーティのトレールとヘッドランプを追う。すると突然トップのロメちゃんの姿が視界から消え、2番手のN隊長がバタっと倒れ、必死にロープを支えている。隊長が「ガストンさんこのロープを固定してくれ」と言う。私は、ここで初めてロメちゃんがヒドンクレパスに落ちたことを認識した。と同時に私はとんでもないミスをしていることを知った。斜面が緩いので両手にはストック、さらに余計なシュリンゲはザックの中であった。ザックを降ろし、ピッケルをザックから外し、さらにザックの中からシュリンゲを出す時間を考えたら、サンちゃんのピッケルとシュリンゲを借りたほうが早いと判断、サンちゃんに借りようとした、と同時にサンちゃんが傍に来てクレパスの中を覗き、自分のロープをロメちゃんに投げた。そのロープをロメちゃんはどのようにして体に付けたかはわからないが、サンちゃんはそれを確認してロープを引っ張り始めた。わたしも一緒に引くとロメちゃんの体が上がってくるのがわかった。「よし、これは上るぞ」と渾身の力で引っ張ると、運よくロメちゃんの姿が見え、無事脱出できた。ロメちゃんはケガもなく元気でホっとした。
やはり日本の山とは違う。ピッケルとシュリンゲを出していなかったことを深く反省した。
この先、登るにつれて地吹雪も強くなり寒さも厳しくなってきた。下着、シャツ、フリース、インナー羽毛服、アウタージャケットの5枚を着ていても寒さを感じた。この寒さで、Nさんは手と足の指に、Aさんは顔面に凍傷を負った。
頂上近くまで来たとき太陽が登った。いままでの寒さがウソのように暖かい。狭い雪稜上で、シェルパ達は「ここが頂上です」と言う。すぐそばにもっと高い所があるではないか。「あれはなんだ?」と聞くと「サミット」と答える。じゃあ「ここはなんだ?」と聞くと「サミット」だと言う。ロシア隊はもっと下までしか登っていないらしい。どうやら富士山みたいなもので、この辺り一角はどこでも頂上らしい。6時1分着
まわりはクレバスも多く、雪庇なども考えてシェルパが判断したのだろう。
時間をかけて高度順応してきたせいか、チンボラソの時のような苦しさはなかった。
少し下り、広い所で日の丸とネパール国旗を掲げ記念撮影をした。すぐに下山開始。あんなに時間と労力と金をかけて来たのに、頂上にいる時間は、ものの数分だ。登山というものはこんなものなのである。風も治まり、照り返しで今度は暑くてどうにもならないくらいだ。下りはC2発10時、だいぶ疲れて足が捗らずC1発15時。
今日はC1で泊まる予定だったのだが、シェルパ達は荷物を背負ってやるから今日中にBCまで降りようと言う。これには逆らえず了承した。シェルパは約束通りC1からは私達の荷物を背負ってくれた。天気は下り坂で、すでに雪が降ってきており、フィックスの下まで降りたら、ポーターがお茶を入れたポットを持って迎えに来てくれた。BCからは3~400mの高差を登ってきてくれたのである。感謝感激。BC着17時30分。あ~あ疲れた。

読者の皆さんには申し訳ないが、なぜかC2の写真がない。完全に撮り忘れたようだ。それに真夜中の行動だったのでアタック中の写真もない。夜が明けて頂上直下の広くなった尾根の所でしか写真が撮れなかった。


やっと夜が明けて暖かくなってきた


頂上直下はクレバスが縦横無尽にはしっていた


頂上直下の広いところで記念撮影


その4に続く                  ガストンガニマタ


ネパール(マナン~チュルーウェストC2)

2010年07月03日 07時13分05秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録その2

ここで我々の目指す山の名前を紹介する。
チュルーウェスト(6419m)トレッキングピークである。
アンナプルナの北方面にある山である。

シェルパと隊員と、その他のスタッフも紹介しておく。
マネージャー  チェトさん
シェルパ  プーちゃん
シェルパ  ロメちゃん
シェルパ  サンちゃん
コック1名、ポーター3名(荷物の殆どはBCまでロバで運んだ)
隊長    Nさん
隊員    Tさん
隊員    Aさん(香港人)
隊員    Nさん(ACCJ東京会員)
隊員    ガストンガニマタ


4月27日
マナン7時30分発
11時55分、チュリ・レダー着
今日はここまで。高度順応訓練に4550mまで登る。いよいよ明日から登山が始まる。頑張らくっちゃー


アンナプルナをバックにプーちゃん、Aさん、Tさん


我々の目指すチュルーウェストが見えた。頂上は右手のピーク。左の稜線から攻撃予定


4550mまで高度訓練

4月28日
チュリ・レダー7時15分発。ここでトレッキングのA夫妻と別れる。
10時30分、チュルーウェストのベースキャンプ4700m着。傍らには小川が流れ、とても気分の良い所だ。
鼻水と、くしゃみが止まらない


チュルーウェストベースキャンプ


4月29日
8時15分、ベースキャンプ発
5200mまで高所訓練
ロシア隊のベースキャンプがあった
せきが止まらない


到着の晩に雪が降り、次の日はこうなった


登る途中からの頂上方面(頂上は見えない)


下部の核心部(その1)


その2


なんて言うんだっけ?雪のこの形(日本では見かけない)


4月30日
BC7時発、C1の5400mに12時着
昨夜のセキの状態では本日の行動は無理かと思ったが、セキ以外の調子はまったく良い。高山病症状の、食欲、気分、頭痛、倦怠感すべて異常無しなのだ。ただし、セキで少々寝不足気味になってしまうのは仕方ない。昨夜はN氏に「ガストンさんは、このまま登ったら死んでしまうかも知れないので、いったんチュリ・レダーに降りたほうが良い」と言われた。肺水腫を心配しての提言であった。でもセキ以外、高山病症状はないので降りる決断はできなかった。
途中にある岩場の200mのフィックスは問題なく通過できる。我々のC1もロシア隊の近くに設営してBCに戻る。BC着15時。
この日、無事登頂を祈念し、コックは腕をふるって海苔巻を作ってくれた。美味かった。
この心遣いにマネージャーやコックやポーターに心から感謝感謝。


コックが作ってくれた海苔巻き(美味かった)


5月1日
BC発、7時10分
この登りは3回目なので気が楽だ。C1に11時着
C1はテント3張にした。
15時半頃ロシア隊がアタックから戻ってきた。みんなヘロヘロの状態であったが、でも登頂には成功したと言っていた。本当かなあ~???
この頃から雪が降り始める。


C1はすぐ先

5月2日
昨夜から雪がバンバン降っており、視界もない。隊長判断で本日停滞と決まった。
ゆっくり体を休める。夕方、天気回復の兆しで明日はC2に上がれそうだ。
ロシア隊は悪天の中、降りていった。


5月3日
C1、8時発
シェルパの2人は朝6時に出発していった。今日の核心部をルート工作中であるのが確認できる。氷の上に新雪が乗り少々歩きにくいが、フィックスを辿ればよいだけで、技術的にはなんら問題ない。ただ風がないので暑く、空気もうすいので少々バテ気味で5800mのC2に着12時。明日の午前中は天気が持ちそうなのでアタックできそうだ。明日は早立ちすべく17時40分就寝となる。


C1にて


同じくC1にて(バックに見えるトロンパスも真っ白になった)


C1からC2に向う(上部の核心部)

その3に続く       ガストンガニマタ   


ネパールの記録(カトマンドゥ~マナン)

2010年07月01日 17時44分49秒 | 山行速報(海外)
4月14日~5月18日までタイとネパールに行ってきた。その記録を発表します。

4月17日カトマンドゥ着


ホテルの屋上で、N隊長を囲み、トレッキングのA夫妻も一緒にミーティング


ヒマラヤ登山では有名なK氏と偶然会った


カトマンドゥタメル地区の賑わい


4月19日
カトマンドゥ7時20分発。チャーターバスでベシサハールを目指す。
名前だけは立派なトリブマンハイウェイを走る。日本では国道1号線のような幹線道路であろう。しかし、舗装されているもののお世辞にも良い道とは言えない。
10時50分、ムグリンで昼食
13時40分、ベシサハール着、16時頃より雷雨


ベシサハールの町並み


4月20日
ベシサハール発、6時50分
クディつり橋8時30分
10時50分、ナディバザールで昼食
13時25分、バフンダンダ着。15時頃より雨


このような石畳のアンナプルナトレッキング街道を歩いて行く


4月21日
バフンダンダ7時発
11時40分、ジャガット着、昼食
ボルダークライミングによさそうな岩がゴロゴロしているので、自分勝手にボルダービレッジと命名。
14時15分、チャムジェ着、N氏とA妻がヒルの被害にあう。夕方、道路工事の発破のため、村人全員と共に岩の下に避難。ものすごい発破音で、めったにできない経験だった。その後大きなヒョウが降った


トレッキング街道の道もよくなり、このような怖い橋は少なくなった


道路工事発破のため、村人全員が岩小屋の下に避難する



4月22日
チャムジェ7時10分発
12時、カルテで昼食
15時10分、バガルチャップ着
ホットシャワー付きの快適ホテルで洗濯に忙しい


マニ車を回す、トレッキング隊のA奥様



4月23日
バガルチャップ7時発
ラムジュンとアンナプルナ2峰が見える。
テマングからマナスルが見えた。真っ赤なラリグラスが咲いていた。
ワラビやゼンマイがたくさんあった
10時25分、チャンチョクで昼食
13時30分、チャーメ着


日本にはない、真っ赤なラリグラス(シャクナゲ)



4月24日
チャーメ7時発
昨夜は世界の話で盛り上がった。
9時55分、ピサンピークが見える所で小休止
11時、デクールポカリで昼食
草原の様な気持ちの良い所を行く
13時30分、ロワーピサン着
風が強く、インナーダウンジャケットを着る


いよいよ山が見えてきた。アンナプルナ方面その1


その2


その3



4月25日
ロワーピサン7時発、霜が降り階段が滑ってあぶない
今は使われていない飛行場跡を通る
10時30分、ムジエで昼食
13時20分、マナン着
バラガの寺院のお祭りの見学に行く。弓大会で盛り上がっていた。


4月26日
マナン滞在
朝食に焼きたてのパン、美味かった
高度順応のため停滞、4200mまでハイキング
14時から1500ルピーで乗馬を楽しむが、私の乗った馬は暴れ馬で、まったく手に負えず、馬子が手綱を持ったままで、ちとつまらなかった。洗濯に忙しい日でもあった。
馬やロバの糞が埃になって舞い上がり、それを吸うためか喉が痛くて困った。


高度順応訓練に4200mまでハイキング。気分は登頂成功みたい


その2に続く。     ガストンガニマタ