acc-j茨城 山岳会日記

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茨城県境縦走

2012年06月12日 18時58分55秒 | 茨城県境縦走
茨城県境縦走

国境。
その昔、わが国にも国境は存在した。
谷川の稜線を国境稜線というのはそういった名残だろう。
戦国の世のロマンに想いを馳せるのも興味深いが、このたび注目したいのが、この「国境」である。

国境=くにざかい。現代でいう県境。
国境というのは土地の首領の領土の果て、つまり支配地域の果てが境界となりやすい。
大きな川や、山などは支配しにくいため、そこが境となり稜線が国境となる。
この流れは、至極自然で、言われてみればなるほどなあという具合だ。
そして現在の都道府県は歴史の中で統廃合などあったものの、もともとは江戸時代の廃藩置県をもとに形成されている。

しかし、ちょっと驚くのは、現代においても「県境未定地域」なるものが存在すること。

一定の汀線はあるのだろうが、隣接地域同志の主張であったり、国境であるとしてきた河川の流路が変わったことによるものなど理由は様々。
事によってはその利権争いによる「蔵王県境裁判」などという事態もあった。

一方で、文化的、歴史的な理由から、「飛び地」があったり、不自然に突出した県境なども存在する。
飯豊山の事例は山好きならご存じだろう。

そのような歴史や自然環境、文化など想い馳せれば知的好奇心が刺激を受ける。
はたして、茨城の県境はいかようなものだろうか?

ガストンさんが、茨城の県境、その山岳部分を走破したのは記憶に新しい。
太平洋から小貝川に至る県境を2年1ケ月をかけて歩いたものだ。

旧ブログに時系列での掲載はあったが、太平洋から八溝山、小貝川へという県境に沿った記録にリメイクした。
断然このほうが、臨場感がある。

茨城の県境にも歴史や文化は隠れている。
県境による争事や未定部分はないものの、山肌が削られゆく現状や謎の土塁などは興味深い。

時間と労力をかけた大作は、通して読めばもはや自分も歩いたかのような錯覚に、疲労を覚える事もある。
もちろん、追体験を期待するにはそれ相応の覚悟というものが必要だ。
心して取りかからねばなるまい。

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sak