2001/8中旬 槍ヶ岳・北鎌尾根
プロロ-グ
何故、そこに行くのかとたずねられたら、ただなんとなく笑って誤魔化す。
期待外れのリアクションはどのように映るのだろうか。
利口な遣り方じゃあない、器用でもない。
ただ、「何でもいい」とか「かったるい」とか、
涼しい顔して言ってるわりに誰かに期待している生き方よりはよっぽどいい。
辛くて泣いて、緊張に汗して、ほとほと疲れ果てても
結局それが一番楽しくて、嬉しくて最高の笑顔でいられる。
いつだって、感動しながら生きていきたいから。
貧乏沢下降点
それは突如として現われた。
立派な標示板があり、入り口を探すのに迷う事はない。
しかし、ここから先はバリエ-ションの世界。
とうとうここまで来たんだなと、気も引き締まる。
昨夜、仕事を終えてから中房温泉へと急いだ。
車で仮眠をとるも、睡眠不足は否めない。
事実、ここに来るまでに何度居眠りした事か。
少しの心配を他所に体とココロは感動に飢えていた。
貧乏沢
貧乏沢の上部はガレ道と潅木をかき分けて進む。
潅木のヤブコギはまだ良いが急なガレの下りには神経をすり減らされる。
しばらく行くと右からの水流が滝となり合流する。
ここがおおむね沢の中間部。
ようやく出てきた豊富な水に喉を鳴らして小休止とする。
下流部は沢を歩いたり左岸の道を歩いたり。
水流は消えたり現われたりを何度か繰り返す。
天上沢
沢の流音は徐々に大きくなって行き、天上沢へと出合う。
ここから15分ほど遡行すると北鎌尾根への取り付き、北鎌沢出合だ。
ココはケルンやリボンがその存在を明確に教えてくれる。
天上沢は上流に行くにしたがって水が涸れる。
北鎌沢の出合で幕営の予定をしていたが
水を豊富に補給できる天上沢に変更をした。
この日、天上沢のビバ-クサイトには三人の男が天幕を張ることになる。
一人はさかぼう。
次に来たのは体の大きな青いザックの男。
日も暮れかかった頃に小柄な赤いザックの男がやってきた。
皆、単独行であった。
天狗の腰掛
北鎌沢は右股を行く。
右股は小さく、分岐で左股に入りかけてしまった。
直線的に登って行くので息も切れるがグングンと高度を稼ぐ。
嬉しい事に水流はかなり上部まで顔を出してくれていた。
さあ、北鎌沢のコルまで良い汗かこうじゃあないか。
コルから天狗の腰掛までは岩と潅木、土のミックスである。
かなり急な斜面をも潅木を手がかりに体を上へと引き上げる。
天狗の腰掛からは独標が行く手に立ちはだかるようであった。
三人は微妙に間を取りつつ歩いていた。
先頭はさかぼう。続いて青ザック氏、赤ザック氏。
それぞれが単独行。
”一緒に行きましょう”なんて口に出すのはナンセンスに思えた。
独標トラバ-ス
独標のトラバ-スは切れ落ちた岩のバンドを渡ったり 突き出た岩を抱えこみながらバンドを進んだり、 ザレ、ガレの急斜面を渡って行く。
踏跡が不明瞭である。いや、そこに踏跡を期待するのが間違いというものだ。
難しさの現実が三人を襲う。
岩稜を登る。
ここで一歩。たった一歩、足を踏み外せば確実に死ねる。
岩壁を登る。
ここで次の一手が出ないとたちまち力尽き落ちる。
体力はもちろん登攀力、バランス、ザイルワ-ク、道読み能力が問われる。
ここに来て三人の距離はいつしか近づいていた。
さかぼうは登攀具と体力で道を開いた。
青ザック氏は道を読み先頭のさかぼうにアドバイスを送った。
赤ザック氏は豊富な経験を元に状況と天候を読んだ。
それぞれがそれぞれの個性を生かしてうまく機能していた。
独標
三人はもはやパ-ティ-と言えた。
三人の単独行者はお互い干渉する事はなかったが、 互いに刺激を受けながら歩き続けた。
ル-トは今まで以上に道読みが困難になってくる。
相変わらずの脆い岩はつかんだ岩が不意に剥がれたり、 一抱えある大岩がグラッときたりとスリルに事足らない。
独標辺りでガスが多くなってきた。生憎、槍の穂先はガスの中だった。
ガスで距離感が鈍り、現在地を把握するのが億劫になる。
このピ-クは何処か、それよりも先に行く事が最優先された。
それは、激しい雷雨が前日にあったから。
今日も高い確率でそうなる事が容易に想像できた。
北鎌平
雨が降り始めた。
雷の呻きが私を責め立てた。
この雨は長くはない。休憩だね。赤ザック氏はそう言った。
同感だった。
「ラアァァァァ-ク!ラアァァ-ク!」
ガスのなかにこだまする声といつまでも続く岩雪崩の音。
かなり先に見えた先行パ-ティ-が案外近くにいた事を知った驚き以上に 背筋の凍る瞬間だった。
「だいじょうぶかぁ-?」 「オ-ケェェェ-!」 「ゴメェェェ-ン」
大事はなかったようだった。
幸い雨とガスは10分ほどで消えた。
大槍、小槍が迫力で迫ってくる。
「この中に行い良い奴がいるんだなあ」と三人共、笑った。
頂稜
穂先への登りはキツイ。
しかし頂へのクライマックスのためか俄然やる気が湧いてくる。
手がかり足がかりも多く、気分よく高さを稼ぐと最後の難関、直下のチムニ-だ。
さかぼうと赤ザック氏はフリ-で登るも青ザック氏はザイルを使う。
さかぼうは青ザック氏の為にここまで二度、ザイルを張った。
しきりに恐縮する彼の山歴は冬季西穂-奥穂、冬季阿弥陀岳南稜・・・。 どれをとってもさかぼう以上。
しかし、ほんの少しの登攀力の違いがこの結果だ。つまり北鎌とはそういう所なのだ。
チムニ-を後に白杭に導かれた辺りで、山頂の人々が見えてくる。
さあ、待ちに待った瞬間だ。
三人を迎えたのは拍手でもなく歓声でもなく 私達に向けられたカメラのシャッタ-音だった。
さかぼうは頂稜へ立った。天を突く頂で天を仰いだ。
ヒュッテ大槍
都合、4度目。槍の山頂はまたもガスだった。
山頂で雨に降られ、槍ヶ岳山荘に着く頃には濡れ鼠になってしまった。
ここまで来るともはや軟弱モ-ド。ヒュッテ大槍、宿泊決定!
夜が明けた。
雷鳥平からは槍と北鎌が良く見える。
一夜明けて改めて歓びを噛み締める。
そしてなんだか少しだけ泣けた。
槍へ槍ヶ岳・北鎌尾根
さかぼうはたしかにそこにいた。
あの栄光と悲劇の山稜に。
魅せられし者達は色褪せる事なく夢を見続ける。
いつかまた名も知らぬ仲間達と感動できる瞬間まで。
見果てぬ夢に終わりは無い。
sak