acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

アラスカ オーロラ観測

2015年01月06日 16時02分48秒 | 山行速報(海外)

2014.2/05(水)-12(水) 天気:快晴・雪・晴れ・晴れ・晴れ・晴れ・曇り→雨・晴れ
アラスカ オーロラ観測に行ってきました。

メンバー:N艦長・Appleの2人パーティです。
装備:冬山装備

今回の登山行程は、成田~シアトル~フェアバンクス~チェナ温泉~フェアバンクス~シアトル~成田の6泊8日です。
05日(水):自宅~成田空港発~
05日(水):(日付変更)~シアトル空港~フェアバンクス空港~チェナ ホット スプリングス リゾート(泊) オーロラ観測
06日(木):チェナ ホット スプリングス リゾート(泊) オーロラ観測
07日(金):チェナ ホット スプリングス リゾート(泊) オーロラ観測
08日(土):チェナ ホット スプリングス リゾート~フェアバンクス~ウェッジウッド リゾート(泊)
09日(日):ウェッジウッド リゾート(泊)
10日(月):ウェッジウッド リゾート~フェアバンクス空港~シアトル空港~ホリディ イン(泊)
11日(火):シアトル空港発~
12日(水):(日付変更)~成田空港着~自宅


05日(水):ゆっくり自宅より車で出発。
日航成田ホテルの駐車場に車を止めリムジンバスにて成田空港第一ターミナルへ行く。
ここでN艦長と合流する。デルタ空港のカウンターで手続きして税関を通って出国。
もしかしてお酒有料かもで、N艦長の為に免税店でシーバスリーガルを購入。
スムーズにDL156便に搭乗する。しかしお酒は無料だったのでシアトルまで空輸となる。


日航成田ホテルよりリムジンバスに乗る


成田空港の待ち合い

05日(水):日付変更の為1日戻る。早朝にシアトル(タコマ)空港に到着する。
ここで国内線のアラスカ航空に乗り換える為に荷物を受け取って入国する。
デルタ航空のカウンターでチェックイン出来ず、アラスカ航空のカウンターで手続きする。
日本と違って勝手が違うので難儀する。乗り換えに6時間も時間があったので良かった。
無事アラスカ航空のターミナルのチェックインでシーバス飲み忘れて没収となる。(^_^;
AS123便に乗り3時間のフライトでフェアバンクス空港に到着する。
空港を出ると半袖シャツの変なオヤジが、Are you SUZUKI? Yesと返事し迎えだと判る。
どこにでも、やせがまんパフォーマンスはいるものである。
チェナまで、ほぼ100kmの道のりを車で飛ばし、途中のコンビニで酒と摘みを買い込む。
暗くなって到着しチェックインしてコテージに泊まる。
その晩、さっそくオーロラ観測するが雪降った為見られず。


シアトル(ダコマ)空港ターミナル1


シアトル(ダコマ)空港ターミナル2


アラスカ航空の飛行機


迎えの車


凍ったハイウェイを飛ばす

06(木):滞在。昨日は残念ながらオーロラは見られず、買い物をするにも廻りには何にも無い。
温泉リゾートだからと甘く見ていた。ホテルのレストランで食事したが、むちゃくちゃ高かった。
その後あちこち散策したら売店がありビールや冷凍ハンバーガー・ピザがあり、リーズナブルな値段なのでこれからはハンバーガーが主食となる。
温泉プールで泳いだりしながら宴会をしてのんびり過ごす。
情報によるとオーロラは夜9時~3時ぐらいに良く出るとのことで、
夜9時ぐらいからちょくちょく外に出てオーロラを確認する。
10時ぐらいからオーロラが出るが、なんか今イチで見た感じがしない。
隣の方でガイドが、薄い緑のラインが出てあれがオーロラだと言っていたが、あの客は帰ってオーロラ見たというのだろう。
う~ん、俺は納得できないなぁ。残念ではあるが明日に期待しよう。


チェナ ホット スプリングス リゾートの通り


泊まったコテージ

07(金):滞在。昨日は夜更かししたので、ゆっくりと起きる。
廻りには山スキーには絶好の斜面があるが道具が無いので残念である。
何かアクティビティをする訳でもなく主目的のオーロラ観測の為に体力を温存する。
マイナス30度の気温で深夜長時間外にいるのはけっこう体力を消耗するのである。
またまた夜9時ぐらいから外に出て空を眺める。
10時ぐらいからにわかに空が明るくなる。オーロラの出現である。
でも昨日と何か感じが違う。天空のあちこちで出現してオーロラがどんどん成長していく。
クライマックスは真上で緑と赤のオーロラが渦巻く。空から光が落ちてくるようで怖いぐらいである。
深夜2時ぐらいに徐々に光は弱まって終焉となる。満足のオーロラ観測であった。
これで思い残すことなくフェアバンクスに行くことができる。


オーロラ1


オーロラ2


オーロラ3


オーロラ4

08(土):ゆっくりと起き出し、パッキングをする。
廻りを散策した後チェックアウトしてフェアバンクスに向かう。
途中の道沿いユーコン川の支流はゆるやかな流れで、カヌーで川下りしてみたくなる。
ウェッジウッドリゾートに到着するが、受付カウンターは小さくホテルのような感じではない。
部屋の位置の地図をもらい歩いていくが遠いのである。
広大な公園の中にロングステイのマンションがある感じだ。
部屋はすばらしく広々とした1LDKSである。それで2人2泊で162ドルは安い。
チェナは2人3泊で648ドルはぼったくりと思える。
さっそくスーパーに買出しに出るが遠い。それに気温は昼なのにマイナス14度。
完全冬山装備で出ないと危険な寒さである。
巨大なショッピングセンターでいろいろ買い物をして宴会を始める。
カニ・スモークサーモンは高い。牛肉は安いのでステーキをたらふく食った。


チェナ ホット スプリングス リゾートのフロント入口


チェナ ホット スプリングス リゾートの受付


温泉プール


露天風呂


施設の廻り


温泉を利用した温室


チェナ ホット スプリングス リゾートの通り


ウェッジウッド リゾートの外観


フェアバンクスの通り


部屋の玄関入口


部屋のリビング


部屋のベッドルーム


部屋のダイニング


部屋のキッチン


サイコロステーキ


スモークサーモン


ステーキ

09(日):滞在。観光するような所は特に無さそうなので、またまたショッピングセンターに行く。
ホームセンターではライフル銃が普通に売っている。さすがアメリカである。
アラスカの寒さに対応した防寒用品などを買う。
今度は行きも帰りは平原を横切って裏道を通って帰る。
地吹雪が出たら遭難しそうなぐらい目印が無い。
そしていつもように宴会をする。


朝外を見るとダイアモンドダストが


部屋の路地から外へ向かう


フェンスを越えて外へ


平原を越えてショッピングセンターへ


極北の景色だ


あやしいマスクマンの私


帰りの裏路地でセルフ撮影


アラスカ産タラバカニ


またまたサイコロステーキ

10(月):今日はフェアバンクス空港からシアトル空港まで行く。
朝暗い中をフェアバンクス発DL9068便に乗る。
窓から見える陽がのぼるアラスカの平原は神々しい景色である。
まるく成層圏が見えるようで宇宙との中間にいるような感じである。
シアトルに着くと雨であった。無事ホリディ イン シアトル エアポートに到着する。
荷物を置くと早速電車に乗ってシアトル観光に出る。
セーフコ フィールド球場は巨大であった。
フィッシャーマンズワーフを観光して有名店エリオットで牡蠣を食べる。まいうー!
お愛想したら高かった。(^_^;


フェアバンクス空港


アラスカ平原の日の出


神々しい景色


カナダの西海岸


機内の私


シアトルの雲の上を飛ぶ


シアトルの電車


セーフコ シールド球場


シアトルの地下鉄


シアトルのオフィス街


フィッシャーマンズ ワーフ1


フィッシャーマンズ ワーフ2


市場のカニ


市場の豚の前で


市場のくだもの


港の方へ出る


エリオットの入口


エリオットの店内


名物のカキ


クラムチャウダースープ


エビ料理


サーモンのソテー

11(火):今日で帰国である。
巨大なシアトル空港に向かうが、乗り継ぎでうおさおしたので詳しくなった。
スムーズに手続き完了して、DL155便で成田に向かう。
映画を見て、お酒を飲んで爆睡したらあっというまでした。


シアトル(ダコマ)空港


搭乗するデルタ航空の飛行機


成層圏近くを飛んでいるような景色

12(水):日付変更の為1日進む。夕刻に成田空港に到着する。
目的のオーロラも見れたし楽しい旅でした。N艦長とがっちり握手して帰路につく。

by Apple


インカトレイルとアルパマヨトレッキング&ナスカ

2013年08月18日 15時19分05秒 | 山行速報(海外)
インカトレイルとアルパマヨトレッキング&ナスカ
5月30日から6月28日までペルーに行ってきた。インカトレイルは10名。アルパマヨトレッキングは6名。ナスカは2名。茨城岳連海外登山委員会の行事であり、当会からは、Nと私の2名参加であった。詳しい山行報告をすることもないので、簡単に報告します。インカトレイルは4日間で、最後のマチュピチュは晴れて良く見ることができ満足した。世界で一番美しい山と言われるアルパマヨトレッキングは10日間。これもアルパマヨ他サンタクルスなどの山々を見ることができ良かった。前々から私はトレッキングには興味がなかったが、これは私の性格から来るものであろう。やはり山は観るものではなく登るものであると強く感じた。最後のナスカはNと私の気楽な二人旅であった。以下数枚の写真をアップします。


インカトレイル(いわゆるインカ道を歩いていく)


インカ道終点が有名なマチュピチュである(マチュピチュ山から見下ろす)


世界で一番美しい山と言われるアルパマヨ


サンタクルス


ナスカへの途中、ワカチナ砂漠に寄り道(Nと二人でサンドバギーを楽しむ)


ナスカでのフライト(ハチドリが写っているハズ)

                             ガストンガニマタ

遅ればせながらのタイ報告

2010年07月29日 16時59分16秒 | 山行速報(海外)
遅ればせながらのタイ報告

4月14日
34年ぶりにバンコクに降り立つ。前に来たときも2泊くらいしたはずだが、細かい記憶は薄れてしまった。バンコクに詳しいA夫妻の案内で、ホテルに向かう。報道で騒がれているデモは、この時点で死者が出ているものの、それほど大きな暴動には発展していなかった。戦勝記念塔でBTSに乗り換えようとしていると、後ろから水鉄砲で水攻撃を受けた。そうなのです、今日からタイの正月であるソンクラーン(水かけ祭り)なのだ。無事ホテルに到着。A夫妻のお薦めの店で夕食をするが、これがとても旨い店だった。明日のために早寝とする。


戦勝記念塔で行われていたイエロー派のデモ


いたる所で水かけが行われていた

4月15日
暗いうちにホテルを出発、N氏と共に戦勝記念塔近くのバスターミナルからロットゥーでメークローンに向かう。周りの景色は塩田が延々と続いていた。メークローンでは有名な鉄道線路市場を見学した。あまりの珍しさと活気に圧倒される。以前テレビで観た時からここには是非来てみたかった。帰りは、列車~フェリー~列車と乗り継ぎバンコクに戻った。列車にも外からバケツで水をかけてくるので、列車の中はビショビショだ。最後の最後、BTSに乗り換えようと歩いていたら、行く先に水かけをしている集団がいた。危ないかなと思いつつ近づいてみると、案の定つかまってしまった。白い石灰みたいな物を顔に塗られ、水を頭からぶっかけられ、二人とも全身濡れ鼠になる。しかしこの時期タイでは、この姿でBTSに乗っても、まったく恥ずかしくないのである。これもお祭りだ、まあいっか!


列車が通り過ぎると同時にシート屋根が開かれ市場が復活する


全身ビショ濡れとなったガストン

4月16日
昨日と同じように暗いうちに起きだし南バスターミナルに行く。一等エアコンバスでカンチャナプーリーに向かう。映画「戦場にかける橋」で有名なクウェー鉄橋を見学後、列車でナムトクに行くも、この列車は最悪で、あまりの暑さにみんなバテバテになり、帰りは列車でバンコクに戻る計画だったが、急遽バスで戻ることにした。待ち時間もありバンコクにはだいぶ遅く戻った。


クウェー鉄橋

4月17日
今日はカトマンドゥ集合日であり、朝からスワンナブーム空港に向かう。予定通りの時刻でカトマンドゥに向けテイクオフ。

この後、ネパールで登山活動を行い、帰りに再びタイに寄り道する。ネパールでの活動記録はすでに書いたので参照のこと。

5月13日
カトマンドゥからの飛行機、スワンナブーム空港着が夕方で、明日午前にはクラビーに向け発つので、今晩は空港内でステーションビバークとする。久し振りのステビバは、あまり眠れなかった。

5月14日
クラビー着、日本人女性が経営する旅行会社のホテルに泊まる。バンコクよりさらに暑く、少々バテ気味で、タイ式マッサージを受ける。ウワサに聞いたほど痛くはなく、かなり気持ち良かった。Wさんお薦めのココナッツシェイクも食する。

5月15日
A夫妻とプラナンに行く。ソンテオでアオナンビーチに行くも、シーズンオフのせいか船がなく少々待つ。プラナン初めての私を案内するため、所々で簡単なクライミングをしながら半島を一周する。私は、もう暑さに負けて、すっかりモチベーションは消え失せ、クライミングはどうでもよくなっていた。ここで食べたココナッツシェイクは最高に美味かった。帰りも船に待たされ、ホテルに帰ったのはすっかり暗くなってからだった。



船でプラナンに向う


ルート名は忘れたが、リードするA夫妻の夫君


ケイビングを楽しむ。ここから20mの懸垂下降で降りる。


ここのココナッツシェイクが最高に美味い。しかし17時過ぎでないと電気が来ないので作れない

5月16日
朝市でマンゴスチンを買う。私は今まで食べた果物の中で、これが一番美味しい果物に思える。ドリアンは不味い。ランプータンは美味くも不味くもない。旅行会社の旦那の車で、天然クリスタルプールと天然の川が温泉になっているクロントム天然温泉風呂に行く。その後、タイガーケイブを見学し、クラビーに戻る。この観光は、物珍しさも加わって非常に楽しかった。


天然クリスタルプール(全身黒ずくめのイスラムの女性も泳いでいた)


川の水が温泉のクロントム温泉


いままで食べたフルーツで一番美味しく思うマンゴスチン

5月17日
今日、N氏と私はバンコク向けてクラビーを発つ日である。テレビでバンコクの暴動をさかんに放映している。軍隊が出て銃撃戦になっているようだ。それも我々が泊まる予定のホテルは、その真っ只中にある。これは非常事態である。A夫妻と旅行会社の社長に、バンコク行きを延期するよう勧められるが、チケットのこともあるし、日本に帰るのを遅らせる訳にもいかないし、イザというときは空港ステビバ2泊を覚悟してクラビーを発つ。我々の持っているチケットは、5月19日バンコク発フィックスだが、スワンナブーム空港内のタイ航空オフィスで事情を話したら、簡単に17日発のチケットに交換してくれた。これで空港内2ビバークは避けられた。当初、バンコク市内観光を予定していたが、今の状態では命が危ない。しかたなく17日の夜の便で、日本に向けバンコクを離陸した。

                                 ガストンガニマタ


BC撤収~トロンパス~ジョムソン~ポカラ

2010年07月05日 20時15分17秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録最終回


5月5日
今日は私の内孫の初節句なのだが、おじいちゃんはネパールの山の中である。大きくなったかな!決して家族思いの良いおじいちゃんとはいえないが、やはり気にはなる。独身のころから現在まで、山、岩、沢の生活を続けてきたが、ケガや体力的に、そろそろ年貢の納め時かと思うようになった。明日のBC撤収の準備をしながらのんびりと過ごすのは幸せな気分になれる。私のセキもだいぶ良くなってきた。天気は悪く、今思えば昨日が我々に与えられたアタックのワンチャンスだったのだ。ついていた。運がよかった。


BC撤収の準備

5月6日
BC発、7時20分
今日は下山の日である。
トロンヘェディ着、10時30分、昼食
ハイキャンプ着、12時10分。私のセキが再びひどくなる。NさんとAさんの調子が悪い。チェトさんは風邪をひいたらしく風邪薬を服用した。
BCの高度は約4700m、チュリ・レダーは4200m、ハイキャンプは4700m。今日はこれだけ登り降りしたわけだ。


BCで隊員とスタッフで記念撮影。みんな本当によく働いてくれた。感謝!!!


ハイキャンプに向う、天気曇り


ハイキャンプ(4700m)に着いた

5月7日
ハイキャンプ発4時45分。もっと早く出発の予定だったが、Nさんと私は完全に寝坊し、隊長に起こされる。みなさんに迷惑をかけてしまった。トロンパス7時15分。歩いているときには何故かあまりセキは出なく、調子はすこぶる良いのである。トロンパス(5416m)を超すと景色がガラっと変わり、チベットの風景になった。ムクティナート着11時15分。ここには大きな寺院があり、見学に行った。


トロンパス(5416m)にて


トロンパスを越えるとチベットの風景になった


ムクティナートの有名な寺院(インド人がたくさんいた)

5月8日
ムクティナート発、7時45分
化石が多く、道の傍らに結構転がっている。カクベニを通って遠回りしたので、ムスタン王国の雰囲気を少しは味わえるかな、と期待したが、プーちゃんは端っこをかすめただけで素通りしてしまった。これでは、なんのために遠回りしたのかと少々ガッカリした。
有名なカリカンダキの強い向かい風に向かって河原の道をひたすら歩く。この風が毎日吹くため、飛行機は風の吹かない朝のうちだけしか飛べない。ジョムソン着、14時15分


早朝ホテルの屋上から見たダウラギリ方面


城壁に囲まれたカクベニの集落に降りていく


カクベニで見たお葬式


カリカンダキの向かい風に苦しめられ、やっとジョムソンに着く。橋を渡るとジョムソンの町だ。

5月9日
ジョムソン発、6時48分の飛行機でポカラに飛ぶ。窓からはアンナプルナが見えた。ポカラ着、7時7分。ポカラには40年前に来たことがあるが、まったく以前の面影がない、というか記憶が残っていない。ポカラの山岳博物館見学などして時間を費やす。我々がポカラに着いたことを知ったA夫妻がカジさん(A夫妻のガイド)と共にホテルに会いに来た。彼らも随分と頑張って歩いたようだ。まあとにかく皆の無事を喜ぶ。今回の山行で、A夫妻のガイドであるカジさんも、我々のマネージャーのチェトさんも、日本語ペラペラで、意思疎通に苦労することはまったくなかった。


ジョムソンから見たニルギリ北峰


飛行機からのアンナプルナ


ポカラ山岳博物館にあった河口彗海の地図

5月10日
ポカラ発、6時35分。チャーターしたバスに乗りカトマンドゥ着、13時15分。


カトマンドゥの日本レストランで、シェルパ達とお別れパーティを行う

ネパールの記録終わり

行きと帰りにタイに寄りました。クラビ近くのプラナンにも行きましたので、その報告は後でいたします。結構大きな壁でした。もちろん登っていませんがね。
例のバンコクの大騒動の時期でした。         ガストンガニマタ

ネパール(チュルーウェストC2~頂上~BC)

2010年07月03日 13時21分32秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録その3

5月4日
詳しく言えば5月3日の23時2分起床。4日1時出発。パーティは、プーちゃん、Tさん、Nさん、Aさんの4名と、ロメちゃん、サンちゃん、N隊長、ガストンの4名の2パーティに分けた。プーちゃんパーティが先行する。ヘッドランプ頼りで暗い広い雪原を行くのは、ガイドがいないとルートが分からないであろう。先行パーティのトレールとヘッドランプを追う。すると突然トップのロメちゃんの姿が視界から消え、2番手のN隊長がバタっと倒れ、必死にロープを支えている。隊長が「ガストンさんこのロープを固定してくれ」と言う。私は、ここで初めてロメちゃんがヒドンクレパスに落ちたことを認識した。と同時に私はとんでもないミスをしていることを知った。斜面が緩いので両手にはストック、さらに余計なシュリンゲはザックの中であった。ザックを降ろし、ピッケルをザックから外し、さらにザックの中からシュリンゲを出す時間を考えたら、サンちゃんのピッケルとシュリンゲを借りたほうが早いと判断、サンちゃんに借りようとした、と同時にサンちゃんが傍に来てクレパスの中を覗き、自分のロープをロメちゃんに投げた。そのロープをロメちゃんはどのようにして体に付けたかはわからないが、サンちゃんはそれを確認してロープを引っ張り始めた。わたしも一緒に引くとロメちゃんの体が上がってくるのがわかった。「よし、これは上るぞ」と渾身の力で引っ張ると、運よくロメちゃんの姿が見え、無事脱出できた。ロメちゃんはケガもなく元気でホっとした。
やはり日本の山とは違う。ピッケルとシュリンゲを出していなかったことを深く反省した。
この先、登るにつれて地吹雪も強くなり寒さも厳しくなってきた。下着、シャツ、フリース、インナー羽毛服、アウタージャケットの5枚を着ていても寒さを感じた。この寒さで、Nさんは手と足の指に、Aさんは顔面に凍傷を負った。
頂上近くまで来たとき太陽が登った。いままでの寒さがウソのように暖かい。狭い雪稜上で、シェルパ達は「ここが頂上です」と言う。すぐそばにもっと高い所があるではないか。「あれはなんだ?」と聞くと「サミット」と答える。じゃあ「ここはなんだ?」と聞くと「サミット」だと言う。ロシア隊はもっと下までしか登っていないらしい。どうやら富士山みたいなもので、この辺り一角はどこでも頂上らしい。6時1分着
まわりはクレバスも多く、雪庇なども考えてシェルパが判断したのだろう。
時間をかけて高度順応してきたせいか、チンボラソの時のような苦しさはなかった。
少し下り、広い所で日の丸とネパール国旗を掲げ記念撮影をした。すぐに下山開始。あんなに時間と労力と金をかけて来たのに、頂上にいる時間は、ものの数分だ。登山というものはこんなものなのである。風も治まり、照り返しで今度は暑くてどうにもならないくらいだ。下りはC2発10時、だいぶ疲れて足が捗らずC1発15時。
今日はC1で泊まる予定だったのだが、シェルパ達は荷物を背負ってやるから今日中にBCまで降りようと言う。これには逆らえず了承した。シェルパは約束通りC1からは私達の荷物を背負ってくれた。天気は下り坂で、すでに雪が降ってきており、フィックスの下まで降りたら、ポーターがお茶を入れたポットを持って迎えに来てくれた。BCからは3~400mの高差を登ってきてくれたのである。感謝感激。BC着17時30分。あ~あ疲れた。

読者の皆さんには申し訳ないが、なぜかC2の写真がない。完全に撮り忘れたようだ。それに真夜中の行動だったのでアタック中の写真もない。夜が明けて頂上直下の広くなった尾根の所でしか写真が撮れなかった。


やっと夜が明けて暖かくなってきた


頂上直下はクレバスが縦横無尽にはしっていた


頂上直下の広いところで記念撮影


その4に続く                  ガストンガニマタ


ネパール(マナン~チュルーウェストC2)

2010年07月03日 07時13分05秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録その2

ここで我々の目指す山の名前を紹介する。
チュルーウェスト(6419m)トレッキングピークである。
アンナプルナの北方面にある山である。

シェルパと隊員と、その他のスタッフも紹介しておく。
マネージャー  チェトさん
シェルパ  プーちゃん
シェルパ  ロメちゃん
シェルパ  サンちゃん
コック1名、ポーター3名(荷物の殆どはBCまでロバで運んだ)
隊長    Nさん
隊員    Tさん
隊員    Aさん(香港人)
隊員    Nさん(ACCJ東京会員)
隊員    ガストンガニマタ


4月27日
マナン7時30分発
11時55分、チュリ・レダー着
今日はここまで。高度順応訓練に4550mまで登る。いよいよ明日から登山が始まる。頑張らくっちゃー


アンナプルナをバックにプーちゃん、Aさん、Tさん


我々の目指すチュルーウェストが見えた。頂上は右手のピーク。左の稜線から攻撃予定


4550mまで高度訓練

4月28日
チュリ・レダー7時15分発。ここでトレッキングのA夫妻と別れる。
10時30分、チュルーウェストのベースキャンプ4700m着。傍らには小川が流れ、とても気分の良い所だ。
鼻水と、くしゃみが止まらない


チュルーウェストベースキャンプ


4月29日
8時15分、ベースキャンプ発
5200mまで高所訓練
ロシア隊のベースキャンプがあった
せきが止まらない


到着の晩に雪が降り、次の日はこうなった


登る途中からの頂上方面(頂上は見えない)


下部の核心部(その1)


その2


なんて言うんだっけ?雪のこの形(日本では見かけない)


4月30日
BC7時発、C1の5400mに12時着
昨夜のセキの状態では本日の行動は無理かと思ったが、セキ以外の調子はまったく良い。高山病症状の、食欲、気分、頭痛、倦怠感すべて異常無しなのだ。ただし、セキで少々寝不足気味になってしまうのは仕方ない。昨夜はN氏に「ガストンさんは、このまま登ったら死んでしまうかも知れないので、いったんチュリ・レダーに降りたほうが良い」と言われた。肺水腫を心配しての提言であった。でもセキ以外、高山病症状はないので降りる決断はできなかった。
途中にある岩場の200mのフィックスは問題なく通過できる。我々のC1もロシア隊の近くに設営してBCに戻る。BC着15時。
この日、無事登頂を祈念し、コックは腕をふるって海苔巻を作ってくれた。美味かった。
この心遣いにマネージャーやコックやポーターに心から感謝感謝。


コックが作ってくれた海苔巻き(美味かった)


5月1日
BC発、7時10分
この登りは3回目なので気が楽だ。C1に11時着
C1はテント3張にした。
15時半頃ロシア隊がアタックから戻ってきた。みんなヘロヘロの状態であったが、でも登頂には成功したと言っていた。本当かなあ~???
この頃から雪が降り始める。


C1はすぐ先

5月2日
昨夜から雪がバンバン降っており、視界もない。隊長判断で本日停滞と決まった。
ゆっくり体を休める。夕方、天気回復の兆しで明日はC2に上がれそうだ。
ロシア隊は悪天の中、降りていった。


5月3日
C1、8時発
シェルパの2人は朝6時に出発していった。今日の核心部をルート工作中であるのが確認できる。氷の上に新雪が乗り少々歩きにくいが、フィックスを辿ればよいだけで、技術的にはなんら問題ない。ただ風がないので暑く、空気もうすいので少々バテ気味で5800mのC2に着12時。明日の午前中は天気が持ちそうなのでアタックできそうだ。明日は早立ちすべく17時40分就寝となる。


C1にて


同じくC1にて(バックに見えるトロンパスも真っ白になった)


C1からC2に向う(上部の核心部)

その3に続く       ガストンガニマタ   


ネパールの記録(カトマンドゥ~マナン)

2010年07月01日 17時44分49秒 | 山行速報(海外)
4月14日~5月18日までタイとネパールに行ってきた。その記録を発表します。

4月17日カトマンドゥ着


ホテルの屋上で、N隊長を囲み、トレッキングのA夫妻も一緒にミーティング


ヒマラヤ登山では有名なK氏と偶然会った


カトマンドゥタメル地区の賑わい


4月19日
カトマンドゥ7時20分発。チャーターバスでベシサハールを目指す。
名前だけは立派なトリブマンハイウェイを走る。日本では国道1号線のような幹線道路であろう。しかし、舗装されているもののお世辞にも良い道とは言えない。
10時50分、ムグリンで昼食
13時40分、ベシサハール着、16時頃より雷雨


ベシサハールの町並み


4月20日
ベシサハール発、6時50分
クディつり橋8時30分
10時50分、ナディバザールで昼食
13時25分、バフンダンダ着。15時頃より雨


このような石畳のアンナプルナトレッキング街道を歩いて行く


4月21日
バフンダンダ7時発
11時40分、ジャガット着、昼食
ボルダークライミングによさそうな岩がゴロゴロしているので、自分勝手にボルダービレッジと命名。
14時15分、チャムジェ着、N氏とA妻がヒルの被害にあう。夕方、道路工事の発破のため、村人全員と共に岩の下に避難。ものすごい発破音で、めったにできない経験だった。その後大きなヒョウが降った


トレッキング街道の道もよくなり、このような怖い橋は少なくなった


道路工事発破のため、村人全員が岩小屋の下に避難する



4月22日
チャムジェ7時10分発
12時、カルテで昼食
15時10分、バガルチャップ着
ホットシャワー付きの快適ホテルで洗濯に忙しい


マニ車を回す、トレッキング隊のA奥様



4月23日
バガルチャップ7時発
ラムジュンとアンナプルナ2峰が見える。
テマングからマナスルが見えた。真っ赤なラリグラスが咲いていた。
ワラビやゼンマイがたくさんあった
10時25分、チャンチョクで昼食
13時30分、チャーメ着


日本にはない、真っ赤なラリグラス(シャクナゲ)



4月24日
チャーメ7時発
昨夜は世界の話で盛り上がった。
9時55分、ピサンピークが見える所で小休止
11時、デクールポカリで昼食
草原の様な気持ちの良い所を行く
13時30分、ロワーピサン着
風が強く、インナーダウンジャケットを着る


いよいよ山が見えてきた。アンナプルナ方面その1


その2


その3



4月25日
ロワーピサン7時発、霜が降り階段が滑ってあぶない
今は使われていない飛行場跡を通る
10時30分、ムジエで昼食
13時20分、マナン着
バラガの寺院のお祭りの見学に行く。弓大会で盛り上がっていた。


4月26日
マナン滞在
朝食に焼きたてのパン、美味かった
高度順応のため停滞、4200mまでハイキング
14時から1500ルピーで乗馬を楽しむが、私の乗った馬は暴れ馬で、まったく手に負えず、馬子が手綱を持ったままで、ちとつまらなかった。洗濯に忙しい日でもあった。
馬やロバの糞が埃になって舞い上がり、それを吸うためか喉が痛くて困った。


高度順応訓練に4200mまでハイキング。気分は登頂成功みたい


その2に続く。     ガストンガニマタ

みなさんお久しぶりです。

2010年05月29日 18時24分17秒 | 山行速報(海外)
みなさん、お久しぶりになります。
無事、ネパールから戻ってまいりました。
山行報告は、ボチボチ書いていこうかと考えております。
帰りは、バンコク経由でしたが、あの一番大荒れの時期でしたので、バンコク市内の観光は諦めて、予定より2日早く帰国いたしました。
              ガストンガニマタ

帰国の途 最終編

2010年01月23日 14時47分10秒 | 山行速報(海外)
帰国の途編

1月1日、なんと今日はガストンの誕生日なんです。若いころから誕生日は山中で迎えることが多かった私ですが、海外で迎えるのは初めてです。ケニアで迎えたので、日本で迎えるより6時間ほど長く若くいられたことになります。


東京まで11830キロ、ケニア山38キロとあった


キリマンジャロ378キロ、ナイロビ180キロ


N氏の名前の都市 赤道の町で似た名前があった


ホテルの庭に出てきた猿?(私はゴリラかと思った)


ホテルの庭にケニア山のジオラマがあるのだが、そのわきに指標があり、東京まで11830キロ、ケニア山まで38キロ、と書いてあった。その中にN氏の名前?があったので、記念撮影をした。
帰国の途につくのに車に乗ったら庭に猿(ゴリラに近い)が出てきた。まったく自然の濃いところである。ナイロビに向かう前に、ナンユキという赤道の町まで行く。ここで「コリオリの力」の実験を見せられ、証明書も大枚5ドルも出して買ってしまった。これは後日インチキであることが分かったが、買うときから「こいつは手品師かな」などと言いながら買ったわけで、最初から疑いは持っていた。ただ、実験がおもしろかったし、インチキでも、その技が上手だったので、今でも悔しいとは思っていない。ここには、お土産屋が十数軒あり、お客をつかまえたら絶対に離さないという、アフリカパワーおばさんの迫力と手法に負けて、帰るに帰れず、だいぶ時間をオーバーしてしまった。


ケニアの赤道通過点 左下にあるのが「コリオリの力」実験用具


アフリカらしい風景 


あとは、ひたすらナイロビ目指して突っ走った。飛行機に乗る前に予定しいていた日本食レストランでの食事は、赤道でのタイムオーバーのため、時間がなくなりランチボックスに変わった。2週間ぶりの日本食はおいしく感じたが、やはり米だけは日本のようにはいかないようだ。


日本食のランチボックス(すし、刺身、テンプラなど)


ナイロビ発16時40分の飛行機に乗り、ドバイ着22時40分。我々先発組は、ドバイ~関西空港~羽田だが、後発組は、ドバイ~インチョン空港~成田なので、乗る飛行機が違う。なので、待ち時間5時間という長い時間を使って、最後のミーティングをドバイ空港で行い後発組と別れた。


ドバイでの最後のミーティング


私たちは、ドバイ発3時30分、関西空港着17時20分。しかし、北海道の大雪の影響で関空~羽田便が遅れ、私が帰宅したのは、時計が1月3日の日付を指してからだった。

(追伸  「コリオリの力」の実験風景は動画に撮ってあります。アップする方法がわかったら、後日このページにアップいたします)

アフリカの山旅 完       ガストンガニマタ

ケニア山その5

2010年01月22日 16時56分14秒 | 山行速報(海外)
ケニア山その5

12月31日、大晦日、マッキンダースキャンプからナロモルのホテルまで下りる日がきた。いよいよアフリカの山ともお別れだ。毎日のことだが、朝のうちは晴れてケニア山が良く見える。もう2度と見ることはないであろうこの景色を目に焼き付けた。バティアンは踏めなかったが、自分の心の中は結構充実している。ガイドのアクシデントがなければ行けたに違いないが、気持ちは登ったも同然の気分である。ネリオンだけでも充実の登攀ができたからであろう。


毎日、朝のうちは快晴なのだが・・・


ケニア山よ楽しませてくれてありがとう、ここでお別れだね


この植物は真ん中に雨水が溜まっている。乾季はこれを飲み水にするとか


グラジョウラスの原種だそうだ


今日は雨に当たらないうちに下まで降りたいものである。植物の写真を撮りながら降りて行く。登るときに休んだ岩の所で昼食になった。コックはここでガスを使い、何かを作ってくれるらしい。俺たちは雨の降らないうちに早く下りたいのに、でもせっかく作ってくれるのだから待っていよう。コックは腕をふるってパスタを作ってくれた。少しのび気味であったが食べられないほど不味くはなかった。


コックは本気で昼食を作り始めた、みんなは早く下りようよ、なんて顔してる


ここにあったプレート


メットステーションまで4時間くらいで降りた。ここに、例の見かけ倒しの車が、お迎えに来ている筈なのだがいない。少し待っているも登ってくる様子がない。あの恐ろしい思いをするなら、歩いて下りたほうがいい、と言う人も出てきて、結局ポーターを含め全員が歩いて下りることになった。途中でとうとうスコールにつかまり、本日も雨の中を歩くことになった。登山口ゲートまでもっと近いと思っていたが、後で聞いたら8キロもあるとのことで、どうりで長く感じたはずだ。例の車であるが、ゲートから少し入ったところでスタックしていた。これではいくら待っていても来ない筈だ。歩いてよかったと思うも、あの車が脱出できなければ、我々はゲートからホテルまで帰れないことになる。ゲートで1時間も待ったろうか、大きな歓声があがった。それはキリマンジャロやケニア山に登頂した時よりも、大きなおおきな歓声だった。見ると車が脱出できたのだ。みんな大喜びで、拍手を送ると、ポーター達は誇らしげにガッツポーズをしていた。


このような日本の風景に似た竹林があった


メットステーションの屋根にはこんな猿がいた 名前は?


そんなこんやでホテルに着いたが、今度はなんとシャワーが出ない。体がサッパリしないまま食事を済ませ、今夜は年越しのカウントダウンに参加しようという話もあったが、全員早々にダウンして寝てしまった。ホテルのバーでは年越しのパーティか、一晩中大騒ぎしていた。

帰国の編に続く      ガストンガニマタ