acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

ネパール(チュルーウェストC2~頂上~BC)

2010年07月03日 13時21分32秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録その3

5月4日
詳しく言えば5月3日の23時2分起床。4日1時出発。パーティは、プーちゃん、Tさん、Nさん、Aさんの4名と、ロメちゃん、サンちゃん、N隊長、ガストンの4名の2パーティに分けた。プーちゃんパーティが先行する。ヘッドランプ頼りで暗い広い雪原を行くのは、ガイドがいないとルートが分からないであろう。先行パーティのトレールとヘッドランプを追う。すると突然トップのロメちゃんの姿が視界から消え、2番手のN隊長がバタっと倒れ、必死にロープを支えている。隊長が「ガストンさんこのロープを固定してくれ」と言う。私は、ここで初めてロメちゃんがヒドンクレパスに落ちたことを認識した。と同時に私はとんでもないミスをしていることを知った。斜面が緩いので両手にはストック、さらに余計なシュリンゲはザックの中であった。ザックを降ろし、ピッケルをザックから外し、さらにザックの中からシュリンゲを出す時間を考えたら、サンちゃんのピッケルとシュリンゲを借りたほうが早いと判断、サンちゃんに借りようとした、と同時にサンちゃんが傍に来てクレパスの中を覗き、自分のロープをロメちゃんに投げた。そのロープをロメちゃんはどのようにして体に付けたかはわからないが、サンちゃんはそれを確認してロープを引っ張り始めた。わたしも一緒に引くとロメちゃんの体が上がってくるのがわかった。「よし、これは上るぞ」と渾身の力で引っ張ると、運よくロメちゃんの姿が見え、無事脱出できた。ロメちゃんはケガもなく元気でホっとした。
やはり日本の山とは違う。ピッケルとシュリンゲを出していなかったことを深く反省した。
この先、登るにつれて地吹雪も強くなり寒さも厳しくなってきた。下着、シャツ、フリース、インナー羽毛服、アウタージャケットの5枚を着ていても寒さを感じた。この寒さで、Nさんは手と足の指に、Aさんは顔面に凍傷を負った。
頂上近くまで来たとき太陽が登った。いままでの寒さがウソのように暖かい。狭い雪稜上で、シェルパ達は「ここが頂上です」と言う。すぐそばにもっと高い所があるではないか。「あれはなんだ?」と聞くと「サミット」と答える。じゃあ「ここはなんだ?」と聞くと「サミット」だと言う。ロシア隊はもっと下までしか登っていないらしい。どうやら富士山みたいなもので、この辺り一角はどこでも頂上らしい。6時1分着
まわりはクレバスも多く、雪庇なども考えてシェルパが判断したのだろう。
時間をかけて高度順応してきたせいか、チンボラソの時のような苦しさはなかった。
少し下り、広い所で日の丸とネパール国旗を掲げ記念撮影をした。すぐに下山開始。あんなに時間と労力と金をかけて来たのに、頂上にいる時間は、ものの数分だ。登山というものはこんなものなのである。風も治まり、照り返しで今度は暑くてどうにもならないくらいだ。下りはC2発10時、だいぶ疲れて足が捗らずC1発15時。
今日はC1で泊まる予定だったのだが、シェルパ達は荷物を背負ってやるから今日中にBCまで降りようと言う。これには逆らえず了承した。シェルパは約束通りC1からは私達の荷物を背負ってくれた。天気は下り坂で、すでに雪が降ってきており、フィックスの下まで降りたら、ポーターがお茶を入れたポットを持って迎えに来てくれた。BCからは3~400mの高差を登ってきてくれたのである。感謝感激。BC着17時30分。あ~あ疲れた。

読者の皆さんには申し訳ないが、なぜかC2の写真がない。完全に撮り忘れたようだ。それに真夜中の行動だったのでアタック中の写真もない。夜が明けて頂上直下の広くなった尾根の所でしか写真が撮れなかった。


やっと夜が明けて暖かくなってきた


頂上直下はクレバスが縦横無尽にはしっていた


頂上直下の広いところで記念撮影


その4に続く                  ガストンガニマタ


ネパール(マナン~チュルーウェストC2)

2010年07月03日 07時13分05秒 | 山行速報(海外)
ネパールの記録その2

ここで我々の目指す山の名前を紹介する。
チュルーウェスト(6419m)トレッキングピークである。
アンナプルナの北方面にある山である。

シェルパと隊員と、その他のスタッフも紹介しておく。
マネージャー  チェトさん
シェルパ  プーちゃん
シェルパ  ロメちゃん
シェルパ  サンちゃん
コック1名、ポーター3名(荷物の殆どはBCまでロバで運んだ)
隊長    Nさん
隊員    Tさん
隊員    Aさん(香港人)
隊員    Nさん(ACCJ東京会員)
隊員    ガストンガニマタ


4月27日
マナン7時30分発
11時55分、チュリ・レダー着
今日はここまで。高度順応訓練に4550mまで登る。いよいよ明日から登山が始まる。頑張らくっちゃー


アンナプルナをバックにプーちゃん、Aさん、Tさん


我々の目指すチュルーウェストが見えた。頂上は右手のピーク。左の稜線から攻撃予定


4550mまで高度訓練

4月28日
チュリ・レダー7時15分発。ここでトレッキングのA夫妻と別れる。
10時30分、チュルーウェストのベースキャンプ4700m着。傍らには小川が流れ、とても気分の良い所だ。
鼻水と、くしゃみが止まらない


チュルーウェストベースキャンプ


4月29日
8時15分、ベースキャンプ発
5200mまで高所訓練
ロシア隊のベースキャンプがあった
せきが止まらない


到着の晩に雪が降り、次の日はこうなった


登る途中からの頂上方面(頂上は見えない)


下部の核心部(その1)


その2


なんて言うんだっけ?雪のこの形(日本では見かけない)


4月30日
BC7時発、C1の5400mに12時着
昨夜のセキの状態では本日の行動は無理かと思ったが、セキ以外の調子はまったく良い。高山病症状の、食欲、気分、頭痛、倦怠感すべて異常無しなのだ。ただし、セキで少々寝不足気味になってしまうのは仕方ない。昨夜はN氏に「ガストンさんは、このまま登ったら死んでしまうかも知れないので、いったんチュリ・レダーに降りたほうが良い」と言われた。肺水腫を心配しての提言であった。でもセキ以外、高山病症状はないので降りる決断はできなかった。
途中にある岩場の200mのフィックスは問題なく通過できる。我々のC1もロシア隊の近くに設営してBCに戻る。BC着15時。
この日、無事登頂を祈念し、コックは腕をふるって海苔巻を作ってくれた。美味かった。
この心遣いにマネージャーやコックやポーターに心から感謝感謝。


コックが作ってくれた海苔巻き(美味かった)


5月1日
BC発、7時10分
この登りは3回目なので気が楽だ。C1に11時着
C1はテント3張にした。
15時半頃ロシア隊がアタックから戻ってきた。みんなヘロヘロの状態であったが、でも登頂には成功したと言っていた。本当かなあ~???
この頃から雪が降り始める。


C1はすぐ先

5月2日
昨夜から雪がバンバン降っており、視界もない。隊長判断で本日停滞と決まった。
ゆっくり体を休める。夕方、天気回復の兆しで明日はC2に上がれそうだ。
ロシア隊は悪天の中、降りていった。


5月3日
C1、8時発
シェルパの2人は朝6時に出発していった。今日の核心部をルート工作中であるのが確認できる。氷の上に新雪が乗り少々歩きにくいが、フィックスを辿ればよいだけで、技術的にはなんら問題ない。ただ風がないので暑く、空気もうすいので少々バテ気味で5800mのC2に着12時。明日の午前中は天気が持ちそうなのでアタックできそうだ。明日は早立ちすべく17時40分就寝となる。


C1にて


同じくC1にて(バックに見えるトロンパスも真っ白になった)


C1からC2に向う(上部の核心部)

その3に続く       ガストンガニマタ