acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


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越後の「日本」を巡る旅③ -日本平-

2023年05月28日 22時13分32秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅③

2023/5/12 日本平

日本平は下田・大谷ダムの上流、五十嵐川右岸尾根にある
地形図に「日本平」と表記されているが三角点や標高を示すものはなく概ね標高860mくらい

登山道はないが、三条市経済部営業戦略室発行の「下田山塊・山岳地図」に踏み跡・廃道としての記載がある
ネットの記録では、3~5月の残雪を利したものが多い
おそらく融雪の早い今年は、すでに藪に埋もれていることだろう

当然、この日本平を目指すというよりはその先の中ノ又山を目指す記録が多く、その途中の山という位置づけだ

越後の「日本」を巡る旅
三座目はこの日本平で締めくくる

前夜は、道の駅・漢学の里しただ で車中泊
結構な冷え込みで午前4時に気温は1℃

大谷ダム・大江大橋先の路側場まで移動し車を置く
ここから先は通行止め
国道289号(いわゆる八十里越)は数年後、会津側への開通を目指し工事中

舗装路をしばらく歩くと、お先真っ暗なトンネル
トンネルは通過しないなずだなと思い、戻る
周りの景観に見とれながら漫然と歩いていたので、誤って新道方面へと入ってしまったらしい

気を取り直して旧道をいく
道端の草葉に霜が降りている
5月の半ばで、霜か

そうこうしながら、川クルミ沢
右岸にある観測所まで行くとその先に踏み跡が見られる
しばらく行くと目印が現れ、それを辿る

沢を二度渡ると目印も見当たらなくなり、「ルーファイを楽しんでくださいね」という意思を感じる

まずは一段上がって緩傾斜の開けた場所まで
見渡すと日本平に直登尾根とその右に尾根があり、登路の候補となる
直接尾根が正解かなとは思ったが、その途中に谷が切れ込んでいた
そちらに行くには少し戻り、渓を渡らねばならない

右の尾根もなんとか行けそうなので、そちらを詰めあがることにした
途中、岩場もあるが灌木豊富で木登りピッチ
とはいえ、滑り落ちればタダでは済まない急傾斜だ

登り切れば笹と灌木などが茂る、軽めの藪
尾根を忠実に詰めていくと、目印が復活

やはり、本来は直接尾根が正道なのだろう
帰りはこちらを辿ってみることにした

ここからは藪も背丈程度になり本格的なヤブコギ
グレードで言えばⅡ~Ⅲ級くらいだろう
目印も断続的についているので、迷うことはない
途中、少し開けた場所で背後に守門岳が見えた
さすが名山の風格漂う雄大さだ

やがて地形図上の日本平ピ-クだが、ただ藪があるだけ

目印は五平衛小屋、中ノ又山方向へついている
もちろん、山頂を示すようなものはなく、確かめるにはGPSしかない
ここを目指すなんてどんなモノ好きだよ、と言いたくなるが自分のことなので悪態もつけない

光明山、粟ケ岳、矢筈岳、青里岳
下田山塊の同定が楽しい
昨日登った日本平山へも尾根で繋いでいけるのか
縦貫したらスゲぇな

ふと、近くに目を移すと隣に緩やかな頂が見える
地形図を見れば標高は同じくらいで緩やかに繋がっている

この「日本平」の名の由来はネットで検索したが、見つからなかった
しかし、もしかしたらこの隣の峰と「二峰つながった平らな場所」というような意味なのではないか
そんな推察をしてみる

下山は目印を追っていくが、やはり途中で見失う
こんな場面もよくありがちとはいえ、やはり少しは心細くなるものだ

「お-い!」

遠く後方から、そう聞こえた
振り返るが、誰もいない
目を凝らし、耳を澄ますが再びその声を聞くことはなかった

おそらくは、動物や草木のさざめきによる悪戯
こちらの心細さ故の、聞き違いだろう
そうとは思えども、心中穏やかではない
もし妖や山神さまがいるとするならば、「気を緩めるなよ」という呼びかけか

「一声呼び」という怪異伝説もある
返事はせずに、そっとその場を後にした

しばしの彷徨もGPSでの確認を多用して、無事往路に合流
「山神さま、ありがとう」心の中で唱える

舗装路に出れば日差しは夏の如し
清々しい風に吹かれながら歩くのは実に楽しい

越後の「日本」を巡る旅
それぞれの個性を持った山を楽しむ

日本国、日本平山、日本平
そして、笹川流れ、持倉鉱山跡、越後平野
今日の怪異は気のせいだったことにしておく

自然と歴史とエトセトラ
山だけではない、日本のすばらしさを知る旅でもありました

もちろん

初日は「村上海鮮はらこめし」に「燕背油ラーメン」
二日目「下田ごんぼっ葉笹団子」
最終日に十日町で「へぎそば」を食し、この山旅を美味なるもので彩っていた次第です


sak

 

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅①「下越・日本国」へ
越後の「日本」を巡る旅②「川内山塊・日本平山」へ


↓動画も

 

 


越後の「日本」を巡る旅② -日本平山と持倉鉱山跡-

2023年05月27日 22時46分15秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅②
日本平山

2023/5/11 日本平山

道の駅みかわで夜を明かす
早朝、この地域特有の朝霧が濃い

日本平山への登路はいくつかあるが、一番登られている大須郷(中山道ルート)から歩き始める
幸い、あの環形動物は見当たらない

ゆったりとした傾斜の道を行く
朝露のついた草木で濡れるかと雨具を着て登り始めたがそれほど濡れることはなかった

五十母清水で水分補給
とにかく距離を稼ぐ

人分山へは登山道から30m奥に入る
景色がいいので休憩にはもってこいの場所
山里は霧の海に沈んでいる

その先からは時に残雪が現れる
踏み跡はしっかりしているが残雪に覆われると道を失いやすい
目印はほどほどにあるのだが、本格的なハイキングシーズン前もあって脱落も多い
注意が必要だ

大池は雪に囲まれていた
新緑と残雪、そして水面と空
トンビが空に輪を描いていた

そこからは残雪多くチェーンスパイクを装着。
登山道も雪の下でGPS(スマホアプリ)がないと道迷いしそうだ

残雪に埋め尽くされた季節なら、藪を気にせず上へ上へと向かえば何とかなるが、
所々に藪が出ているから、やはり踏み跡を追うのがベストだ
とはいえ、時に道をロストする

新緑に萌え、事あるたびに見上げてしまう
森の息吹
木々も生き物たちも春を謳歌している

日本平山の山頂はぽっかりと丸い平坦地
雪は解け、山頂標識や三角点、蛙の石祠も顔を出している
どうして山頂の石祠に蛙なのだろうかと、いろいろ調べてみたが明確な解は見つけられなかった
※ご存じの方がいたらご教授ください

「日本平山」という山名は、志賀重昂の『日本風景論』では二本平山と記されており、
二本(ウマの背に2個の荷物を振り分けて乗せる)つけたウマでも通れる平らな山だと伝えられたことから、そう呼ばれていたらしい
それがいつしか「にほんたいらやま」⇒「日本平山」となったのだろう

下山は往路を戻る
とはいえ、雪を積極利用できる場所は尾根の雪堤を拾っていく

春の日
緩んだ雪にチェーンスパイクも通用したが、雪が堅ければアイゼンが必要だろう
特に沢筋をトラバースする場所は傾斜が急で滑落の危険もあるので要注意

下山後、五十母川沿いの林道へと車を走らせる
途中の小広い路側帯に車を置いて、崩落した林道を歩く

向かったのは遺構、持倉鉱山跡

持倉鉱山は、江戸期に会津藩主が奉行を派遣し採鉱したのが始まり
その後、明治三十五年に新発田の寺田助松氏が蛍石を採掘中に銅鉱床を発見
明治三十九年、五泉の実業家・小出淳太氏が寺田氏が得た採掘許可を買い取り、
明治四十一年にはこの事務所と製錬所が山中に建設され、本格的な銅山経営がスタート 

その後、大正八年十月に三井鉱山が買収するも、鉱床に恵まれず大正九年には閉山
戦後は五十島鉱業㈱が昭和三十年代まで蛍石を採掘していた

明治四十一年建設というと1908年だから実に115年の年月がこの建造物には流れている
この豪雪地帯にあって永きにわたり崩落をしつつもこの姿を残しているのは、重厚なカラミ煉瓦によるものなのだろう

独特な紋様をもつそれに時の深さを見る
惹きつけられるのは、歴史と文化
そして、人が暮らしてきた証

 

越後平野の田園を走る

緑の沃野
この風景も受け継がれてきた文化財産

想像で、時を旅する
畦に咲く蒲公英が、やけに黄色く見えた


sak

 

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅①「下越・日本国」へ


越後の「日本」を巡る旅③「下田山塊・日本平」へ

↓動画も

 


越後の「日本」を巡る旅① -羽越国境・日本国-

2023年05月26日 17時49分51秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

越後の「日本」を巡る旅①
羽越国境・日本国

春の大型連休期間、
私的には金曜日だけが休日というゴールデンウィーク(否、フライデーウィ-クか)だったことはさておき、
その後に確保した平日の3連休はどこに行こうか

残雪の縦走?
沢初め?
それとも遠征?

どれも魅力的ではあるけれど、山行を憂う時もある
そんなとき、のんびり巡る旅に出る
「山」はちょっとしたアクセント
そんな気軽さが、今は心地いい

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅
それぞれ違う味わいの三山を、車中泊で繋ぐことにした
思い立ったら、Go!Go!Go!

はじめに新潟と山形のくにざかいにある、日本国を目指す

2023/5/10 日本国

職場から、直行で登山口へ
なんとか午前3時に村上市小俣まで
4時間ほど仮眠をとって、好天のもと準備を整える

日本国の標高は555m
例年、5月5日に山開きイベントがあるのだが、「令和5年」の今年は
「令和5年5月5日に登る555m峰」ということで大層盛り上がったらしい
それから遅れること5日(!)
この地へと赴いた

小俣の日本国ふれあいセンターには車が数台
小学校の跡地らしく、プールや校舎跡があり元校庭と思しき場所が駐車場となっている

平日の早朝にもかかわらず、すでに車が数台
人気の山であることが伺える
理由はやはり、「日本国」という山名と555mという五並びの標高にあるのだろう

Go!Go!Go!
もちろん昨夜の道中、郷ひろみさんの「エキゾチックジャパン」を注入済みなのである

それはさておき、行きましょうかね

道路向かいの登山口から針葉樹の植林を行く
しばらくでラジウム清水という水場
蛙たちの憩いの場らしくあちこちで蛙の掛け合いが聞こえる

そこから淡々と登り行くと広葉樹の明るい植生が目立ってくる
新緑が眩しい
萌える草木と生き物たちの喧騒
溢れる生命力に触れ、こちらにも活力が湧いてくる

蔵王堂ルートの合流点では、朝日岳と飯豊の山々を遠望

この3連休に飯豊の縦走計画も俎上には上がった
しかし、今日はここにきてよかった
この山が、私を呼んでいたのだ

ここから山頂へはもうひと登り
途中、「日本国」の山名解説板がある

<中部北陸自然歩道の解説板>

なるほど江戸時代からそう呼ばれることになったのか
山でありながら、〇〇山とか、△△岳ではなく、日本国!
命名したと伝わる徳川十代将軍、徳川家治もセンスが良い

山頂には展望台や休憩舎があって、その向こうに日本海
ここから見る海は、ことのほか広くて青い
そして風が心地よい

 

下山は蔵王堂ルートへ
萌える木々、草叢、そして生き物たち
日本国には生命が溢れていた


山頂から眺めた日本海に沿って車を走らせる

笹川流れの海岸線は岩塔と白い砂浜、蒼い海が美しい
磯辺にはウミネコ、イソギンチャク、そして漣

行け!行け!行け!
風が背中を押してくれている
そんな気がした


sak

 

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅②「川内山塊・日本平山」へ


越後の「日本」を巡る旅③「下田山塊・日本平」へ


↓動画も