acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

谷川岳・一ノ倉沢烏帽子岩南稜

2002年09月25日 14時55分08秒 | 山行速報(アルパイン)

2002/9下旬 谷川岳・一ノ倉沢烏帽子岩南稜

合言葉

合言葉は「イチノクラ」であった。 
夫婦登山を始めた頃の事だ。 
登ろうなんて、これっぽっちも考えていなかった。 
ビギナ-丸だしが精一杯背伸びをしてそれらしく語るオカシさ を頻繁に引き合いに出してはよく二人で笑ったものだ。

それから数年、私はここで会のメンバ-を見送った。 
小さくなってゆく姿を見送り、口を尖らせながらうつむいた。 
悔しさを滲ませながら西黒沢を歩いた記憶はまだ新しい。 
あれから一年、短いようで長かった。 
ようやくこの日が訪れた。 
この日をどれだけ待ちわびたことか。

 

再会

再会はすでに約束されていた。 
奥秩父の沢を堪能した後、温泉に浸かりながら。 
「沢は沢でも・・・。」それが今の合言葉だ。

 現場監督さん 、  安藤さん 、そしてさかぼう。 
一ノ倉沢出合で再会を果たした三人はおもむろに見上げた。 
これから行く岩壁を。

しばらくは沢伝いの踏跡を行く。 
沢伝いを遮られた所で左岸を巻くが右岸が正解らしい。 
しかし右岸から沢床への懸垂下降は渋滞しており、左岸のほうが時間的には 利があった。

その場所

衝立が行く手に大きく立ちふさがる。 
その根元へと向けてテ-ルリッジを登って行く。 
岩と潅木を交えたリッジを淡々と進むと雷撃のような轟音がとどろく。 
思わず動きが止まる。何が起きたのか一瞬戸惑い辺りを見まわす。 
そしてまた轟音が響き渡る。 
山行中、何度となくスノ-ブリッジの崩壊音は繰り返した。

中央稜取り付きで身支度を済ませたら烏帽子沢奥壁、 基部トラバ-スに移る。

「私が山で死亡事故を初めて目撃したのが烏帽子沢奥壁、基部トラバ-ス でのことだった。」 
どこかの山岳誌のコラムで読んだ時のイメ-ジが強く残っていた。 
まさにその場所まできたのだ。 
もちろん「眺めるため」ではない。今の私達にはその先がある。

コ-ル

上から、下からコ-ルが聞こえる。 
遠く、近く。 
耳元に声を感じて振り向くと遥か彼方に揺れる赤いヘルメット。 
その割にトップとセカンドとのコ-ルは不思議と届かなかったりする様は 、傍から見たら喜劇といっても良いかもしれない。

「あっ、ラク!」と後方遥か上から聞こえた。 
振り向くとひとつの落石が落石を引き起こし石車となってけたたましく落下して行く。 
落下の先にはひとつの隊列があった。 
皆が「ラ-ク!ラ-ク!」と叫んだ。 
落石は身をかがめた隊列の上に降り注いだ。 
硝煙がたちのぼり、やがて静寂が戻った。隊に被害はなかった。 
息を呑む一瞬の出来事。 
不謹慎かもしれないが、まるで映画のワンシ-ンである。 
これがイチノクラ。強烈な印象が脳裏に刻まれる。

南稜テラスから登攀は始まる。 
トップを切ってサクサクといいたいところだが、如何せんザイルが重くてかなわない。 
ラインの問題と思われるが、早くも課題を出されてしまう。 
そんな様子を見かねて現場監督さんがピッチを切ることを推奨した。 
彼の存在は精神的支柱としての安心感がある。 
さかぼうは残置ピトンとチョックスト-ンを利用して確保体勢に入った。

 

没頭

スルスルとザイルは伸びる。 
後半、トップを行くのは安藤さん。 
淀みのないリズムとスム-スなザイルワ-クで 
フェイス、リッジ、クラックへと私達をいざなう。

頭を空っぽにして懐かしの漫画を読みふける。 
休日の午後に昼寝をする。 
ココロに響く山旅を堪能する。 
没頭できる瞬間を見つけるのはたいへんな幸せである。 
馬の背を登る二人
指先に伝わる岩の感触。 
高度感のあるリッジ。 
ヒヤっとさせられる浮石。 
思いきり重力に反発をしながら登ってゆく快感。


今の自分と出会えたのは、いつもあの空の向こうを見つめていたから。 
いま、どの辺りだろう。 
何処まで来たのだろう。あとどれくらいあるのだろう。 
シアワセはあと幾つ見つけられるのだろう。

核心 

馬の背リッジの爽快な景観を快適に登りきると小さなチムニ-を行く。 
脆い岩々に冷や汗をかきながらトップの安藤さんに感謝をする。 



そして最後に現れるのが核心のフェイスである。 
カッチリしたホ-ルドを探しながら行くも斜度が強く、岩から体が引き 剥がされる感覚に緊張が走る。 
リラックスにと深く吐いた息が岩に跳ね返されて頬をかすめる。 
見上げれば壁の終わりはもうすぐだ。 
しかし、その少しの距離がなかなか遠い。 
四肢のバランスを考えながら焦らず地味に行けば次第に先行した二人の 会話がハッキリと聞こえてくる。 
最後は思いきり腕を伸ばして右手でガバを掴めば安心して体を引き上げられる。

憧憬

終了点からは6ルンゼを下降せず、一ノ倉岳を目指した。 
クラシックこそ、先人の労に敬意を表して頂まで詰めて行きたい。 
やや色づきはじめた稜線を涼しい風に吹かれながら三人が行く。

「沢は沢でもイチノクラ」 
一時は、ゆめのマタ夢だった。

しかし憧憬は眺めるためだけのものではないと確信した。 
言い訳は諦めるための理由にはならない。 
充実の満足感とかけがえのない経験がそれを証明してくれた。 
さかぼうは感謝した。 
この山に、この谷に、そして仲間に。

sak


南会津・大幽東ノ沢~丸山岳

2002年09月05日 14時52分46秒 | 山行速報(沢)

2002/9上旬 南会津・大幽東ノ沢~丸山岳

拝啓

素敵な言葉の羅列ほど無力なものはない。 
こうしてこの場に立っているとそう思う。

自然のなかで人は人として生きている。 
水は流れて海へとそそぐ。

大体、なぜこれほどまでに川は流れつづけるのだろうか。 
清冽な瑞々しい水というものが涸れることなく湧きつづけられるのか。 
それだけとってみても「奇跡」というべき出来事のように思えてならないのだ。 
山から海へ、海から空へそしてまた山へ。 
その隅っコに私達がいる。 
そう思えば何も欲張ることなどないのではなかろうか。

南会津、大幽東ノ沢から。


原始の森

穏やかな流れを穏やかに遡って行く。 
太陽に輝く瀬の水面も、豊富な水をたたえる淵も、見惚れる瀞も、 私の心を満たしてくれた。

しかし、勘違いしてはならない。 
それらが優しいと感じるのは、思い上がりである。 
機嫌を損ねることのないよう細心しながら生きていかねばならない。 
それが原始の森に生きる動物の流儀でもある。

サブウリの廊下で私はサルになり、カモシカとなり、岩魚となった。 
岩を攀じるも岩棚を進むも廊下に泳ぐも誰も拒みはしない。 助けてもくれない。 
ただひとつ言えるのは生きていけるか、そうでないか、だ。

狩猟動物

廊下を泳ぎ最後の小滝を乗越すと窪の沢出合。 
今宵の停泊場所であり、ゴキゲンな幕場がそこにある。

先ずはツエルトを張り流木を集める。 
ひと仕事を終え、一服を済ませたらおもむろに竿を出す。 
釣果の期待などさらさらない。 
ただ、森に生きるこの瞬間に狩猟動物の真似事をしたまでだ。 
秋の気配を予感させる高い空にテンカラ竿がしなることはなかった。


三度目で火の手は上がった。燃え盛る炎に安堵した。 
パンツ一丁になって焚火に当たる。 
それが乾けば替えの衣類で身も心も温まる。

深緑の谷に白煙が流れる。 
流木は灰となって大地を癒す。

亡骸

一瞬、目を疑った。しかしそこには流れを遡るネズミの姿があった。 
実に器用にスピ-ディ-な行動である。 
ときに水流に完全に没しながらもサクサクと遡行していく。 
その果敢な姿に時を忘れて呑気に見失うまで見惚れてしまった。

東ノ沢支流、葦ノ沢へと進むと途端に傾斜が増し、小滝が幾つか現れる。 
5mほどのチョックスト-ンは右側を行くがなかなかどうして 一歩が踏み出せない。 
体重を移動しつつ乗越す瞬間に足を滑らせ滑落した。 
幸い怪我もなく事無きを得るが、大いに反省させられた。 
ここでの下降は懸垂下降を余儀なくされるであろうと登り終えてから 目印を打っておいた。

決して整然と並んだ植林の森ではない。 
豊潤な原始とのふれあいに己の野生も刺激を受けているかといえば、 そんな覚悟は毛頭ない。観光気分といわれてもそれを否定する言葉もない。 
カモシカの亡骸を前に悲哀の感情を持つことからしてそのことが浮き彫りとなる。 
どうしたってこの溝は埋まらないであろう。 
たとえ私が死して土に返ろうとも。

空中戦

稜線へ最後の詰めでイヤらしい草付きの急傾斜に出くわした。 どれをとっても、か細い草にとてもじゃあないが登れる気がしない。 
すこし戻って、草むらを左に進む。 先ほどの壁より岩が露出しており、手がかりは多いようだ。 
気は進まなかったが、意を決する。

稜線にあがれば、猛烈なネマガリタケが待っている。 
足を取られ、体を跳ね返され、まさに七転八倒。 
時には足が地面につかない”空中戦”もしばしば。


視界は薮にさえぎられ、方向感覚はあまりない。 
ただ斜面を登る事に従事した。 
コンパスで方向確認などしたところで草原に辿りつく保証などない。 ひたすら上を目指すのみである。

遭遇

なんにでも弱点はある。心持ち薮の扱いにも慣れて来た頃、 前方20m先にポッカリと草原が広がっていた。

あまりの突然に、美しさに、私は言葉を忘れた。 
一筋の踏跡は過去につけられた縦走構想の跡でもある。 
これが山頂へと伸びているのは明らかだ。

薮の入り口に目印を打ってから、一歩一歩、確かめるようにそして 大切に踏跡を辿った。

 

丸山岳

南会津の深々たる山々にあって丸山岳とはいささか迫力に欠けた山名である。 
地図を開けば城郭朝日山・高幽山・会津朝日岳・梵天岳・火奴山など いかにも深山の風格を備えた山名に思える。 
沢にしても大幽沢・スギゾネ沢・西実沢など風情を思わせ、メルガマタ沢 に至ってそのネ-ミングは芸術的とすら言える。

その南会津、駒ケ岳・朝日岳山群のほぼド真ん中のあって「丸山岳」とは、 南会津ファンの私にとって大いに不満の想いがあった。

しかし、しかしである。一目して私は思った。 
丸山岳は丸山岳で良かったんだと。間違いじゃあないんだと。 
不満なんてとんでもない。そこは丸山岳しか有り得ないんだと。 

溜め息

山頂草原にツエルトを張ったらあとはボケッとするだけだ。 
草原に寝転び空を見上げてあくびなどしてみる。 
「あ-あ、ヒマだな-」なんて贅沢を言ってみたりもする。

寝転んだままに首を右にコロッと回すと昆虫達の目線だ。 
草原に生活する小さな小さなクモが草草にぶら下って、 なぜだか、下がったり上がったりを繰り返していた。 
アリ達は寡黙に彷徨し、虻は無軌道な飛行線を描いていた。 彼らに私の存在はどのように映っているのか想いに更ける。

滾々と湧き出す生命感。

私は今、ココにいる。そして生命に溢れている。 
それだけで充分じゃないか。 
自分の愚かさに思わず溜め息がでる。 

爽快感

遠くで鳥の声が聞こえた。 
断末魔の叫びにも似た不気味な声だった。 
不吉な目覚めに心の脆さを突かれた思いだ。

昨夜から一抹の不安があった。 
あのヤブを通って正確に沢床へと辿りつくことができるかどうか。 
印は打ったがそれすら回収できるかどうか怪しいものだ。

懐かしい会津朝日と三角山
天気が良いのが救いである。 
懐かしき風景に安堵しながら昇ってきたお日様におはようの挨拶をかわした。

交錯 
吊橋が見えると、この山旅も終わりを迎える。 
寂しい気持ちとホッとする気持ちの交錯する一瞬である。

決して楽じゃないフィ-ルドにこれほど魅力を感じるのは 私がヒトだからなのかも知れない。 
辛くて、寂しくて、楽しくて、嬉しくて。 
それを感じられるすばらしい能力をもっているからなのだと思う。

積年の想いがやがて現実となる。 
決して結果や評価など問題ではない。 
快心の想いを目指して創造の畑を耕す事を知っている動物はヒトだけだから。

 


sak