<筑波山の風景・8>
坊主山
双耳峰とは二つの代表的な頂を冠する峰のこと。
もちろん、筑波山も双耳峰の代表格
男体山に女体山
御幸が原を最低鞍部に、まさにネコ耳の如き両峰
しかし、角度を変えればもうひとつの頂が現れる。
それが坊主山だ。
両主峰に比べては高度上、見劣りするものの筑西より望むそれは、すっきとした弧を描き美しい。
男体山、女体山に坊主山。
筑波ファミリ-は、両親に一男の三人家族ということか。
坊主山は筑波隠しとも言われ、神格化される二つの主峰に比べて、山頂は至ってシンプルだ。
坊主というだけあって、家族というよりは、神の道半ばの小僧とでもいうべきか。
質素な頂は、修行中の証でもあろう。
想像するに至れば、好感が持てる風景のひとつだ。
sak
<筑波山の風景・7>
前衛峰
筑波山の麓に古い町並みを残した集落がある。
つくば市北条。
彼の地を語る上で決して外せない一人の人物がいる。
多気城主6代常陸大掾(ひたちだいじょう)、多気義幹(たけのよしもと)。「多気太郎さま」と地元で呼ばれている。
常陸北条は平安時代から鎌倉時代初期まで約250年間、多気(たけ)氏が支配。多気氏は平将門を滅ぼした平貞盛の子孫であり、
一時は常陸国の大半を領有するほどの権勢を誇っていた。
多気義幹(多気太郎)は、北条の町を見下ろす多気山(たけやま)に居城を構えた。
それが、筑波の前衛を守る山の歴史、現代ではその歴史からであろう、「城山」(129m)と呼ばれる。
筑波山の手前、小高い山が城山
城山は筑波山頂より見て、平地にぽっかりと浮かぶ孤島のようにも映る。
城山に興味を抱いたのはそんな山頂から目に付き、一方で北条からの以外に立派な眺めからであった。
しかし、その実態は驚きの結末となった。
登山道すら明瞭でなかったものの、その標高から、適当に登れば道はあるだろうとタカをくくっていたものの、
意外にも薮に囲まれ、時には岩を攀じるという薮コギハイキングとなった。
そうして、行き着いた先は、開発の進んだ現状。麓からは窺い知れる事のなかった光景が広がった。
後に調べてみると、城山は法人の所有となっており、法人施設建設が進んでいるのだそうだ。
知らずに立ち入った無礼は恥じるが、歴史の遺構も時代の流れには逆らえない。
山頂付近より筑波山
その昔、多気義幹(多気太郎)が居城を構え、現代でもまた礎が築かれようとしている。
筑波の前衛という位置的にも、またロケ-ションも、ランドマ-クとしてこの上なく、それは歴史にも裏づけられているといっていいだろう。
出来得ることならば、城山が、この機会に広く人々に開かれる山となって貰いたい。
sak