acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

筑波山の風景<8> 坊主山

2010年04月29日 00時43分41秒 | 筑波山の風景

<筑波山の風景・8>

坊主山

双耳峰とは二つの代表的な頂を冠する峰のこと。
もちろん、筑波山も双耳峰の代表格

男体山に女体山
御幸が原を最低鞍部に、まさにネコ耳の如き両峰
しかし、角度を変えればもうひとつの頂が現れる。
それが坊主山だ。



両主峰に比べては高度上、見劣りするものの筑西より望むそれは、すっきとした弧を描き美しい。
男体山、女体山に坊主山。
筑波ファミリ-は、両親に一男の三人家族ということか。

坊主山は筑波隠しとも言われ、神格化される二つの主峰に比べて、山頂は至ってシンプルだ。
坊主というだけあって、家族というよりは、神の道半ばの小僧とでもいうべきか。
質素な頂は、修行中の証でもあろう。
想像するに至れば、好感が持てる風景のひとつだ。

sak

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筑波山の風景<7> 前衛峰

2010年04月19日 09時38分59秒 | 筑波山の風景

<筑波山の風景・7>

前衛峰

筑波山の麓に古い町並みを残した集落がある。
つくば市北条。
彼の地を語る上で決して外せない一人の人物がいる。
多気城主6代常陸大掾(ひたちだいじょう)、多気義幹(たけのよしもと)。「多気太郎さま」と地元で呼ばれている。
常陸北条は平安時代から鎌倉時代初期まで約250年間、多気(たけ)氏が支配。多気氏は平将門を滅ぼした平貞盛の子孫であり、
一時は常陸国の大半を領有するほどの権勢を誇っていた。
多気義幹(多気太郎)は、北条の町を見下ろす多気山(たけやま)に居城を構えた。
それが、筑波の前衛を守る山の歴史、現代ではその歴史からであろう、「城山」(129m)と呼ばれる。


筑波山の手前、小高い山が城山


城山は筑波山頂より見て、平地にぽっかりと浮かぶ孤島のようにも映る。
城山に興味を抱いたのはそんな山頂から目に付き、一方で北条からの以外に立派な眺めからであった。
しかし、その実態は驚きの結末となった。

登山道すら明瞭でなかったものの、その標高から、適当に登れば道はあるだろうとタカをくくっていたものの、
意外にも薮に囲まれ、時には岩を攀じるという薮コギハイキングとなった。
そうして、行き着いた先は、開発の進んだ現状。麓からは窺い知れる事のなかった光景が広がった。
後に調べてみると、城山は法人の所有となっており、法人施設建設が進んでいるのだそうだ。
知らずに立ち入った無礼は恥じるが、歴史の遺構も時代の流れには逆らえない。


山頂付近より筑波山

その昔、多気義幹(多気太郎)が居城を構え、現代でもまた礎が築かれようとしている。
筑波の前衛という位置的にも、またロケ-ションも、ランドマ-クとしてこの上なく、それは歴史にも裏づけられているといっていいだろう。
出来得ることならば、城山が、この機会に広く人々に開かれる山となって貰いたい。

sak

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筑波山の風景<6> テラス

2010年04月14日 00時08分32秒 | 筑波山の風景

<筑波山の風景・6>

テラス



急傾斜についた6畳ほどのテラス。
冬ならば、葉も落ちてご覧の通り。

筑波の南面、関東平野を見渡す展望。
切れた足元の縁に立てば、まるで空中に浮かんでいるかのような錯覚さえ覚える。



大地が朝焼けにじんわりと染まっていく。
しんと張り詰めた朝の空気を次第に揺るがす喧騒。

そうして一日は始まるのだ。

黄昏。
幾分、だるさを纏った空気感になかに、最後の輝きを放つシ-ン。
斜陽に浮かび立つ大地。輝きたつ空。遠き山並みのシルエット。
そして闇。

そんな営みが、日々繰り返される。
ここで一泊というのもイイ。

sak

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筑波山の風景<5> 鎖場

2010年04月08日 01時30分51秒 | 筑波山の風景

<筑波山の風景・5>

鎖場



筑波にも鎖場がいくつかあるらしい。
そういえば、つつじヶ丘からの女体山直下に手摺のようにあったような。
とはいえ、そこは鎖場と言い難いが。

その他の場所と、思い起こして見ても記憶にはなかった。
さまざまな記述を探ると数箇所にあるらしい。

気づかない場所にひっそりと。
ほんのわずかなモノだけど。
その謙虚さがなかなかイイのだ。

sak

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筑波山の風景<4> 奇石

2010年04月01日 10時00分07秒 | 筑波山の風景

<筑波山の風景・4>

男岩

筑波山には奇石が数ある。
弁慶七戻りを一として、大仏岩、北斗岩、セキレイ岩、ガマ岩、立身岩などなど。
山中に点在する。



いろいろな文献やネットで調べてみたものの、名称不明な奇石を見た。
登山道からほんの少し外れたところにそれはあった。
その形状、男女川源流に近いことから、仮称「男岩」と呼んでみる。
しめ縄があることから、それなりに名称や伝説もある事だろうと想像する。

山道からは拝することが出来ないためか、解説や標識もないのが残念だ。
ほど近くには、「女岩」らしきも。
何方か、ご存知の方がいらっしゃると嬉しいのだけれど・・・。
もう少し調べてみたい。

sak

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