acc-j茨城 山岳会日記

acc-j茨城
山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

会越・浅草岳~鬼が面山

2023年11月15日 19時50分42秒 | 山行速報(登山・ハイキング)


2023/11/1 会越・浅草岳~鬼が面山


秋を歩く

彩りに満ちた、径を行く
田子倉から浅草岳、鬼が面山を辿って六十里越へ


六十里越の登山口に車をデポして、田子倉の登山口を目指す
歩けば2時間掛る所を、持参の自転車で約20分ダウンヒル

途中でiphoneを車に忘れたことに気付く
しかし「山と高原地図」もあるので、まぁなんとかなるだろうと気にせず自転車で滑走を続けた

田子倉の休憩所から中崎尾根を目指すが、途中で入叶津に至る踏み跡に入り込む
野趣あふれる道だなと思ったもののしばらく進み、浅草岳が背後に鎮座しているのを見てルートミスを確信する
iphoneのGPSアプリがないだけでこれかよ、と暗澹たる思い
手元にある24年前の地図にこの道はなく、詰めの甘さを反省するほかない

とはいっても、まだ時間は十分ある
「人生に寄り道はつきものです」との言い訳に励まされながら往路を戻る
約1時間半のロスだった

浅草岳への登路に復帰し、しばらくはゆったりとした道を樹々の彩りに癒されながら歩く
大久保沢の水場で小休止
ここからは急な登りとなる

次第に冬枯れの様相になっては来るが、南会津と会越、奥只見の景観も広がる
剣が峰では田子倉湖や鬼が面山東面の岩壁が美しい
もちろん、行く手に鎮座する浅草岳は重厚な山容を横たえている

左に草原が見えてくると山頂まで一投足
同定を尽くせないほどの山々が広がる

頂は旅の終着点ではない
皆、その先を信じて前に進む

鬼が面山までの径は小刻みなアップダウンを繰り返す
そして、東面の絶壁

斜きかけた陽に燃ゆる山襞と影
秋を行く心情、そのものだった

北岳を横目に進むと、鬼が面山
眼下に田子倉、只見が見下ろせる
秋色に染まった絨毯に田子倉ダムの水面が青く鮮やかだ

南岳までの道は一部足元注意
尖塔に立てばこれまで歩いてきた道を一望できる

旅路を振り返る
立ち止まり、山の深さを知る
衰えて尚、足元に気づきを得る
それが何事にも代えがたい

秋を行く
私たちは白秋の先に何を見るのか

空はどこまでもついてくる

 

sak

 

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越後の「日本」を巡る旅③ -日本平-

2023年05月28日 22時13分32秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅③

2023/5/12 日本平

日本平は下田・大谷ダムの上流、五十嵐川右岸尾根にある
地形図に「日本平」と表記されているが三角点や標高を示すものはなく概ね標高860mくらい

登山道はないが、三条市経済部営業戦略室発行の「下田山塊・山岳地図」に踏み跡・廃道としての記載がある
ネットの記録では、3~5月の残雪を利したものが多い
おそらく融雪の早い今年は、すでに藪に埋もれていることだろう

当然、この日本平を目指すというよりはその先の中ノ又山を目指す記録が多く、その途中の山という位置づけだ

越後の「日本」を巡る旅
三座目はこの日本平で締めくくる

前夜は、道の駅・漢学の里しただ で車中泊
結構な冷え込みで午前4時に気温は1℃

大谷ダム・大江大橋先の路側場まで移動し車を置く
ここから先は通行止め
国道289号(いわゆる八十里越)は数年後、会津側への開通を目指し工事中

舗装路をしばらく歩くと、お先真っ暗なトンネル
トンネルは通過しないなずだなと思い、戻る
周りの景観に見とれながら漫然と歩いていたので、誤って新道方面へと入ってしまったらしい

気を取り直して旧道をいく
道端の草葉に霜が降りている
5月の半ばで、霜か

そうこうしながら、川クルミ沢
右岸にある観測所まで行くとその先に踏み跡が見られる
しばらく行くと目印が現れ、それを辿る

沢を二度渡ると目印も見当たらなくなり、「ルーファイを楽しんでくださいね」という意思を感じる

まずは一段上がって緩傾斜の開けた場所まで
見渡すと日本平に直登尾根とその右に尾根があり、登路の候補となる
直接尾根が正解かなとは思ったが、その途中に谷が切れ込んでいた
そちらに行くには少し戻り、渓を渡らねばならない

右の尾根もなんとか行けそうなので、そちらを詰めあがることにした
途中、岩場もあるが灌木豊富で木登りピッチ
とはいえ、滑り落ちればタダでは済まない急傾斜だ

登り切れば笹と灌木などが茂る、軽めの藪
尾根を忠実に詰めていくと、目印が復活

やはり、本来は直接尾根が正道なのだろう
帰りはこちらを辿ってみることにした

ここからは藪も背丈程度になり本格的なヤブコギ
グレードで言えばⅡ~Ⅲ級くらいだろう
目印も断続的についているので、迷うことはない
途中、少し開けた場所で背後に守門岳が見えた
さすが名山の風格漂う雄大さだ

やがて地形図上の日本平ピ-クだが、ただ藪があるだけ

目印は五平衛小屋、中ノ又山方向へついている
もちろん、山頂を示すようなものはなく、確かめるにはGPSしかない
ここを目指すなんてどんなモノ好きだよ、と言いたくなるが自分のことなので悪態もつけない

光明山、粟ケ岳、矢筈岳、青里岳
下田山塊の同定が楽しい
昨日登った日本平山へも尾根で繋いでいけるのか
縦貫したらスゲぇな

ふと、近くに目を移すと隣に緩やかな頂が見える
地形図を見れば標高は同じくらいで緩やかに繋がっている

この「日本平」の名の由来はネットで検索したが、見つからなかった
しかし、もしかしたらこの隣の峰と「二峰つながった平らな場所」というような意味なのではないか
そんな推察をしてみる

下山は目印を追っていくが、やはり途中で見失う
こんな場面もよくありがちとはいえ、やはり少しは心細くなるものだ

「お-い!」

遠く後方から、そう聞こえた
振り返るが、誰もいない
目を凝らし、耳を澄ますが再びその声を聞くことはなかった

おそらくは、動物や草木のさざめきによる悪戯
こちらの心細さ故の、聞き違いだろう
そうとは思えども、心中穏やかではない
もし妖や山神さまがいるとするならば、「気を緩めるなよ」という呼びかけか

「一声呼び」という怪異伝説もある
返事はせずに、そっとその場を後にした

しばしの彷徨もGPSでの確認を多用して、無事往路に合流
「山神さま、ありがとう」心の中で唱える

舗装路に出れば日差しは夏の如し
清々しい風に吹かれながら歩くのは実に楽しい

越後の「日本」を巡る旅
それぞれの個性を持った山を楽しむ

日本国、日本平山、日本平
そして、笹川流れ、持倉鉱山跡、越後平野
今日の怪異は気のせいだったことにしておく

自然と歴史とエトセトラ
山だけではない、日本のすばらしさを知る旅でもありました

もちろん

初日は「村上海鮮はらこめし」に「燕背油ラーメン」
二日目「下田ごんぼっ葉笹団子」
最終日に十日町で「へぎそば」を食し、この山旅を美味なるもので彩っていた次第です


sak

 

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅①「下越・日本国」へ
越後の「日本」を巡る旅②「川内山塊・日本平山」へ


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越後の「日本」を巡る旅② -日本平山と持倉鉱山跡-

2023年05月27日 22時46分15秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅②
日本平山

2023/5/11 日本平山

道の駅みかわで夜を明かす
早朝、この地域特有の朝霧が濃い

日本平山への登路はいくつかあるが、一番登られている大須郷(中山道ルート)から歩き始める
幸い、あの環形動物は見当たらない

ゆったりとした傾斜の道を行く
朝露のついた草木で濡れるかと雨具を着て登り始めたがそれほど濡れることはなかった

五十母清水で水分補給
とにかく距離を稼ぐ

人分山へは登山道から30m奥に入る
景色がいいので休憩にはもってこいの場所
山里は霧の海に沈んでいる

その先からは時に残雪が現れる
踏み跡はしっかりしているが残雪に覆われると道を失いやすい
目印はほどほどにあるのだが、本格的なハイキングシーズン前もあって脱落も多い
注意が必要だ

大池は雪に囲まれていた
新緑と残雪、そして水面と空
トンビが空に輪を描いていた

そこからは残雪多くチェーンスパイクを装着。
登山道も雪の下でGPS(スマホアプリ)がないと道迷いしそうだ

残雪に埋め尽くされた季節なら、藪を気にせず上へ上へと向かえば何とかなるが、
所々に藪が出ているから、やはり踏み跡を追うのがベストだ
とはいえ、時に道をロストする

新緑に萌え、事あるたびに見上げてしまう
森の息吹
木々も生き物たちも春を謳歌している

日本平山の山頂はぽっかりと丸い平坦地
雪は解け、山頂標識や三角点、蛙の石祠も顔を出している
どうして山頂の石祠に蛙なのだろうかと、いろいろ調べてみたが明確な解は見つけられなかった
※ご存じの方がいたらご教授ください

「日本平山」という山名は、志賀重昂の『日本風景論』では二本平山と記されており、
二本(ウマの背に2個の荷物を振り分けて乗せる)つけたウマでも通れる平らな山だと伝えられたことから、そう呼ばれていたらしい
それがいつしか「にほんたいらやま」⇒「日本平山」となったのだろう

下山は往路を戻る
とはいえ、雪を積極利用できる場所は尾根の雪堤を拾っていく

春の日
緩んだ雪にチェーンスパイクも通用したが、雪が堅ければアイゼンが必要だろう
特に沢筋をトラバースする場所は傾斜が急で滑落の危険もあるので要注意

下山後、五十母川沿いの林道へと車を走らせる
途中の小広い路側帯に車を置いて、崩落した林道を歩く

向かったのは遺構、持倉鉱山跡

持倉鉱山は、江戸期に会津藩主が奉行を派遣し採鉱したのが始まり
その後、明治三十五年に新発田の寺田助松氏が蛍石を採掘中に銅鉱床を発見
明治三十九年、五泉の実業家・小出淳太氏が寺田氏が得た採掘許可を買い取り、
明治四十一年にはこの事務所と製錬所が山中に建設され、本格的な銅山経営がスタート 

その後、大正八年十月に三井鉱山が買収するも、鉱床に恵まれず大正九年には閉山
戦後は五十島鉱業㈱が昭和三十年代まで蛍石を採掘していた

明治四十一年建設というと1908年だから実に115年の年月がこの建造物には流れている
この豪雪地帯にあって永きにわたり崩落をしつつもこの姿を残しているのは、重厚なカラミ煉瓦によるものなのだろう

独特な紋様をもつそれに時の深さを見る
惹きつけられるのは、歴史と文化
そして、人が暮らしてきた証

 

越後平野の田園を走る

緑の沃野
この風景も受け継がれてきた文化財産

想像で、時を旅する
畦に咲く蒲公英が、やけに黄色く見えた


sak

 

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅①「下越・日本国」へ


越後の「日本」を巡る旅③「下田山塊・日本平」へ

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越後の「日本」を巡る旅① -羽越国境・日本国-

2023年05月26日 17時49分51秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

越後の「日本」を巡る旅①
羽越国境・日本国

春の大型連休期間、
私的には金曜日だけが休日というゴールデンウィーク(否、フライデーウィ-クか)だったことはさておき、
その後に確保した平日の3連休はどこに行こうか

残雪の縦走?
沢初め?
それとも遠征?

どれも魅力的ではあるけれど、山行を憂う時もある
そんなとき、のんびり巡る旅に出る
「山」はちょっとしたアクセント
そんな気軽さが、今は心地いい

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅
それぞれ違う味わいの三山を、車中泊で繋ぐことにした
思い立ったら、Go!Go!Go!

はじめに新潟と山形のくにざかいにある、日本国を目指す

2023/5/10 日本国

職場から、直行で登山口へ
なんとか午前3時に村上市小俣まで
4時間ほど仮眠をとって、好天のもと準備を整える

日本国の標高は555m
例年、5月5日に山開きイベントがあるのだが、「令和5年」の今年は
「令和5年5月5日に登る555m峰」ということで大層盛り上がったらしい
それから遅れること5日(!)
この地へと赴いた

小俣の日本国ふれあいセンターには車が数台
小学校の跡地らしく、プールや校舎跡があり元校庭と思しき場所が駐車場となっている

平日の早朝にもかかわらず、すでに車が数台
人気の山であることが伺える
理由はやはり、「日本国」という山名と555mという五並びの標高にあるのだろう

Go!Go!Go!
もちろん昨夜の道中、郷ひろみさんの「エキゾチックジャパン」を注入済みなのである

それはさておき、行きましょうかね

道路向かいの登山口から針葉樹の植林を行く
しばらくでラジウム清水という水場
蛙たちの憩いの場らしくあちこちで蛙の掛け合いが聞こえる

そこから淡々と登り行くと広葉樹の明るい植生が目立ってくる
新緑が眩しい
萌える草木と生き物たちの喧騒
溢れる生命力に触れ、こちらにも活力が湧いてくる

蔵王堂ルートの合流点では、朝日岳と飯豊の山々を遠望

この3連休に飯豊の縦走計画も俎上には上がった
しかし、今日はここにきてよかった
この山が、私を呼んでいたのだ

ここから山頂へはもうひと登り
途中、「日本国」の山名解説板がある

<中部北陸自然歩道の解説板>

なるほど江戸時代からそう呼ばれることになったのか
山でありながら、〇〇山とか、△△岳ではなく、日本国!
命名したと伝わる徳川十代将軍、徳川家治もセンスが良い

山頂には展望台や休憩舎があって、その向こうに日本海
ここから見る海は、ことのほか広くて青い
そして風が心地よい

 

下山は蔵王堂ルートへ
萌える木々、草叢、そして生き物たち
日本国には生命が溢れていた


山頂から眺めた日本海に沿って車を走らせる

笹川流れの海岸線は岩塔と白い砂浜、蒼い海が美しい
磯辺にはウミネコ、イソギンチャク、そして漣

行け!行け!行け!
風が背中を押してくれている
そんな気がした


sak

 

自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅②「川内山塊・日本平山」へ


越後の「日本」を巡る旅③「下田山塊・日本平」へ


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栃木・太平山

2022年12月30日 22時23分02秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2022/12/27 栃木・太平山(おおひらさん)

 

 


慌ただしい毎日に
思いきり寝過ごした休日は
もう、陽も高くって
出かけようという気にもなれないけれど
青空と、お日様に急かされて
車を走らせる

歩きに行こう
午後の陽を浴びて、街を見下ろす
遠くじゃなくても
険しくなくても
ココロ満ちれば、そこがはじまり

さあ、行こう
行先はどこでもいい
その時君が選んだ道は、一番行きたい場所に繋がってる
それが正義だ
今まで歩いてきたように


衝動的な休日は
日常を全部忘れて
やりたいことだけ
誰を気にせず、楽しむことができるだろ
あの山と、神集う場所目指し
靴紐を締め直す

ここから山道
木漏れ日を浴びて、木々を見上げる
ちょっと急でも
岩だらけでも
ココロ満ちれば、脚は軽やか

 

さあ、行こう
行先はもう分かってる
その先にあるあの頂が、一番行くべき場所に違いない
それが真理だ
ここまで辿ってきたように


闇を怖れてた
凍みのような塊が蠢いて
でも前に進みたい、ただそれだけで

その先はどこへ行く
これまで選んだ道が、どこに行くのか
それでも進め

さあ、行こう
行先はどこでもいい
その時君が選んだ道は、一番行きたい場所に繋がってる
それが正義だ
明日へ、今までみたいに


sak


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秋田駒ケ岳

2022年10月29日 22時45分23秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2022/10/18 秋田駒ケ岳


■山行の核心

変わりやすい秋の空の如く、不安定な休日予定。
急遽、出社となったり、はたまた休暇となったり。
そんな日々がここの所、続いている。

無論、山行計画も同様。
ドタキャンで迷惑かけてしまうという思いから、単独しかも急遽の計画が最近多い。

残念な変更がある一方、嬉しい誤算もあったりするもので今回、急遽連休となった。
そして、ひとり山計画に思いを巡らす。

しかしながら、初日は全国的に荒天。
しからば、2日目に賭けるしかない。

密かに想いを寄せていたのが秋田駒ケ岳ハイキングの計画。
秋田は自分にとって、若かりし日々を過ごした地。
とはいえ、現在の住まいから移動距離は片道約500km。
なかなか遠い。
あの頃に山に入れ込んでいればと、思うのは今更ながら。

悪天の初日を移動日として、2日目は早めの下山で帰路につくという計画。
言わずもがな、今回の核心はこの帰路にある。(※もちろん下道です)


■萌え萌えキュンっ

前夜、適当に車を走らせて、眠くなったら適当に寝る。

初日の天気はやはり思わしくなく、偵察がてら八合目駐車場まで行ってみるがガスと雨で展望はなく、風も強い。


紅葉は中腹が盛りで、立ち寄った乳頭温泉(蟹場温泉)の露天風呂は遠路疲れを癒すに充分だった。

後は適当に田沢湖駅前を散策したり、車の中で寝て過ごす。
夕食の買い出しで食料品店を覗くと、秋田の食材を見かけてあの頃を思い出す。
歳を重ねると追憶に浸ることが多くていかん。

それにしても車中泊で食べる食料品店の総菜(割引あり)は、何故こんなにも美味しいんだろう。
普段、単身赴任先で同じようなものを食べることもあるのだけれども。

山行へのワクワク度がおいしさをUPさせているのだろうか。(※個人的な感想です)
とあるカフェの「萌え萌えキュンっ」みたいなものか。(※未経験ですが)


■山を巡って、癒しの計画

2022/10/18

誰もいない八合目駐車場。
朝日に照らされた山々を眺めながらの気持ち良い歩き。
歩き始めから森林限界なんて、とってもお得。
むしろお得感が強めで、罪悪感を感じてしまうのは私だけではあるまい。

寒気が入って気温は氷点下。
風も幾分強いが雨具と手袋、耳当てがあれば無問題。
気分がなんとなく盛り上がってきた頃に田沢湖の展望。
振り向けば男女岳が大層立派だ。

一投足で、阿弥陀池。
霜の降りた木道を滑らないようにポクポク歩く。

避難小屋で一休みしたら横岳。
砂礫の大焼砂を下る。
秋田駒ケ岳、峰々の造形が美しい。

砂礫、岩稜、噴火口。池に草原。
行く手には、岩稜の男岳と地熱で蒸気の立ち昇る女岳。

国見温泉への登山道を見送ってカルデラの窪地へと下る。
一筋の径を行く。
錦秋の時期には少し遅かったけど、それでもここには魅せられるものがある。

 
=癒し、満たされる瞬間って?=
 
たとえば、「ハイキング」でいうのなら、こうだ。
まず、好天は外せない。
暑いとか、寒いとかそれはそれで何とかしようじゃないか。
最初の歩き始めは息が上がるかもしれない。

しかし、しかしだ。
ほどほどに歩いて、ほどほどに身体が温まったなら、呼吸も楽になってくるはずだ。
それこそ身体が「ゾーン」に入った証。
ここからが楽しいハイキングの始まりと言ってもいい。

そうしたら、まわりの景色を楽しむんだ。
ゆっくり、ゆっくりとな。

もう、わかっただろ。
そう。癒され、満たされる瞬間。
それは、自分の足でしかたどり着けない場所まで歩くことで、生きている実感を体で感じる。
これでしょ。

山上の池と草原最高!
燻る火山最高!
とろけたプリンみたいな噴火口最高!
ちょっと罪悪感を感じたとしても、八合目からの登山道最高!

来てよかった。
そう思える場所がそこにあった。


■akita effect

下山後はかねてより、興味のあった国見温泉に立寄湯。
風情ある善き湯であった。

さて、帰路である。
ナビはgoogle先輩にお願いすることとして、国見温泉(岩手)からでも山形経由が近いらしい。
往路を戻って秋田(大仙)から南下し、庄内、福島へと向かう。

ふと食料品店を見かけ、昨夜見かけた地の食材を思い出す。
地元の食材は土産物屋ではなく、地元食料品店で探すのが断然オモシロい。

はたはた、じゅんさい、とんぶり。おはよう納豆に、たけやのパン。
稲庭うどんは、あの端っこのところが安価で良き。
「きりたんぽ」はできたてが一番なのでパス。
「がっこ」はお好みで数種類。味どうらくの里も買いだろう。
オランダせんべいは酒田(山形)だけど、塩味が絶妙な逸品。
加えて、飛良泉と刈穂の吟醸。

カゴに入れるたび、秋田で過ごした日々の記憶が蘇る。

初めての独り暮らしをしたこと
たいあん弁当の「とりから大盛」をよく食べたこと
”なべっこ”で、しこたま酔ったこと
一晩で車が埋没する豪雪に苦労したこと
そして、あの娘と初めて手を繋いだときの温もり

地元のAMラジオで懐かしき地方言葉を聞きながら、余韻を楽しむ。
温泉入って、ハイキングして、また温泉入って、土産物を買って、想い出に浸る。

あれ?
これってもしかして、山行というより、観光?

否、akita effectと言っておこう。


(※あの娘=嫁、です)


sak


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南会津・田代山~帝釈山

2021年12月31日 15時23分13秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2021/11/16 南会津・田代山~帝釈山


はじまりのやま


私がはじめて「死」を意識したのが、田代山だった。

さしたる難所もない、山頂が湿原となっている山だ。
当時、趣味としていた四輪駆動車での林道探索の延長で、本格的な登山の経験も装備もないまま、風雨を忍て登山を決行した末の出来事であった。
季節は6月。
とはいえ、全身を濡らし風に叩かれれば、山を知っている者なら事態は想像に容易い。
下山後の温泉は非常に熱く、それゆえ「生」を実感し、そして安堵した。

一方でそんな体験をしたにもかかわらず、登山に傾倒したもの事実だった。

なぜか。

11月。
季節こそ違うが、今の自分にそれを問いたい。
そして、南会津・田代山に向かった。


晩秋の朝。

猿倉登山口はすでに冬支度。
トイレも閉鎖され案内板も雪囲いされていた。

寒いくらいの身なりで歩き出す。
しばらく歩けば、体温も上がってちょうどいい。

あの時は風雨の中、ビニールポンチョで歩いていた。
それで風雨をしのげるはずもなく、すぐに全身濡れてしまう。
さらに歩行ペースなど考えずにガムシャラに登った。
そういうのが「登山」だと思っていた。

今日は樹幹からこぼれる朝陽が眩しい。
そして静かだ。

やがて、木道が現れると小田代。
視界も開けてテーブルマウンテン田代山の端縁を見上げる。
木道には霜が降り、滑らぬように慎重に行く。

田代山は山頂が湿原となっている。
もはや積雪を待つばかりの草木。
反時計回りの木道を行けば池塘は氷で覆われていた。

あの日、私の山に対する観念が変わった。
山頂草原一面に揺れるワタスゲ。
息を呑んだ。
未だ見ぬ自然への憧憬が動き始めた瞬間だった。

その先に、何があるのか。
もっと知りたいと思った。

全身は濡れぼそり喘ぎながらも、その興奮のままに帝釈山への道を進んだ。
今思えば、衝動に突き動かされただけの行動だ。

そして帝釈山に着くころ、その衝動は後悔に変わっていた。

雨は強まり、風に叩かれた。
足元はおぼつかなくなり、時に転倒。
泥水に膝をつきながら、「死」を意識した。

なにもかもが足りていなかった。
知識も装備も判断も。
幸運だったのは、そんな状況で道を外すことがなかったことだろう。

復路、避難小屋に立ち寄った。
今思い返すと、食料は何を持っていたのか思いだせない。

ひとつ覚えているのは、登山前に勇んで用意していたガスとコンロで湯を沸かしたことだ。
反面、味噌汁を持参したつもりが、持っていたのは味噌別売の「フリ-ズドライ野菜」。
なんともちぐはぐな、情けない話だ。

白湯に乾燥野菜。
一口啜る。
わずかな野菜の旨味が私を救った。
あたたかな食事は偉大だ。

あの時の湯気の匂いを思いつつ、避難小屋前。
扉は冬囲いが施されていた。
囲いを外せば、入ることはできるのだが、立ち寄ることはしなかった。
自分の黒歴史ともいえる、この扉を開くのが少し怖かったのかもしれない。

郷愁に駆られ、帝釈山までの往復。
今となってはなんてことない道で「死」を意識した自分を振り返る。

帝釈山で流れ込むガスに雪の予感。
そういえば昨夜のラジオでも北から寒気が入り、天気は不安定と報じていた。
復路を急ぐが、田代山湿原はすでにガスの中。

下山途中に霰が降り出す。
クマザサの葉を叩く霰降る音は、疎らな拍手のようだ。
若かりし彼に、今の私はどう映るだろうか。
おそらくあの日、彼と私が出会い、手を差し伸べていたら、彼は山に惹かれることはなかっただろう。

その後、彼は山に惹かれ、情熱を傾けた。
そして現在。

彼は山で死を突きつけられ、初めて自分の「生」への執着を知った。
私は、それを実感するために山を続けてきた。

落葉松の落葉が林道を染める。
オレンジロードを走りながら想う。

生きていることの実感。

安堵に浸った温泉は、あの日と変わらず熱かった。


-はじまりのやま-

あの日の出来事。
追憶の山を訪れて。

sak

 


奥多摩・日の出山~三頭山

2020年03月20日 23時24分53秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2020/3/3 日の出山~三頭山


年度末。
年間休日を消化すべく、三連休を取得することになった。
北岳を計画してみたが、二日目以降の天候が思わしくない。
これでは眺めも何もなく「北岳に来ただけ」となりかねない。

山は好天が吉。
頭に浮かんだのは、奥多摩の山景を繋ぐプラン。
日帰りとしては「長め」のトレイルだけど、好天の「眺め」に期待を込めて。


午前四時、青梅市柚木町の無料駐車場を出発。
ほど近いセブンイレブンの明かりが眩しい。
近くには記念館やドラックストアなどもある、ありふれた市街地。

こういう場所は意外と登山道の入り口が判りにくい。
初見でヘッデン頼りだったなら右往左往しただろう。
闇夜に住宅地を徘徊し、そのうえ近所の飼い犬などに吼えられたなら、不審者扱いも免れまい。

通報。職質の上、連行。そして山行中止。

そんなスト-リ-が思い浮かぶ。
だが、ここでお巡りさんの世話になるわけにはいかない。
その事態だけは忌避すべく、事前偵察の甲斐もあり無事山道に入る。

しばらく行くと三室山。
開けた山頂から闇に沈んだ街に灯景が瞬く。
遠くで始発列車が線路を鳴らす。

そして、日の出山。
地平線が焼け、空は水面のよう。
遠く筑波山。爪楊枝ほどに見える東京スカイツリ-。
その傍らからの朝暉。
闇が次第に光で癒されていく。

日の出山から見る、日の出。
これがこの山旅の始まりだ。

しかし、ここで大きなミスを犯していたことを知るのは翌日のこと。
緊急時に光って知らせる黄色いアンテナを持つ”彼”がここにいたならば、あのような事態にはならなかったのだが。
すべては、あとの祭りだ。

そんなことは露ほども思わず先を急ぐ。
向かう御岳山にはいくつもの宿房が見える。
参道では様々な信仰の石碑が連なり、さながら「講」の総本山。

早朝故、誰ひとりいない境内でおいぬ様(狼)にご挨拶。
本坪鈴に隠れハ-トを見つけたり、序盤は「ゆるり山旅」の様相。

ここからは奥多摩らしい山々を繋いでいく。
奥ノ院、鍋割山を経て、大岳山。
道中、陽光に輝く東京湾を見る。
同じ東京とはいえ、奥多摩から東京湾が望めるとは思わなかった。

大岳山からは富士山が大きい。
この眺めは人々を魅了する。
木々の枝葉の膨らみに春を予感する。

鋸山を越え御前山への道中。
「山火事注意」の看板が落ち葉に埋もれていた。
見やすく設置し直そうと拾い上げるが、何となく違和感。

それは、「山火事注意」の看板にもかかわらず、彼が「懸垂下降」している事。
よく見ると、「下山時は滑落事故に注意しましょう」ともある。
なるほど。
しかしながら、懸垂下降とは少し脅かし過ぎなのではないか?

ちなみに、彼は東京消防庁のキャラクタ-「キュ-タくん」。
緊急時には黄色のアンテナが光り危険を察知する能力を持っているらしい。
もう少し前に出会えたならと、山行記録をしたためている今思う。

御前山は意外と遠い。
目前の峰を越えると、その先にまたも峰。
眺望も少ないので淡々と行く。
むしろトレ-ニングには丁度いい。

惣岳山から小河内峠へ向かう途中はヤセ尾根の様相。
反面、小河内峠をすぎると穏やかな尾根が続く。
車やバイクの走行音が聞こえてくると奥多摩周遊道路は近い。

月夜見山は微かに期待していた場所のひとつだった。
月見するに良い穏やかかつ眺望の利く頂を想像していたが、むしろ正反対。
杉が林立し、眺望はない。
その名の由来は知る由もないが、植樹事業によって姿を変えてしまったのかもしれない。
しかし少し目線を変えてみれば、俊立する杉の樹幹から溢れる陽光は美しかった。

山道が車道を縫うように進み、風張峠。
車道と離れ、行き交うエンジン音から解放されると、鞘口峠。
ここから三頭山への登りは、山行のクライマックスでもある。

三頭山は東峰、中央峰、西峰の3つの頂から成る山梨県との国境。
東峰には展望デッキがあり、今日歩いてきた山並みを一望できる。
そしてその先に霞む街並み。

下山はエメラルドグリ-ン色の奥多摩湖面を目指して三頭橋へ。
バス停で1時間半ほど気長に待ち、乗客のない奥多摩駅行きに乗る。
結局、最後まで貸し切り運行となった。

奥多摩駅からは電車で二俣尾駅まで。
公共交通機関を使う山登りはいつ以来だっただろうか。
電車に揺られ、ウトウトしながら線路の継目を通過するジョイント音が心地いい。
今朝、遠くに聞いたあの音だ。
もうすでに車窓は暗闇に包まれていた。

後日談。

どうやら日の出山山頂で「捜索ヘリサ-ビスココヘリ」受信機の入ったポ-チを置き去りにしてしまったらしい。
翌日、運営会社からのメ-ルで事態が発覚した。

事の次第は、こうだ。

私の後に登頂した方が拾得し警察に届出。

ココヘリ捜索専用の電話番号をポ-チに記しておいたことで、警察から運営会社へと連絡が入る。

受信機に記されたIDから私にメ-ルで告知。

ともかく、警察へ届けていただいた方には感謝感謝だ。
もしポ-チに遭難時の連絡先を記していなかったら、何処で失くしたのかさえ分からず迷宮入りするところだった。
山行始めに、お巡りさんの世話になるわけにはいかないと誓ったものの、ここは素直にお世話になるほかあるまい。

数日後、所轄警察署の窓口に伺った時のこと。

遺失届を記入し無事手続きを終えたあと、お巡りさんから辛口コメント。
「これ(ココヘリ)を落としてしまっては、遭難もできないですねぇ」

もちろん、私は真顔でこう答えた。
「そうなんです」

 

sak


奥多摩・日の出山~大岳山

2020年02月12日 11時38分09秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2020/1/24 奥多摩・日の出山~大岳山

 

今日は、歩きたい気分。
そういうときもある。

前夜、奥多摩の地図で周回できそうな登路を探した。
僕らの住む町から望める山々。
日の出山から御岳山、そして大岳山へと繋ぐ。
スタ-トは養沢神社。
しばらくは舗装路を行くが、途中林道が崩落している場所もあるので要注意。

山を歩く。
体が目覚めていく。
感性も然り。
そして発見がある。

来てよかったと思う。


養沢鍾乳洞跡を通り過ぎ、程よい登り。いくつかの登山道に合流し、指導標に促され日の出山を目指す。

山頂はガスに巻かれていた。
僕らの住む町を一望する目論見は霧散したが、山並みを流れる雲間に切れ切れになった街が見える。

山に登る。
空が見える。
雲が見える。
遠く、僕らの住む街が見える。

御岳山は山頂に武蔵御嶽神社の座する、山岳信仰の地。
宿坊連なる表参道につづく石段。
そこここに、隠れた物語が配され、楽しい。

御岳山からは奥ノ院、鍋割山へ。
靄に煙る林間が美しい。

大岳山は本来眺めの良い頂なのだが、この日は360度の真っ白け。
何も見えない頂。
独り。
雲の中にいる実感。

少しだけ雪の匂いがした。

sak


精進湖パノラマ台~三方分山

2020年02月10日 11時23分42秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2020/1/22 精進湖パノラマ台~三方分山

 

前週、kei2さんが精進湖から三方分山~パノラマ台を歩いたという。

何か引っかかるものがあったのは、少年時代に端を発する。
40年近くも昔の夏。家族旅行での出来事だ。

精進湖畔の宿に身を寄せ、湖畔越しに仰ぎ見る富士の雄大さに魅せられたものだった。
記憶を辿り始めると、宿での何気ない出来事を思い出す。

湖畔からの眺望が500円紙幣に印刷されたものに似ていると興奮したこと。
(正しくは、雁ケ腹摺山山頂からの景色だそうだ。)
姉と二人、湖面に水切り石を何度も投げたこと。
父から禁じられていたビデオゲ-ム(アーケ-ドゲ-ムともいうようだ)をこの夜限りに許されたこと。
今は亡き母との数少ない旅の一つであったこと。

そういえば宿の名は何だったかな?
などと思い出を手繰り、行きついたのが「パノラマ台」への登路での出来事だった。

その登路は宿の脇から始まっていた。
15分くらいで登れるのだろうと高をくくって姉と二人で登り始めた。
つづら折りの急登、はるか眼下に精進湖の湖面。

最初は、ずいぶん高くまで登ったことに高揚した。
そしてもう少しでたどり着くのではないかという期待。

裏腹に、このまま進んだら帰れなくなってしまうのではないかという不安。
登るにつれ、それが大きくなっていったのは言うまでもない。

「もう帰ろう。」

どちらともなく、そう切り出した。
そして、無言のまま下り始めた山道。

下り終え、父から「どこ行ってたんだ」と叱られた反面、心から安堵した。

40年の時を遡り、今思う。
あの先には、どんな景色が待っていたのだろう?

そんな山旅も一興。

結局、目指したパノラマ台から富士を眺めることはかなわなかった。
どうにか、富士を望めないだろうかと三方分山までの上り下り。

結局、ちっとも景色には恵まれない山旅だった。
しかし小さな胸の痞えが癒えた山旅でもあった。

時は過去を美しくする。
精進湖畔からの富士は変わらぬ美しさであった。


sak