acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


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川内山塊・矢筈岳

2004年04月15日 16時48分36秒 | 山行速報(雪山・アイス)

2004/4中旬 川内山塊・矢筈岳

日和の道具 


兆候は前からあったのだ 
なぜ?と思えるココロの微妙な漣に翻弄されるのは、まあ珍しいことではない 
日和の訳はそこここに 
山に一歩入ればすでに期待と後悔とがごっちゃになって些細なことで一喜一憂を繰り返す

単調な登りと悪雪ですでにヘトヘト 
日和っちゃうかなぁ。いや、待てよ。癒し系に日和なんてあるのか? 
すでに違った方向性への自問自答に苦しみながら、日和の道具はデポすることとした 
そう、私は山ヤだ。山ヤに竿など、あんまり必要ないのだ。  

残雪の廊下

手元の藪を掻き分けながら「やっぱ止めときゃよかったなぁ」なんて思ってみても お天道様はピカピカ輝く 
そして手の甲に無数の生傷が光る 
傷口は日に焼けしばらくはドス黒く痕となる。それはそれで思い出に残るはずで、 さかぼうはニタニタ笑いしながらご満悦

梢の向こうにカモシカを見る 
その影に導かれ獣の径を行く 
時折ベッタリとした残雪の廊下にそぞろ歩けばハッとするような御木に出会える 
そう、これだ。きっとこれに違いない 
これに出会うために私はここまで来た。そんな馬鹿げた思い込みだってあながち馬鹿にはできません 
またこの御木に会いに来たくなる。そんな日が来る様な気がしてならないから  

本質はそこに 

幕をたたみ、いくらか雪の多くなった稜を行く 
それでも例年より雪は少ないようで、一向に薮は衰えない 
ワサワサと闇雲に進んではとてもじゃない 
根元を見極めると扱いも少しは楽になろうか 
自分なりにこれらは慣れてきていると思ってはみるけれどそれでも時たま溜息が出る

やがて川内のほとんどは薮に覆われる 
本質はそこにある。そんな気が漠然としている 
それを見ずして川内をやったなどとはとても言えない 
そして今日もお天道様はピカピカ輝き、さかぼうはニタニタ笑う


こだわりの理由

それはいつもどこからともなくやってくる 
胸に残ったひとカケラがどこともなく引っかかって 
次第に熱を帯びて憧れとなる

今早出の源頭を歩く 
一気呵成に落ち込むこの姿は人を惹きつけるにふさわしい 
雪に埋もれ未だ全容を現さぬ姿にホッとする 
もっとも美しく、もっとも壮大な姿 
それを堪能するシュチュエ-ションは自分なりに決めているから

 

浪漫 

いくつの峰を越えただろうか 
いくつの谷を見おろしただろうか 
そして頂。この深さはそこらにおいそれとあるもんじゃない

薮と険谷に守られた頂はあえて写真に納めず帰ることにした 
それが浪漫といえばそんな気もする 
が、実際はこの記憶を美談に仕上げようという魂胆なのかもしれない 
ホントのところ、よくわからない。ただきっと素直になれるときは来る 
いつの日か。その日がくるまで 

川内の記憶

残雪輝くこの山行を紐解くとき 
あの御木が、今早出が、矢筈の峰が、おそらく消えることはない 
むしろそれらはどこともなく引っかかる 
いや、もうすでに引っかかっているではないか 
あの谷に、薮に、峰に想い馳せれば時間は止まる 
憧れの本質は意外と竿先にあったりもする

川内の記憶。 
見上げる夕暮れに月は確かに微笑んでいた

sak