今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「ラ・カージュ・オ・フォール~籠の中の道化たち~」

2012年01月22日 16時45分22秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2012/01/14マチネ
【出演】
ジョルジュ(「ラ・カージュ・オ・フォール」経営者)鹿賀丈史
ザザことアルバン(ジョルジュの情婦) 市村正親
ジャン・ミシェル(ジョルジュの息子)原田優一
アンヌ(ミシェルの恋人)愛原実花
ハンナ(カジェルの一員)真島茂樹
シャルタル(カジェルの一員)新納慎也
ジャクリーヌ(レストラン経営者)香寿たつき
ダンドン議員 今井清隆
ダンドン夫人 森公美子 ほか


今年の初観劇は14日に観た「ラ・カージュ・オ・フォール」でした。
そのあと感想を書かないままに一週間も経ってしまいましたが、たしかその前にこの舞台を観たのは2008年。一最初に観たのが1993年か4年だったっけかな?、ミシェル役が西川忠志さんでしたから。(後記:ちがった! 1997年でした。)
それで、 前回では何だかすごく泣きながら観ていたような記憶があったので、その時自分がどんな感想を書いていたか掘り起こしてみたら……無いのよね~、これが。どうやら前回も前々回も観劇記を書いてなかったみたい。
みたい、って、書いた記憶もないんだけど(笑)
書いといて忘れていることもあるし、なんか書いたような気もするけど、とうとうボケ始めたのか?(笑)
でもこうして纏めて書くことはしてなくても、ニフティのパソコン通信やmixiの誰かの日記かなんかで、たぶん噂話くらいはしていたんだと思う。
たしか1997年の時に、「(想像していたよりも)石丸さんの足がきれいだった」という話を誰かとしていたもの(笑)

で、観るごとにますますとナイト・クラプのゲイの皆さんの足がきれいになっている気がするんですけど??
そ~れ~は、二階席から観るからか、それともストッキングが進化したか?、いやいや、きっと彼ら(彼女ら?)のお手入れの賜物に違いない! 見習わなくちゃ~!(笑)

見習わなくちゃ! といえば、毎回まじまじと見てしまうのはザザのお化粧のシーン。「マスカラ」は大好きな場面で、「え?! そんなところまでチークを塗るの?」とか、「つけ睫毛(まつげ)の威力ってすごい!」とか、一昨年に観たストレートプレイの「楽屋」という作品でもそうだったけど、どういうわけか、私は他人がお化粧しているのを見るのが好きなのよね。
自分がお化粧してもあまり変化している気がしないから、人がお化粧して美しくなっていく過程が面白いんだもん。 ましてやザザの変わり様はまさに劇的。舞台化粧の派手さもあるけれど、仕上がりの顔から全身から「私を見て!こんなに美しい!」というパワーがみなぎるオーラを感じて、何度見ても思わず「おお~っ!!」と目を見張っちゃったりして。
だけど、「つけ睫毛」だったら私なんかは不器用だから一度も付けたことがないけど、マスカラを塗るあたりで気合が入っていく女心には共感するのよね。 って、これはお化粧する人にしかわからないだろうけど、マスカラ塗って、最後にルージュをひいたら「これでよしっ!さあ、出かけるぞ~っ!」って気がするわ。

なんていう脱線話はともかくとして(笑)
だから私はこの舞台を観るのは15年前、4年前と数えて三度目だけど、同じ作品でも感動する場面がその時々で微妙に違うのって、この舞台も少しずつ変化していからというのもあるかもしれなけれど、やっぱり何よりも観ている自分が変化しているんだなぁ、などと自覚せずにはいられないな。

前回はザザの「ありのままの私」を大泣きしながら観ていた記憶があった。
今まで生きてきたこと、してきたことを後悔したくない、胸を張って生きていたい。これが私よ!というザザのナンバーに感動して、ちょっとばかり過剰に反応していたのは、自分もそうでありたいという気持ちが強かったのかもしれない。
たぶん自分を重ねていたんでしょうね。
ゲイでなくたって、嘘やごまかしのない「ありのままの私」を周囲に受け入れてもらいたい、愛されたい、というのは、誰しもが思う願望かもしれない。だからこの舞台は多くの人を感動させるのかと思うけど、市村さんのザザには、「たとえ受け入れて貰えずとも私は私でいたい」という強い覚悟が感じられて、だからそこには孤高の人が隠し持つ「切なさ」を感じたりもしました。

で、今年ももちろん、やっぱりザザの歌には感動して涙がこぼれたものの、あの前回ほどには大泣きしなかったのは、そういったザザの生きる姿勢に憧れる「私は私よ!」という私自身の想いとか気負いが、あの時よりはずっと薄れたからなんでしょうねぇ…。
あれから三年とか四年経つ間に、、「それじゃあ、ありのままの私ってどんな私?」とか聞かれたたら案外と自分でも解ってないことに気がついたし(笑)、ザザのように一貫的でなくて、様々な場所やその時々のシーンで別人のように…という程ではなくても、微妙に様変わりしている自分は、気がつけばそれぞれの場面で周囲には受け入れてもらっていて幸せだと感じるから、「まあ、ことさら気負わずとも、気楽にこのままの感じでいいかな~」なんて思わなくもない。
結局はザザのような、どこにいても一貫した「これ」というような姿でありたいと思わないこと、できないことが私の「ありのまま」なんだろうと思うしね。

で、そんな私の話もともかくとして(笑)
今回の注目はなんたって、原田優一くん…優ちゃんのジャン・ミシェルだわ~!
もうね、優ちゃんは初めて見たときの中学生じゃないんだから、もう彼も大人なんだから、「優ちゃん」なんて言っちゃいけないんじゃないかとも思うけど、だめだめ、私らにとってはいくつになろうが、ずっと優ちゃんだから(笑)
といっても、私は優ちゃんを長く見ていても、たしか一度も口を利いたことがないと思うんで全くこっちの勝手な話よね。

その優ちゃんのジャンですけど。
この人って、いつもながら的確な解釈…というか、実に私好みのキャラ作りをしてくれる人なのよね。
この前、たまたま以前に書いた「ミス・サイゴン」の自分の観劇記を読み返してみたんだけど、優ちゃんのクリスにはむちゃくちゃ手厳しいことが書いてあって、これは優ちゃんに手厳しいのではなくて、そもそも私のクリスというキャラを見る目が手厳しいのだから、クリスを優ちゃんで観られたことにすごく満足している。
今回のジャンも、原田優一くんで観て(フルネームで呼ぶときは何故に優一くん?)、とても良かったと思います。

ジャンのシーンで感動するのは終盤の「見てごらん」と歌うところですが、これは先に鹿賀さんのジョルジュが息子のジャンに向けて歌う歌でもあります。
鹿賀さんジョルジュには、ザザへのパートナーとしての愛情も、息子への愛情も、どちらも前回以上にぐっと愛情が深く感じられ、今回もジョルジュの歌には涙を流さずにはいられませんでしたが、優ちゃんの「見てごらん」リプライズにも思いがけないほどに感動しました。

ザザが見て欲しかったのは「ありのままの私」であり、誇り高く生きているその姿だったかもしれないけれど、ジョルジュとジャンの親子がザザに見たものとは、その彼女の望んだ姿よりも更に深い部分であり、決して目には映らないものでした。
それは、彼女の真心と愛情。
そして、そういうものは、見る側にしても同じように相手への真心と愛情がなければしっかりと見たり受け取ったりすることはできないのだということが、優ちゃんジョンの心の移り変わりに感じられて、この舞台が一層に好きになりました。

お楽しみのショーの部分は、より華やかでグレード・アップして見応えもあったし、相変わらず楽しいキャラの森久美子さんや今井清隆さんたちの「もしかして、アドリブ?」な部分も笑えたしで、新春一番の観劇が今年も大満足なもので良かったです。

この舞台、ファイナルなんて言ってますが、某作品のように「復活」とか「リターン」とかつけて、いつかまた帰ってきて欲しいと思います。

あ、酔っ払ってだらだらと書いていたら、また途中で文体が変わっちゃった(笑)

コメント
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