Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

能「富士太鼓」

2012-09-11 | 能楽

 2週続き(いや、薪能を入れると3週続き)で観能三昧だった。薪能の素謡で「富士太鼓」の地謡を謡い、23日の関野神社奉納謡曲大会でまたまた「富士太鼓」の子方の役が当たった。(「富士太鼓」のあらすじについては、高岡薪能その1に書いています)
 お稽古を続けているうちに、この物語(実際の話)に興味が湧いて来た。楽人「浅間」と「富士」は共に太鼓の名手。「浅間」は、「富士」を憎み討ってしまう。それを知った「富士」の妻は「浅間」を敵と言わず、”太鼓こそ敵”と、娘と共に打ちかかる。その場面はどのように演じられるのだろう?太鼓を打つ? 太鼓を破る? 太鼓ってどんな太鼓? と、またまたいつものように、先生に質問攻め。先生は、「火炎太鼓ですよ。来週の金沢定例能でやりますよ。観に行くといいよ」と。先生も地謡で出られます。

 そんないきさつがあり、急きょ9日(日)に金沢へ行くことにした。狂言「雁大名」については昨日書いたので、今日は「富士太鼓」の舞台の様子を紹介します。(最後の能「黒塚」は以前見たことがあり、また、翌朝早く娘が関空へ行く日でもあり、観ずに早目に帰った。)

 写真撮影は禁止なので、ネットの写真と絵を中心に紹介します。それを見ると様々な演出があるらしい。トップと↓は、太鼓に近づく妻(シテ)と娘(子方)。            

 ↓は、太鼓の横で撥を持って舞うシテ(妻)。            

 ↓は、太鼓を打つシテ(妻)。右に座っているのは、ワキ(官人)と子方(娘)。          

 火炎太鼓とは、火焔型の装飾板を持つ大太鼓のこと。上に鞨鼓(かっこ)が乗っている。
 最初、「富士」の妻は、上に薄青い水衣を着て笠をかぶって登場。太鼓を打つ前に、鳥兜をつけ舞衣を着る。中入りはないので、舞台中央で後見二人が鳥兜をかぶせ、水衣を舞衣に着替えさせる。これを「物着(ものぎ)」と言うが、ふつうは舞台の後方でシテは後ろ向きで隠れるように行う。が、「富士太鼓」では、舞台中央でシテは前向きのまま、観客に見せる形で行う。見ている側は、兜が落ちないか、衣を素早く着替えられるかとハラハラドキドキである。それを思えば、先日の「道成寺」で、鐘の中で面も着物も一人で替えるのがいかに大変な作業かが分かると言うものだ。

 肝心の敵(太鼓)を討つ場面は、「樂」と言う長い舞いだった。お囃子が「太鼓なし」なので、笛の音がひときわ美しい。「樂」を舞うことで、妻は夫になり代わり仇を討ち恨みをはらしたのか、それとも夫と共に舞い悲しみを乗り越えたのか。
 シテは、「修羅の太鼓は打ち終わった。大君の長久を祈って千秋楽を打とう。民も栄えるように太平楽を打とう。夫の仇をとった上は気も晴れ泣くことはない」と謡い、太鼓を振り返りながら娘と共に帰って行く。

 さて、 子方はもちろん子ども。澄んだボーイソプラノの謡が可愛らしく、太鼓を打つ形の所作もきびきびしている。↓は、本当の舞台写真。(もちろん当日のではない

 子方(娘):牧 諄
 シテ(妻):高橋 右任
 ワキ(官人):苗加登久治
 間狂言:山田 譲二

 後見:藪俊彦、松田若子
 大皷:野尻 哲雄、 小鼓:住駒 俊介、 笛:江野 泉
 地謡:渡邊容之助 他