6/25(日)は富山宝生流の「春季能楽大会」の日だった。場所は「富山能楽堂」。今年は地謡も当たっていなかったので、お休みのつもりだった。が、山崎先生が、「お能だけでも見たいなら…」と会で買っておられる入場券をSUさんと私にくださった。お能は二つとも見たことのある「百万」と「小督」だったが、もう一度見たいと言う気持ちもあった。
「龍尚会」の直会の席で、松〇さんが「なはさんが見られるなら私の券を使ってもらえば」と言われ、そのうち先生が「お宅の郵便受けに届けてあげる」と言われ、結局当日は、なはさん、SUさんと私と3人で、2部の能から見ることにして出かけた。
👇 一部の最後の素謡「大江山」、高岡青謡会のみなさん。
午後1時50分より第2部
能「小督(こごう)」:
《あらすじ》 高倉天皇の寵愛をうけていた小督の局(ツレ)は、琴の名手でした。小督は、寵愛を受けていることを、中宮の父清盛が怒っていると知り、密かに身を隠しました。それを知った帝は深く嘆き、夜には月ばかりを眺めていました。八月十五日の夜更け、帝は源仲国(シテ)を勅使として、嵯峨野にあるらしい小督の隠れ家に遣わしました。仲国は、月下に鞭をあげ駒を早めて尋ねまわります。とある片折戸の家から流れ出る琴の音が聞こえ、それは、まさしく小督の琴の音でした。しかも、夫を想って恋うという名の「想夫恋」の曲です。 やっとのことで小督と対面することができた仲国は、帝の御文を授け日ごとの御衰えを告げると、小督は、涙ながらに返書をしたためます。返書を受けた仲国は、名残りの酒宴で舞を舞い、勇み立つ馬にゆらりと乗り、小督の見送りをうけ都へと帰るのでした。
👇は、作り物の「片折り戸」。後見によって途中で舞台に持ち出されます。
👇 実際の舞台(ネットから)。以前見た時は、片折り戸がなかったようで印象が薄いのだが、仲国が駒を進めて嵯峨野を探し歩き、琴の音に導かれてたどり着き、片折り戸の前でひらりと馬から降りる様子などリアリティが感じられた。能は想像力で観ると言うが、やはり小道具、大道具があるとないとは違う。シテは直面(ひためん・面をつけない)、小督と侍女は面をつけている。シテの金森先生は、馬に鞭をあて、手綱をさばき、颯爽と馬から降りる所作が大きく美しい。しかも静かで優雅な舞いは「男舞」。
以前、「蒼山会」の旅行で訪ねた嵐山の小督の庵を思い出しながら観た。
シテ(源仲国):金森秀詳 ワキ(臣下):苗加登久治 ツレ(小督の局):渡邊茂人 ワキヅレ(侍女):葛野りさ
大鼓:飯嶋六之佐 小鼓:住駒俊介 笛:瀬賀尚義 (太鼓ナシ)地謡:大坪喜美雄 他
狂言「靭猿(うつぼざる)」 子猿がとても可愛らしかった。
能「百萬」:
《あらすじ》 吉野の男(ワキ)が奈良西大寺で幼子(子方)を拾ったので、京都清涼寺の大念仏に連れて行きます。清涼寺門前の男(間狂言)が見世物として女物狂の百万(シテ)を呼び出すべく念仏を唱えていると、百万が現れ、さまざまに面白く狂って見せます。百万は、夫を亡くし、忘れ形見の我が子とも生き別れになってしまった悲しみを語り舞うが、実はこの吉野の男が拾った幼子こそ、捜し求める我が子でした。やがて二人は互いに親子と分かり、めでたく再会するのです。
👇 門前の者が言うには、いつも念仏を唱えていると百万という女物狂がやって来て、彼らの念仏は下手くそだといって面白く音頭を取る。門前の男は、百万を呼び出そうと、面白おかしく念仏を唱えはじめる。(車の段)
「こんな心で念仏をするのも、全ては我が子に会うため…」 百万は、手にした笹で面白く舞い狂う。(笹の段)
シテは、我が身の境遇を語り舞います(イロエ〔クリ・サシ・クセ〕)。舞のことはよくわからないが、いろいろな舞があり、それが見せ所だそうだ。
~夫を失った悲しみも束の間、あの子までもが行方知れずに。子を尋ねてさまよう私の姿といったら、何とも浅ましいものでした。足にまかせて歩いて行けば、この名高い清涼寺~。
我が子はどうして姿を見せないのかと、恨みつつも再会を祈る、これが百万の舞い姿だ…。
その姿を見て幼子は、自分の母に違いないと思い、男に告げます。親子は無事に再会してこの能は終わります。
シテ(百万):佐野由於 ワキ(男):殿田謙吉 子方:渡邊さくら 間狂言:荒井亮吉
大皷:飯嶋六之佐 小鼓:住駒幸英 太鼓:徳田宗久 笛:片岡憲太郎
地謡:衣斐正宜 他
二つともお能を観るのは2回目か3回目、素謡でもよく練習している曲なのでなじみが深く、楽しく観られた。
👇は翌日の新聞から。6/23、24日、バチカンで宝生流と金剛流による合同公演が行われた。日本とバチカンの国交樹立75周年記念行事の一環で、宝生流の唯一のキリスト教演目である復曲能「復活のキリスト」が披露された。バチカンでの本格的な能楽公演は1984年以来だそうだ。今回の上演では、主役のキリストを宝生流宗家の宝生和英さん(31)が務め、幽玄な舞で観客を魅了した、と記事にあった。
和英さんは、宗教や民族間の融和を目指すローマ法王フランシスコに共感し、「社会が閉鎖的になっている今、相互理解の精神がある能を通じて寛容さの重要性を伝えたいと思った」と述べている。
パチカンでの公演、これまた乙なものですね。
あらすじなど、かなりコピペをしました。
同じお能を2度、3度見るのも面白いと思いました。謡の言葉も聞き取りやすいし、聞きなれたお囃子もあったり、です。
バチカンの公演の記事は偶然ですが、宗家は頑張っておられるのですね。今、恵さんに借りた、歌舞伎の家元の本を読んでいますが面白いですよ。
わざわざ皆さまのご厚意で富山へ行けました。
うっとりとみてきたのですが貴女の鑑賞の文章が良くて、素敵だったとまた思い出しています。
どちらもドラマチックで引き込まれました。小督はツレ、ワキツレの面を見てるのも興味を引かれます。大道具もよかったですね。
百萬は子役さんが一生懸命で狂言に続いて可愛かったです。
バチカンのあの重厚な舞台とお能は合いますね!
いろいろ頑張っておられて頼もしいです。文化交流などをきっかけに世界は一つ、になればいいです。
ありがとう!
お能は2曲ととても良かったですね。ほんと!ドラマティックでした。ストーリーは単純ですが、はっきりしていてわかりやすく、いつもは眠くなる舞も、なぜか引き込まれました。
そう言えば、先日「BSプレミアムカフェ」の再放送で、金田一家と幸田家の3代、4代の再現ドラマを見ました。黒田あゆみさんと野村万蔵さんが司会をされ、親子で芸や学問を継ぐ厳しさを話しておられました。