まず、構造主義を明らかにしたらどうなるかというと、そこに、意味内容がないのが問題であります。
構造主義には、『構造』を明らかにする以上の主張は、ありません。 例えば、文学作品に感動した仕組みは、明らかになっても、なぜ、作品に感動するのか、それ自体に答えられないのです。
あくまで、『構造』論は、『構造』を明らかにする以上のことは、できないのです。 これは、ある意味、実践的ではないのです。
経済学において、50年前ケインズ経済学によって批判された、当時の経済学とも似ているのです。
当時の経済学は、『構造』分析に終始し、実践的では、ありませんでした。 不況の原因は、ここにあるという指摘はできても(好景気と不景気の、経済状態の構造を比較すればよいのだから、お手のものです)では、どう対処すればよいのかについては、何も指摘できなかったのです。
そこに、ケインズ経済学は、経済学の使命は、経済のコントロールにあるという『価値』感を持ちこみ、優れて実践的な経済学を創設することに成功しました。 (と云われているが、果たしてそうか??)
そういう意味で、構造主義とは、きわめて、意味無内容なものなのであります。