ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

二月は逃げるⅢ

2009-02-05 11:05:04 | Weblog
 画は橋本(揚州)周延 ようしゅうちかのぶ

 天保9年~大正元年(1838~1912)作


 「江戸風俗十二ケ月之内」より、

 「二月 初午稲荷祭之図」です。


☆曇り。

昨日は衆議院予算委員会を見てましたが、

麻生という人、薄っぺらな人物なのがよくわかりましたし、

自民党の議員、閣僚、まことに人相の悪い奴が多いねw

ほんまかいな? 冗談にもほどがあるわな、

*http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090205-00000007-yom-pol
「首相にふさわしい」小泉さんトップ、麻生さんに大差
2月5日3時13分配信 読売新聞

◆http://archive.mag2.com/0000154606/index.html
2009/02/05
栗本慎一郎氏の指摘「小泉構造改革とは何だったのか」

<略>

彼(小泉)が急に国際資本のご機嫌とりをし始めたのは
秘書官の 飯島氏が黒幕を気取って動いたからだろう。

そのころ、19997年、1998年 小泉は、
国際資金資本のお仲間で、
ユダヤ系のお仲間である竹中平蔵など、
名前だって知らなかったのは 絶対に間違いない。

誰か陰の勢力が、小泉に「支持してやるかわりに経済政策をよこせ」
と持ち込 んだものに違いない。

だから小泉とその背後が、権力の座に座りつづけたら、
進めようとする「改革 」の方向は、予測できるだろう。

郵政民営化が、郵便のあれこれなどには関係なくて、
200兆円になんなんと する 郵便貯金の崩壊
(市場への放出)を狙ったものであるように、

最後は 日銀の民営化
(つまり米国の連邦準備制度化)までも行って、

国際資金資本が 、牛耳りやすくする舞台を作ろうとするに決まっている。

これは要するに、ユダヤ国際資金資本のために日本を使いやすく
する「改革」にほかならない。

似非評論家によるグローバリズムの呼号は、
こういう問題と つながっているのである。

(以上は129ページまで)

また268ページからのあとがきに、こう書いてある。

若手経営者(堀江氏のこと)よりはるかに自分のしていること

に無自覚なのが 時の内閣総理大臣小泉純一郎である。(略)

彼が、20世紀末からの行動(運動)

で身を売って引き受けた役割というのが、

日本を国際資金資本が乗り込める舞台にすべく大整理
(大掃除)するというものだったと思える。

だから郵政民営化などは、

うまくいけばそれに続いてくるだろうはずの
日本銀行民営化、 あるいは国際化とかの方策の
序曲にすぎないものだと予測できる。

そうした問題は、アメリカを舞台とする資金資本が1980年代に、
日本経済の買収を不可欠の問題にしたときから決まっていた。

(中略) 考えてもいただきたい、
大衆の気分も買えるし、テレビ局全体だって買えるくらいだから
テレビで、一定の気分を意図的に大衆に売り込むことくらい
いとも簡単なのだ。

銀行もジャーナリズムもある連中に
とっては簡単な支配対象 となっている。

以上
栗本氏の本「パンツを脱いだサル」より引用。


売国傀儡新聞=読売新聞の調査?ですが、

話半分にしてもヒドイもんですなぁ、いまだ洗脳から醒めぬのか?

昨日は国民新党の下地 幹郎(しもじ みきお 沖縄1区)がいい突っ込み。

「日米構造協議」などもうやめろ、こんなことやってるのは日本だけだ。

元気がよかったね。 売国奴小泉の親分=米帝はw

◆http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu185.htm
GMはサブプライムローンで自動車を売って、それを証券化して
ウォール街で転売していた。こんな会社を救う意味があるのだろうか?
2009年2月4日 水曜日

<略>

アメリカの自動車の売れ行きは37%も落ち込んでいますが、
いつごろ回復するのだろうか? 
今までのように2年で買い換えることは出来なくなり
10年くらい乗り続けるかもしれない。
ガソリンが高くなれば大型SUVから小型車に乗り換えるのでしょうが、
ビックスリーには小型で省燃費の車は作れない。

番組では中国のモーターショーの様子を放送していましたが、
車は安さで売れるのではなく性能で売れるのだ。
いくら安くても故障ばかりで走らないのでは二度と買わないだろう。
韓国製の自動車も日本ではほとんど見かけませんが、
品質にうるさい日本の消費者は手を出さない。
ロシアでも日本の中古車が人気ですが、
中国や韓国やロシアの安い車はロシアでも人気が無いようだ。

アメリカの金融危機はアメリカ経済にも大きな影響が出てきており、
個人のカード破産はこれからが問題になる。
今は世界に投資されたドル資金が逆流してアメリカに集まってきて
ドルは強いですが、信用不安の問題は解決の目処すらついていない。

アメリカの実体経済が悪化するのはこれからであり、
まだバブルの余韻があるからドルは強いが、
銀行や企業がバタバタ倒産するのはこれからだ。
そうなると投機資金はアメリカから出て行くことになる。


「北米市場に未来は無い」と書きました、

「発想の転換」をすることなんだが、頭が回らん奴らばかり、

とばっちりが地方にくるわけだよ、

◆http://www.muneo.gr.jp/html/index.html
2009年2月4日(水)  鈴 木 宗 男

<略>

北海道は冬の厳しい自然環境と相まって、景気が良くない。
道内主要企業・事業所を対象とした昨年10-12月期の経済動向調査の結果を
北海道新聞社が発表している。企業の業績状況を示す業況判断指数は、
8-9月期から21.1ポイント悪化のマイナス56.1となり、
過去最悪の記録となっている。
大手百貨店丸井今井が破綻し、更に有力企業の経営状態も色々噂されている。
北海道の一人負けを実感する。
小泉政権、自民党を始めとする与党は、新自由主義政策に走り、
弱肉強食、勝ち組・負け組と格差を広げ、地方を切り捨てる政治を行い、
北海道が一番もろに影響を受けている。政治の流れを変えるしかない。
北の大地北海道から、日本の政治を変えていくしかない。
そのための選挙、政権交代だと位置づけ、
乾坤一擲けんこんいってきの勝負をする。

<略>


さて、溝口 敦さん、もう一発で〆ますかね、

◆http://www.forum21.jp/2009/01/2009109.htm
◎特集/戸田城聖50回忌と創価学会の変貌
2007年04月23日
戸田死後の創価学会の悲劇
最も人間的に卑しい人物が後継者に

ジャーナリスト 溝口 敦

*自己の利益のために戸田を持ち上げる

創価学会の第二代会長・戸田城聖は1958年(昭和33年)4月2日に亡くなり、
今年がちょうど50回忌という。創価学会の本部や全国の主要会館では
追善の法要が行われた。
名誉会長・池田大作は例により戸田を天上の高みに持ち上げた上、
戸田と池田との関係を「師弟不二」という等号で結びつけ、
池田自身を無窮の高みに鎮座させている。
「思えば、私が人生の師と仰いだ戸田城聖先生にめぐり会ったのは、60年前。
新入生の皆さんと、ほぼ同じ年代の19歳の時でした。
『生命哲学の会合に』と友人に誘われた座談会で、
戸田先生に初めてお会いしたのです。師弟の出発は、
まさに『哲学』でありました。本日4月2日は、この恩師の50回忌に当たります。
私は、きょう拝受した『哲学』の最高の栄誉を、弟子の報恩の誠として、
戸田先生に、謹んで捧げさせていただきたいのです(大拍手)」
(『聖教新聞』07年4月3日付)
池田は「ブラジル哲学アカデミー」とかいう団体から
「名誉博士号」を授かったらしい。その授与式が4月2日、
わざわざ授与する方が出向いてくる出前方式で、創価大学で開催された。
たまたま創価大学と創価女子短大の入学式だったから、
入学生を出席者として、池田は右のようにスピーチしたと
『聖教新聞』は伝えている。
池田はもらった博士号を右から左に、戸田に渡したいと、言い分は殊勝である。
「一日また一日、私は、妙法流布のために先生から頂戴した命と思い、
師の生命と一体融合して、『臨終只今』の決心で生き切ってきた。
戦い切ってきた。師弟不二の偉大な法則を、護り抜き、語り抜いてきた。
師弟不二の究極の人生を、一点の曇りもなく、悔いもなく、戦い抜いてきた。
そして、勝ち抜いてきた」(『聖教新聞』07年4月1日)
池田は相変わらず自省の念がかけらもない語り口で、こう自らを顕彰している。
人格破綻が疑われるほどの厚顔無恥である。
池田が池田の利益のために戸田を持ち上げるのは勝手だが、
戸田城聖は今、創価学会員が鑽仰しなければならないほど
偉大な人物だったのだろうか。
戸田城聖の生涯を客観的、公平に分析、描出した書物に
日隈威徳『戸田城聖―創価学会―』(新人物往来社)があるが、
日隈は同書の「結びにかえて」で次のように述べている。
「池田のえがく戸田の像は、あくまでも虚像である。
『風貌からくる印象は、大会社なら庶務課長、小会社なら平の常務
といったあたりで、三度に六度という厚いガラスの強い近眼鏡の中の小さい眼は、
コレクトマニヤの執念じみたものを思わせる』
(『中央公論』昭和31年9月号)と近藤日出造が漫画家らしい人物観察をしている
ことからもうかがわれるように、戸田には、池田の描く
『大預言者』といった風格よりも、むしろ、
もうけを片時も忘れることのない小事業家、
『勝負』に生きがいを見出す投機的商人、はったりと大言壮語で人をけむにまく
山師的性格、といったほうがぴったりくるということを、
生前の戸田を知る人びとは語っている」
人は見かけが8割とか。池田が風采のあがらない戸田の弟子の一人だった
ことは間違いない。
日隈威徳はこう続ける。
「およそ教祖的人格のなかでも、戸田城聖ほど、
ざっくばらんの人物は少ないようである。この性格は、かれの庶民性にも通じる。
牧口常三郎―戸田城聖―池田大作と創価学会の三代の会長を並べてみると、
いつも書物を離さず、きむずかしい顔つきで、
思索にふけった学究肌の牧口にくらべて、素っ裸でコップ酒をあおりながら
新聞記者のインタビューに応じる戸田には、
およそ教祖らしい雰囲気は感じられない。また、
かつて自分の住んでいた家屋を箱根山中の創価学会の施設にそっくり移築して、
往事を偲ぶような英雄趣味をもつ池田とちがって、晩年の戸田は、
二十年来住みなれた港区白金台町の二階家の借家に妻の両親と同居して、
妻とひとり息子と三人、簡素な家庭生活を送っていた」

*率直な戸田、インチキだけで世渡りしてきた池田

戸田が池田より優れていた点はざっくばらん、胸襟を開く、飾らない、
開けっぴろげなどの言葉で表されるような率直な性向だった。
ひとことで言えば、さばけた苦労人だったのであり、
その率直な人間理解には体験の裏打ちがあった。
戸田は石川県の生まれだが、4歳のとき家族が北海道石狩に移住し、
戸田は同地の尋常高等小学校を出た。
独学して尋常小学校準訓導、正訓導の資格を得、
1920年上京して東京・下谷の西町小学校校長だった牧口常三郎を訪ね、
同校の臨時代用教員に採用された。以後、
終生戸田は牧口の忠実な部下であり続ける。
22年戸田は教員を辞めて下駄の露天商や生命保険の外交員をやるかたわら
受験塾「時習学館」を開設したが、同年長女を、翌年妻を失い、
彼自身も結核に冒され、宗教に救いを見出そうと
キリスト教に入信したりしていた。
24年ころから中央大学経済学部の夜間部に通い、
30年には時習学館で使ったテキスト等を集めて学習参考書
「推理式指導算術」を著し、百万部を売り捌いたという。
同年、創価教育学会の発足後、戸田は時習学館を弟子に譲って
新たに設立した日本正学館を根城に、大道書房、奥川書房、四海書房、
秀英舎等の小出版社や平和食品等に投資し、また手形割引会社の日本商事の設立、
千葉県の醤油問屋・平野商店の買収、証拠金を納めての兜町証券界への進出など、
最盛期には17の会社を支配し、資産金は600万円、月収は1万円を越え、
ことに大道書房からは同郷の子母沢寛の書き下ろしを慰問袋用に刊行して
莫大な利益を上げ、創価教育学会の財政面を支えたという
(日隈威徳『戸田城聖』による)。
ざっと戸田の経歴をたどっただけでも、戸田が自力で外部に道を切り開き、
栄華も辛酸も共に味わい尽くした人間と知れる。
しかも戸田はカネだけの人間ではなく、知的な向上心もあったし、
牧口への私淑など、欲得を離れて信ずるものに一筋の一念も持っていた。
事実がどうか尊重する気質も持っていたから、外部に開くことを恐れなかった。
宗教学の俎上に上ることもためらわなかったし、望まれれば情報の開示もした。
戸田は酒や女やカネにだらしなく、人の範となり得ない欠点も多く持っていたが、
少なくとも信あって立つ者ではあった。
池田はこういう戸田から退化したエピゴーネンである。
戸田は創価学会を手段とせず、目的としたのだが、
池田は創価学会を手段として財と権威をわが物にした。早い話、
今回のブラジル哲学アカデミーなるものの「名誉博士号」も
創価学会のカネで購ったものであり、創価学会を離れた一個の人間として、
池田の「事績」が評価されることはない。ゼロだからである。
池田は外部で評価される何ものをも持たず、何ごとかも成し遂げなかった。
多数の著作はすべて誰かの代作であり、著名人との対談でさえ、
創価学会官僚がつくったシナリオに則る。対談終了後、
官僚たちの加筆修正が入って、ようやく活字になるしろものである。
文章はつるつるで癖がなく、文法的な誤りもないが、
なにせ基本が教団官僚の「作文」である。
人を打たず、人の蒙をひらくこともない。

池田の発想はとことん貧しい。
インチキだけで世渡りしてきた者が持つ悲惨と狐疑を
一身に体現した者が池田である。
学歴も著作もかちえた名誉もすべてぼてぼての張り子の虎だから、
池田はついに安心立命の境地に立つことができない。
外部を恐れ、メディアを恐れ、同僚を疑い、駆逐する。

戸田死後50年という節目でも、池田の頭をかすめるのは
創価学会という財を私物化したいという一念だけである。

「『組織を乱しゆく者、信心利用の者は叩き出せ!』
『形式的な役職、戦わぬ幹部はいらない。皆が一兵卒となって戦え!』
烈々たる綱紀粛正の叫びであった。
『獅子身中の虫の獅子を食』(御書957ページ)。この悪を戒めよとは、
釈尊そして大聖人の御心であられる。
内部からの汚辱と攪乱――それは、宗教史の宿命的な流転であった。しかし、
学会だけは、その轍を絶対に踏んではならぬ。先生は渾身の力を振り絞って、
悪の芽を摘み取って下さったのだ」(『聖教新聞』07年4月1日付)
こうした文言を読むと、池田もまた自分の死期が近いことを
うすうす感じ取っているなと思わせられる。戸田が死んで遺産争いもあったし、
俺が次の会長だと壇上に駆け上がった気の触れた会員も出た。
池田が死ねば多少とも混乱は起きる。日蓮正宗に帰れという揺り戻しは来ないか。
宗門から会員の動揺を誘うような働き掛けがあるのではないか。
一応ケリをつけて放逐した矢野絢也や秋谷栄之助が
ゾンビのように生き返ることはないか――。池田の心配のタネは尽きない。
戸田の死後、池田は注意深く根回しして戸田家の影響力を創価学会から排除し、
同僚の青年部幹部たちをじわじわと執念深く駆逐して、創価学会をわが物にした。
自分が死んだ後、かつての池田自身のような腹黒い野心家を
暗躍させてはならない。もう時代が違うのだ。
創価学会は池田家の固有の財産であり、神聖にして不可侵、誰にも簒奪させない。
できるなら池田は冥土にも創価学会を持っていきたいだろう。
戸田が死んだ後、創価学会内で最も人間的に卑しい人間が後継者になった。
戸田の最大の失敗であり、それが創価学会の悲劇にもなった。
                   (文中・敬称略)



「安心立命の境地」があるとして、

それから最も遠く、卑しい人間が教団を私物化しておるわけで、

佛道におひては、これを「外道」といいますよ、惑わされてはなりません。

学会員の皆さん、じっくりお考えなされ、もう、創価学会は、

「釈尊そして大聖人の御心」と無縁な「池田教」に変質しているんですよ。

そもそも「釈尊」が「勝利せよ」などと仰いますか?

「闘え」など、まさに六道にいふ「修羅道」だとおもいますが。