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今日よりちょっといい、明日にしませんか

橋の日活動、今期もあと3ヶ月

2023年01月07日 07時02分48秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今期も活動もあと、3ヶ月。事務局として、全国に向けのパンフレットや資料の送付、紙芝居の上演、次年度の総会準備、助成いただいている団体への報告など、さまざまです。

また、有志メンバーで四国へ「橋&周辺観光ツアー」をおこなう予定です。2月か3月を予定しています。

下記は、本年度の活動を取りまとめた資料です。今年も、全国誌からの記事依頼があり、当会会長に記事を書いていただきました。活動を続けておくと良いことがありますね♪

この報告書。これまではExcelにて作成していましたが、今年からはPowerPointに変更しました。編集しやすくなりました!





地域のお宝再発見ツアーin西諸・東諸(2日目)

2022年12月10日 11時12分26秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
2日目は、都城市立図書館見学からスタート。


この図書館、2004年に完成したショッピングモールを改装し、ホールの開放感をそのまま生かしつつ、通路は専門店が並んでいたように、産業や芸術などカテゴリーごとの書棚が続く構成へと変えたそうです。見学にあたっては、井上館長より直々にお話を伺いました。


コンセプトは「歩いて楽しいストリート」。通路沿いの棚を店先のショーウィンドーに見立て、各カテゴリーでお薦めの本を置き、奥の書棚へと誘うように工夫されています。年間200ものイベントが催されており、当初17万人だった年間利用者も、開設から5年半で50万人を越えているとのこと。

        梶山橋(三股町長田梶山)
橋の長さ31.6m、幅3.2mで、梶山地区と中野地区を結ぶ石橋として昭和16年(1941)11月に建設されました。 大小二連のアーチ橋で、水面に映るその姿から通称「めがね橋」とも呼ばれます。

長田峡(三股町梶山)
長田峡は、大八重、乱れ淵から梶山の矢ケ淵まで10kmにも及ぶ長い峡谷。鰐塚山系の豊富な地下水、鳥のさえずりと新緑や紅葉など季節の移ろいを楽しめそうです。カッパの伝説も残っています。


焼酎の里 霧島ファクトリーガーデンで昼食。メニューはこちら


霧島酒造の工場見学。1時間、無料。予約制で、焼酎の試飲もできますよ。


焼酎の試飲コーナー

Ⅰ泊2日の旅。午後4時に宮崎市内に到着。次回は、2~3月に四国ツアーを企画中。

地域のお宝再発見ツアーin西諸・東諸(1日目)

2022年12月04日 09時29分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今年で11回目となるツアーは、11月19日(土)~11月20日(日)にわたり、小林市からえびの市、都城市、三股町を巡りました。ツアーでは、岩瀬ダム、東方大丸太鼓橋、月の木川橋、JR大畑駅・矢岳駅、都城市立図書館、梶山橋などを見学しました。
       岩瀬ダム(野尻湖)

大淀川下流の水害軽減(治水)と発電(利水)を目的とし昭和42年7月に完成しました。管理開始から50年以上が経過し宮崎県にて管理されています。岩瀨ダムを含め、宮崎県が管理するダムが13あり、九州電力に売電しています。

       旧岩瀬橋(小林市野尻町)

旧岩瀬橋は、明治25年に宮崎~人吉間の道路整備事業で建設されたのが始まりです。 建設当時は、切石積みの橋脚と木製の橋桁でした。 橋の西側にある水神碑は、当時、橋の建設に携わったとされる石工の名が記銘されています。 その後、大正14年に上部構造の建替えが行われ、当時としては最新技術を用いた鉄骨トラス構造の橋になりました。歴史的にも建築学史的にも貴重な文化財です。

        東方大丸太鼓橋(小林市東方)
大丸太鼓橋は、浜ノ瀬川に架かる石橋で、鹿児島県の豪商森山新蔵が私費で弘化4年(1847)に竣工させたものです。この橋は水路橋で、元は木造樋で通水していたが、洪水のたびに補修が必要で、また人馬は樋を渡れないため、上流の釣り橋を通行しなければならず危険でした。橋の完成後、大丸水田への用水、人馬の便は画期的に改善され、森山はその功績から侍に取り立てられたが、その後、息子の新五左衛門が京都の寺田屋騒動に関わって死んだことから、父新蔵も連座して切腹したそうです。


        石氷橋(小林市北西方)
石氷橋は、明治25(1892)年に木造でかけられ、その後昭和18(1943)年に現在の石造の太鼓橋となり、石氷川(岩瀬川支流)に架けられました。この橋は二連アーチ橋で、水面に映る影が眼鏡に似ていることから、別名眼鏡橋とも呼ばれています。


        月の木川橋(えびの市大河平)
昭和3年に架けられた石造りの3連アーチ橋です。正式名称は「月の木川橋」。全長58.2メートル、橋高17.2メートル。木材でやぐらを組んだ基礎に50センチメートル角の石を積み重ね、アーチの中央には5角の石を組み込んでいます。
鹿児島県串木野の肥田佐兵衛氏が請負、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われます。軌道は、昭和37年に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっています。国有形登録文化財。

         道の駅えびのにて昼食
季節に応じた旬の食材を丁寧に仕立てたバイキング。雄大な霧島連山を眺めながら、えびの産の新鮮な食材を使った多彩な料理をいただきました。

       JR矢岳駅(人吉市矢岳町)

険しい区間の多い肥薩線の山線の中で、最も標高の高い場所(536,9m)に位置する矢岳駅。


明治時代の典型的な平屋建ての駅舎が特徴で、駅構内には「D51-170号」が展示されたSL展示館。機関車を間近で見て、その大きさを感じました。

         JR大畑駅(おこばえき)人吉市大野町

日本で唯一、ループ線とスイッチバックを併せ持つ秘境駅。「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説があります。自分の名刺を貼ると出世するという話から、駅舎には大量の名刺が貼られています。


大人気マンガ(アニメ)「夏目友人帳」にこの駅は登場することもあり、世界各国から聖地巡礼をする方が訪れているとのことです。


午後7時、宿泊先のホテルテラスタに到着。ホテル前では、イルミネーション点灯式と重なり、ライブイベントなどがおこなわれていました。



今年も橋の日役員のみで「橋の日」イベントを実施

2022年08月05日 06時29分02秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
2022年8月4日、例年であれば200名以上の方に参加いただいておこなう「橋の日」イベント。

今年もコロナウィルスの感染拡大防止の観点から、当委員会役員と関係者、また特別参加の学生3名で「橋の日」イベントを実施しました。宮崎の橋を代表して、橘橋へ日頃の感謝を込めて献花行事のみをおこないました。
日頃の感謝を込めて献花

昨年、30年ぶりに新調した横断幕と旗。



「橋の日」の歌、YouTubeにて10,000アクセス越え!

2022年06月10日 08時58分54秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
2年前に公開した「橋の日」の歌YouTube版、6月9日、1万アクセスを越えました。大城光恵さんのステキな歌声♪や、美しいメロディと歌詞との感想をいただいています。

久しぶりの東京。

2021年12月25日 06時27分00秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
2021年12月13日(月)、久しぶりに上京しました。快晴で、飛行機のなか、そして都内でも富士山がキレイに見えました。

上京の目的は、私が事務局をつとめる宮崎「橋の日」実行委員会より、公益社団法人土木学会へ、1662年の日向灘沖で発生した地震(外所地震)を題材にした絵本「とんところ地震」を、「橋の日」制定35周年にちなみ、35冊寄贈することでした。

贈呈式では意見交換の場があり、土木学会会長より、多くの提案をいただきました。特に、当会のように全国レベルで活動を推進するには東京からの発信にポイントを置くようにとのお話が印象に残りました。

このように活動35周年を迎え、権威ある団体からも声援してくださることが増えてきました。ありがたいことです。継続は力なり、改めて感じた今回の贈呈式でした。


(とんところ地震の絵本贈呈式(左より、土木学会 専務理事 塚田 幸広様、会長 谷口 博昭様、当会 大田原会長、私、森田副会長:宮崎大学教授)

同協会より、贈呈しました絵本は、下記に配布しましたとの連絡をいただきました。
 ◆広報関連会議参加の業団体様(日本橋梁建設協会様、日建連様、建設コンサルタンツ協会様等)計15団体
 ◆土木学会理事(コミュニケーション部門)4名
 ◆土木学会支部(8支部)
一方、今回の寄贈にあたって、関係報道機関により記事に掲載いただきました。
■絵本『とんところ地震』を寄贈/橋の日実行委員会
 2021/12/14 建設通信新聞 2ページ
 https://www.kensetsunews.com/archives/644385
■宮崎「橋の日」実行委/土木学会に絵本寄贈/大地震の教訓継承へ
 2021/12/15 日刊建設工業新聞 2ページ

また、この機会に県選出の国会議員、国土交通省、総務省などご縁のある方々を訪問し、絵本をお渡ししました。

(参議院議員会館より)

上京のついでに、皇居1周(1周5キロ)を試みましたが、雨のため半周にて断念。詳細は、別の機会にこのブログにてご紹介します。

地域のお宝再発見ツアーin椎葉・西米良(2日目)

2021年11月26日 04時36分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
11月21日(日)ツアー2日目。ちょっと曇り気味の空。椎葉は高地のためか肌寒い。朝8時30分、上椎葉ダムを目指して出発。日本で初めてとなる100メートル級の大規模アーチ式ダムで、その後の日本の土木技術に多大な影響を与えたダムといわれています。



予想を超える劣悪な岩盤 、外国製機械への操作技術への対応や台風などの影響などさまざまな要因が重なり、105名の殉職者を出すこととなった建設工事。完成時ダム近傍には彫刻家富永朝堂の作による仏教・キリスト教・水神の3女神像を建立した「女神像公園」が整備され、公園内に慰霊碑が建立されています。女性の名前、夫婦と思われる名前が載っていることに驚きました。


続いて、椎葉村の十根川重要伝統的建造物群保存区(十根川集落)は、裏山に平行して民家と石垣が横並びに重なり合って、周辺の山々と調和する独特の美しい景色が形成されています。 それぞれの民家は、母屋・馬屋・倉から構成されており、現在11世帯が生活しているそうです。 150年以上の前の建物とは思えない程、管理されていました。


以下は、建物の内部風景です。現在、人は住んでいませんが展示用として公開されています。


集落から見渡す山々は、美しい紅葉に囲まれていました。しかし地元の方によれば今年の紅葉は遅く、例年11月末から雪になるとのことでしたので今が見頃だと感じました。

十根川集落には、元久元年(1204年)に平家の落人達が隠住して建てたとされる十根川神社があり、境内には平家追討の使那須の大八郎宗八の手植えと伝えられる国指定重要天然記念物「八村杉」(昭和10年指定)があります。


八村杉(樹齢:800年、樹高:54m、根回り:19m)は真っ直ぐ空に向かってそびえており、あまりに高すぎて写真に納めきれませんでした。


いよいよ最終訪問地、西米良村へ。国道265号線、山道を椎葉から西米良へと走りました。バスからの映像を紹介します(46秒)


西米良村で最初に訪れたのは、「かりこぼうず大橋」。全長140mの木造トラスの林道橋で、車の通る木造の橋としては日本最長です。


樹齢約50年生の県産スギを集成材に加工し、橋の構造用材としてふんだんに活用しています。橋の形状は、地元の名峰、米良三山(市房山、石堂山、天包山)をイメージしているそうです。このかりこぼうず大橋では、今年3回目となる「橋の日」が開催されています。


続いて、一ツ瀬川ダム。高さ130メートルのアーチ式コンクリートダムです。



一ツ瀬発電所は最大出力が18万キロワットであり、これは上椎葉発電所(9万キロワット)の2倍に相当するそうです。揚水発電所を除く一般水力発電所としては九州最大であり、日本の一般水力発電所としても10番目に大きいとのことです。

最終訪問先。小川城址公園 と城郭風建築の「小川民俗資料館(おがわ作小屋村)」 。



ウィキペディアによれば、城跡は、県内でも古い時期に造られた小川小学校・中学校の敷地となっていたが、1989年(平成元年)に廃校となったとのことです。

小川城址公園内のおがわ作小屋村「おがわ四季御前」はランチは有名。
お膳には、16の小皿料理がきれいに並びます。柚子味噌和えやこんにゃく、漬け物、豆腐、椎茸南蛮、など、シンプルに味付けされた旬の食材や伝統食など、山の恵みが彩り豊かに楽しめます。ご飯と団子汁もセットで1,200円。他にも、作小屋カレーやうどん、そばなど懐かしいメニューが用意されています。

1泊2日の旅、楽しく過ごしました。コロナ禍で旅行することができませんでしたが、一年ぶりに旅行を楽しめました。

地域のお宝再発見ツアーin椎葉・西米良(1日目)

2021年11月23日 09時29分52秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今年で10回目を迎える地域のお宝再発見ツアー。所属する宮崎「橋の日」実行委員会で企画したイベントです。今年も旅行幹事として、楽しんできました。

コースは、都農町、日向市、美郷町、諸塚村、椎葉村、西米良村の歴史遺産、土木遺産を訪ねました。紅葉の美しいこの時期、旅行ができるのはありがたいことです。

11月20日(土)8時に宮崎県庁を出発し、最初の訪問先、都農神社に向かいました。

道の駅「都農」のホームページによると、初代の天皇、神武天皇が天下泰平を願い大和へと東征の歩みを始めた際、国土平安、海上平穏、武運長久を願って、ご祭神を祀ったとされる場所です。

以来、神武天皇の願いを叶えた都農神社は、心願成就にご利益があるパワースポットとして、県内外の人から信仰を集めているとのこと。この神社へ向かうには道の駅「都農」から、開運橋を渡って参道へと向かうのですが、なんと今年より、この橋で「橋の日」のイベントが開始されました!



神社の「手水舎」。手水舎(てみずや)とは、神社で参拝者が身と心を清める場所で、都農神社の手水舎は、インスタ映えしそうですね。



続いて訪問したのは、美々津伝統的建造物群保存地区。江戸時代から明治時代に全盛をきわめ、日向(宮崎県)と京阪神との経済、文化交流の拠点であった美々津の町並み です。150年以上前に立てられた商家が数多く残っています。



庭から続く蔵。隠し階段など、美しい佇まいでした。2階からは太平洋が望めます。

続いては、尾鈴橋(宮崎県木城町・日向市)へ向かいました。宮崎県の中央部、小丸川を堰き止めて造られた松尾ダム湖に架かる橋で、その独特な形状から“恐竜橋”とも呼ばれています。



続いては、諸塚村へ。下の写真は、国の登録文化財に指定された塚原ダム。
塚原ダムは、九州山地の奥地に建設されたにもかかわらず、当時高さ、体積など日本最大級のダムでした。国際的にも最新技術で施工されたもので、土木業界では有名な歴史的ダムです。


夕方も近くなり、椎葉へ。宿は、旅館奥日向。宿の駐車場から見る夜景がとてもキレイでした。


さて、夕食タイム。参加した7名の仲間達と楽しい時間を過ごしました。



旅行1日目、山深いこの村で過ごせる幸せ。明日の旅も楽しみです。

長崎での「橋の日」活動、報告写真

2021年10月14日 03時38分02秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
長崎での「橋の日」活動、報告を会員の皆さんから送っていただきました。
女神大橋は、長崎市戸町と木鉢を結ぶ全長1289 メートル(斜張橋部880 メートル、取付高架橋部409 メートル)の橋です。



大型客船が入出港する長崎港口に位置することから、海面から桁下までの高さは約65メートルと日本一を誇る。斜めに張ったケーブルで塔とつないで桁を支える構造の斜張橋としては、最大支間長が480メートルと日本で6番目の長さです。


らせん状に続く点検用の階段を30分位かけて上ります。ビル10階分ほど上った海抜175メートルの主塔頂上での風景です。


遠くは軍艦島まで見えます。


企画された代表の黒田さんは、「景観だけでなく、優れた土木技術や橋りょう技術を体感してほしいという技術者の思いから始まった企画。インフラツアーという新たな魅力を長崎の観光資源にしていきたい」と意気込んでいます。

「橋の日」提唱者 湯浅さん、テレビ出演(動画)

2021年08月23日 05時32分07秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
UMKテレビ宮崎さんの「みやざきゲンキTV:知っとこみやざき」で、橋の日提唱者の湯浅さんが出演しました。

私の所属する宮崎「橋の日」実行委員会の顧問として活動しています。
80歳、パワフルです!

「8月4日は橋の日 ~小戸之橋~(2021年07月31日放送)」


第35回「橋の日」イベントは、役員のみで実施

2021年08月07日 06時55分39秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
コロナウィルス感染症拡大防止の観点から、宮崎「橋の日」実行委員会では、「橋の日」イベントを、役員により橘橋への献花行事のみをおこないました。

今回は、同じ幹事メンバーのご家族も参加いただき、規模はちいさいながらも、ほっこりしたイベントとなりました。



伝えることの大切さ、伝わることの意味(再掲)

2021年08月03日 04時31分11秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!


一般社団法人九州地域づくり協会から、20年以上活動資金の提供をいただいている。2020年4月、上記団体の発行する情報誌に、私が事務局を務める「橋の日」実行委員会の活動が掲載された。

「橋の日」とは、日付は「は(8)し(4)」(橋)と読む語呂合わせから、郷土のシンボルである河川と、そこに架かる橋を通して、ふるさとを愛する心と河川の浄化を図ることが目的。毎年8月4日を記念日として、1986年、宮崎県延岡市を皮切りに「橋の日」普及啓発に活動をしてきた。

振り返えると、「橋の日」記念日を全国に広げるためには、時間と気力や体力、資金が必要。特に継続して資金協力を得ることは、今もなお課題である。

その資金調達の協力を得るためには、価値ある活動と成果をあげること、そしてメディアへの露出を増やすことが大切だと考えている。何故なら、支援する立場からみて、費用対効果がある判断されればと支援組織の賛同も得やすいからだ。

下記は1994年の活動報告。また、ホームページは1997年に手づくりで開設し、アピールするなど30年間のさまざまな資料はネットにて公開するなど、活動が九州、そして全国へと認知されることがアピールにつながると考え、活動内容を毎年見直しながら、広報活動にも注力してきた。


一方、広報活動には活動成果とは違う一面があると考えている。それは、あるきっかけから思い至ったことである。

20代前半、駅前で毎月おこなっていたボランティア清掃。ゴミを拾っていると、通行人から「カッコつけて」と言われ、なんとも言えない気持ちになった。清掃が終わったことを交番のお巡りさんに報告した。その時。お巡りさんがこう言った。「町がキレイになることも大切だけど、若い人が町のために汗をかいていることを市民の方が知ることの方が、もっと大切だと思うよ」と。その時、「清掃活動の成果だけではなく、新しい価値も生み出すんだ」と、感じ入ったというか、気付きのようなものを得た。

この「橋の日」運動。活動を通して、橋や川の魅力、風景や歴史、役割などを地域の人達につないできた。気付くといつの間にか36年の時が過ぎていた。そして、頑張った甲斐があって、29年目に47都道府県で「橋の日」が実施されるようになった。まだ、認知度は高くないが、8月4日には、カーナビやテレビで「今日は、橋の日」と伝えてくれる。

あのお巡りさんなら、今の私たちを見て、きっと言ってくれると思う。「活動成果も大切だけど、仕事の傍らお金にならないことを30年以上汗をかいている人達がいることの方がもっと大切だと思うよ」と。

いよいよ8月4日は、「橋の日」

紙芝居「橘橋と福島邦成」【UMKアナウンサー読み聞かせ】

2021年07月31日 14時51分22秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
UMKテレビ宮崎さんのご協力により、紙芝居「橘橋と福島邦成」をYouTubeにて配信開始!

内容は、明治初期、まちづくりのため私財を投じて「橘橋」を架けた医師福島邦成のお話です。
読み手は、UMKテレビ宮崎、髙巣アナウンサー。ご覧ください。


「橋」の魅力とは・・

2021年01月23日 07時03分38秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
本年の「橋の日」活動は、今年で34回目。先輩から「事務局を頼む」といわれ30年あまり、気付いたらかなり「橋」の魅力にはまっている自分がいました。

今年はコロナ禍のため、「橋の日」である8(は)月 4(し)日(火)宮崎市の橘橋にて、当会の役員にて橋への献花のみをおこないました。その他下記の活動を実施しました。

1,県内では、串間市、国富町へ「橋の日」立ち上げの支援
2,広報の充実を図るため、「橋の日」幟旗、パンフレットの作成、橋の日グッズ(帽子)やタオルの作成。
3,YouTubeによる動画配信
4,宮崎県内各小学校へ「とんところ地震」絵本寄贈( 300 冊) 
5,情報誌「道路」への寄稿 
6,地域のお宝再発見ツアー in 県南
7,デミーとマツの土木広報大賞 2020 (主催:噂の土木応援チームデミーとマツ、後援:公益社団法人土木学会)において、優秀賞(イベント部門)3 位受賞。

話は変わりますが、私にとっての橋の魅力とは、デザイン性(特にセーヌ川にかかる橋や通潤橋)、橋からの眺望、それぞれの橋の歴史性(日本橋、渡月橋など)、抽象的ですが、こころの架け橋など人をつなぐ橋など。また、この活動を通して、多くの魅力的な人との出会いでした。

来年度は、活動35周年を迎えます。いろんな方に「橋」の大切さや魅力を伝え、「橋」を通して、地域を盛り上げる活動を続けていきたいと思います。



【ゆっぴーチャンネル】武田アナの読み聞かせ⑮とんところ地震

2020年12月27日 15時58分49秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
【ゆっぴーチャンネル】武田アナの読み聞かせ⑮とんところ地震

8年前、東日本大震災での被害受け、私たちが何かできないかと考えていました。とんところ地震のことを知った2012年から、地震のことを伝えるために紙芝居を作成しようと計画。1年がかりで資料を集め、文章と挿絵が完成。 その紙芝居が完成。2014年に県内の小学校230校へ寄贈しました。

あれから6年が過ぎ、改めて地震のことを考えてもらう機会をつくりたいと考えました。そこで絵本をつくることを計画しました。あらたに、4枚の挿絵をつくり、内容も見直した上で制作し、完成。

地元のテレビ局に絵本をお送りしたところ、UMKテレビ宮崎より同局の【ゆっぴーチャンネル】 にて紹介したいとの案内をいただきました。今回、絵本を宮崎県内の小学校への寄贈を機に紹介させていただきました。

地震は忘れたころにやってくるといいます。日頃の準備をするにこしたことはないので、皆様ご留意ください。

とんところ地震とは・・・
1662年10月31日の深夜、宮崎県日向灘沖でM7.5の巨大地震が発生。押し寄せた巨大津波は、沿岸の7つの村をことごとく飲み込み水没させ、その中央には島ができたと伝えられている。死者は200人。全壊家屋3800戸。記録のある限りでは日向灘で最大の地震、「外所地震」である(「外所」は「とんところ」又は「とんどころ」と読む)。宮崎県延岡市から日南市までの太平洋沿岸地域に甚大な影響をもたらしました。

津波災害の恐ろしさと凄惨な被害を未来に伝えるべく、石碑に思いを込め50年ごとに記念碑を建立。その思いは350年以上途切れることなく伝承されています。