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地域のお宝再発見ツアーin西諸・東諸(1日目)

2022年12月04日 09時29分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
今年で11回目となるツアーは、11月19日(土)~11月20日(日)にわたり、小林市からえびの市、都城市、三股町を巡りました。ツアーでは、岩瀬ダム、東方大丸太鼓橋、月の木川橋、JR大畑駅・矢岳駅、都城市立図書館、梶山橋などを見学しました。
       岩瀬ダム(野尻湖)

大淀川下流の水害軽減(治水)と発電(利水)を目的とし昭和42年7月に完成しました。管理開始から50年以上が経過し宮崎県にて管理されています。岩瀨ダムを含め、宮崎県が管理するダムが13あり、九州電力に売電しています。

       旧岩瀬橋(小林市野尻町)

旧岩瀬橋は、明治25年に宮崎~人吉間の道路整備事業で建設されたのが始まりです。 建設当時は、切石積みの橋脚と木製の橋桁でした。 橋の西側にある水神碑は、当時、橋の建設に携わったとされる石工の名が記銘されています。 その後、大正14年に上部構造の建替えが行われ、当時としては最新技術を用いた鉄骨トラス構造の橋になりました。歴史的にも建築学史的にも貴重な文化財です。

        東方大丸太鼓橋(小林市東方)
大丸太鼓橋は、浜ノ瀬川に架かる石橋で、鹿児島県の豪商森山新蔵が私費で弘化4年(1847)に竣工させたものです。この橋は水路橋で、元は木造樋で通水していたが、洪水のたびに補修が必要で、また人馬は樋を渡れないため、上流の釣り橋を通行しなければならず危険でした。橋の完成後、大丸水田への用水、人馬の便は画期的に改善され、森山はその功績から侍に取り立てられたが、その後、息子の新五左衛門が京都の寺田屋騒動に関わって死んだことから、父新蔵も連座して切腹したそうです。


        石氷橋(小林市北西方)
石氷橋は、明治25(1892)年に木造でかけられ、その後昭和18(1943)年に現在の石造の太鼓橋となり、石氷川(岩瀬川支流)に架けられました。この橋は二連アーチ橋で、水面に映る影が眼鏡に似ていることから、別名眼鏡橋とも呼ばれています。


        月の木川橋(えびの市大河平)
昭和3年に架けられた石造りの3連アーチ橋です。正式名称は「月の木川橋」。全長58.2メートル、橋高17.2メートル。木材でやぐらを組んだ基礎に50センチメートル角の石を積み重ね、アーチの中央には5角の石を組み込んでいます。
鹿児島県串木野の肥田佐兵衛氏が請負、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われます。軌道は、昭和37年に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっています。国有形登録文化財。

         道の駅えびのにて昼食
季節に応じた旬の食材を丁寧に仕立てたバイキング。雄大な霧島連山を眺めながら、えびの産の新鮮な食材を使った多彩な料理をいただきました。

       JR矢岳駅(人吉市矢岳町)

険しい区間の多い肥薩線の山線の中で、最も標高の高い場所(536,9m)に位置する矢岳駅。


明治時代の典型的な平屋建ての駅舎が特徴で、駅構内には「D51-170号」が展示されたSL展示館。機関車を間近で見て、その大きさを感じました。

         JR大畑駅(おこばえき)人吉市大野町

日本で唯一、ループ線とスイッチバックを併せ持つ秘境駅。「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説があります。自分の名刺を貼ると出世するという話から、駅舎には大量の名刺が貼られています。


大人気マンガ(アニメ)「夏目友人帳」にこの駅は登場することもあり、世界各国から聖地巡礼をする方が訪れているとのことです。


午後7時、宿泊先のホテルテラスタに到着。ホテル前では、イルミネーション点灯式と重なり、ライブイベントなどがおこなわれていました。




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