第3話・第4話と続けて書くことになってしまったけれども、これを実は自分なりに結構後悔していて、特に第3話は観てすぐにかくべきだったなぁ、なんて思ってるんです。
第3話って、エイジが旅立つということを3話かけて描いた仕上げの回になっていて、エイジの旅の原点になっていたんですよね。
それがあの「絵」に集約されているわけで、あの「絵」を見た瞬間の感動をすぐに書けば良かったと後悔しております。
やっぱり時間を空けるとよろしくないですね、うんうん。
冲方丁さんの作品っていうのは、僕が個人的に思うのは、失った何かを取り戻す、自分はここに居る、という主張がベースになっていることが多くて、そのプロセスを残酷なまでに描きこんで、それが魂の血の一滴というくらいに零れ落ちる瞬間、眩しいくらいの光を放つ、そういう作品なんじゃないかな、と思ってるんです。
特に「Nowhere(どこにも居ない)」から「Now here!!(今ここに居る!!)」へ転換していくプロセスが物凄く美しいんです。
#これは『蒼穹のファフナー』のサントラ(&ドラマCD)のタイトルにもなっていて、Vol.1が「Nowhere」でVol.2が「Now here」なわけです。
#また冲方丁さんの代表作である『マルドゥック・スクランブル』のバロットもこのメッセージを鏡に書きなぐるんです。しびれます。
今回、この第3話が原点と感じたのは、あの「絵」なんですよね。
失った何かを取り戻す。
これに則って言えば、エイジが失ったものはあの惑星「オロン」。
取り戻したいものはあの「オロン」の豊かだった頃の風景。
それがあの「絵」。
思い出して頂きたいのは、ヴェルクロスが放った拳による衝撃波は、丸い穴を穿つわけですが、それが第1話で既に大岩に穴があいている描写があるんですよね。
つまり、エイジは鉄の種族、すなわち人類と邂逅する前にヴェルクロス化を既に成し遂げていて、あの技を放ってしまっていると考えられますよね。
ここからはもう想像の域だけそ、オロンの豊かさを奪ってしまった一因はエイジ自身にもあったんじゃないか、だからこそエイジは「オロン」の豊かさを、親友であるホートーが好きだった木を、取り戻したい、否、取り戻す責任があるんじゃないかと思っている、そんな風にも思えるんじゃないかな、なんて。
で、
更に思うのは、星を取り戻したい、というのは実は鉄の種族である人類も同じなわけです。
自分達の住んでいた惑星「地球(?)」を取り戻す、そこに実はエイジと人類がシンクロしてるんですね。
だ、けれども、
そこは冲方丁作品。
そこだけか?
更に妄想しますよ。
何故、エイジは無知にして無垢で作中登場してくるのか?
それはこれからエイジが成長して、色んなものを学んでいく、既に人類が当たり前と思い、忘れてしまったことまでも、それまでも含めて学んでいく、そういう余地と分かりやすさを残しているからではないか?
何も無い状態のエイジが色んなものを学んで、人と触れ合って、成長していく。
しかしながら、無知で無垢であるはずのエイジにも、人類との12の理不尽な契約があって、実は縛られている。
惑星を取り戻すことを想いながら、実はエイジが自分自身を取り戻していく、そういうストーリーの重ね方ができるんじゃないか。
また、惑星を取り戻すという意味では鉄の種族=人類も全く同じで、そのエイジに何かを教えながら、でも実は一緒に何かに気が付きながら、実は人類そのものが成長しなくてはならない、そういうストーリーの重ね方ができるんじゃないのか?なんて、そこまで突っ走って考えちゃいましたよ。
とまあ、相変わらず妄想大全開なわけですが(笑)、第3話っていうのは、エイジの旅立ちであり、またこの物語の原点にもなってるんじゃないかと思ったんですね。
続けて第4話は、その起承転結の「承」になるパートで、初めてエイジが世界を知ることになっていく、そういうスタートにもなっています。
しかも予言や契約に縛られる形で、いきなりの戦闘態勢。
相手(銀の種族?でかつノドス?)が対話をしようとしているにも関わらず、と。
エイジが学んで成長していくプロセスを笑うことはできなくて、そこにはきっと鉄の種族としての人類の成長を促さないといけない、そんな物語展開になるんじゃないかと期待しております。
今回は(も?)蒼穹のファフナーと同じく、冲方さんは最初は脚本を直接は書かれていないようですが、蒼穹のファフナー式に行くならば、前半の狐につままれたような???の連続は後半の怒涛の感動の嵐に直結する大きな伏線になっているので、ここは後半まで静観していきたいと思います。
#他の小説では結構序盤からガンガン飛ばすけれども、伏線の張り方や対比構成の妙に、いつも泣かされているので、じっくり観たいですね。
第3話って、エイジが旅立つということを3話かけて描いた仕上げの回になっていて、エイジの旅の原点になっていたんですよね。
それがあの「絵」に集約されているわけで、あの「絵」を見た瞬間の感動をすぐに書けば良かったと後悔しております。
やっぱり時間を空けるとよろしくないですね、うんうん。
冲方丁さんの作品っていうのは、僕が個人的に思うのは、失った何かを取り戻す、自分はここに居る、という主張がベースになっていることが多くて、そのプロセスを残酷なまでに描きこんで、それが魂の血の一滴というくらいに零れ落ちる瞬間、眩しいくらいの光を放つ、そういう作品なんじゃないかな、と思ってるんです。
特に「Nowhere(どこにも居ない)」から「Now here!!(今ここに居る!!)」へ転換していくプロセスが物凄く美しいんです。
#これは『蒼穹のファフナー』のサントラ(&ドラマCD)のタイトルにもなっていて、Vol.1が「Nowhere」でVol.2が「Now here」なわけです。
#また冲方丁さんの代表作である『マルドゥック・スクランブル』のバロットもこのメッセージを鏡に書きなぐるんです。しびれます。
今回、この第3話が原点と感じたのは、あの「絵」なんですよね。
失った何かを取り戻す。
これに則って言えば、エイジが失ったものはあの惑星「オロン」。
取り戻したいものはあの「オロン」の豊かだった頃の風景。
それがあの「絵」。
思い出して頂きたいのは、ヴェルクロスが放った拳による衝撃波は、丸い穴を穿つわけですが、それが第1話で既に大岩に穴があいている描写があるんですよね。
つまり、エイジは鉄の種族、すなわち人類と邂逅する前にヴェルクロス化を既に成し遂げていて、あの技を放ってしまっていると考えられますよね。
ここからはもう想像の域だけそ、オロンの豊かさを奪ってしまった一因はエイジ自身にもあったんじゃないか、だからこそエイジは「オロン」の豊かさを、親友であるホートーが好きだった木を、取り戻したい、否、取り戻す責任があるんじゃないかと思っている、そんな風にも思えるんじゃないかな、なんて。
で、
更に思うのは、星を取り戻したい、というのは実は鉄の種族である人類も同じなわけです。
自分達の住んでいた惑星「地球(?)」を取り戻す、そこに実はエイジと人類がシンクロしてるんですね。
だ、けれども、
そこは冲方丁作品。
そこだけか?
更に妄想しますよ。
何故、エイジは無知にして無垢で作中登場してくるのか?
それはこれからエイジが成長して、色んなものを学んでいく、既に人類が当たり前と思い、忘れてしまったことまでも、それまでも含めて学んでいく、そういう余地と分かりやすさを残しているからではないか?
何も無い状態のエイジが色んなものを学んで、人と触れ合って、成長していく。
しかしながら、無知で無垢であるはずのエイジにも、人類との12の理不尽な契約があって、実は縛られている。
惑星を取り戻すことを想いながら、実はエイジが自分自身を取り戻していく、そういうストーリーの重ね方ができるんじゃないか。
また、惑星を取り戻すという意味では鉄の種族=人類も全く同じで、そのエイジに何かを教えながら、でも実は一緒に何かに気が付きながら、実は人類そのものが成長しなくてはならない、そういうストーリーの重ね方ができるんじゃないのか?なんて、そこまで突っ走って考えちゃいましたよ。
とまあ、相変わらず妄想大全開なわけですが(笑)、第3話っていうのは、エイジの旅立ちであり、またこの物語の原点にもなってるんじゃないかと思ったんですね。
続けて第4話は、その起承転結の「承」になるパートで、初めてエイジが世界を知ることになっていく、そういうスタートにもなっています。
しかも予言や契約に縛られる形で、いきなりの戦闘態勢。
相手(銀の種族?でかつノドス?)が対話をしようとしているにも関わらず、と。
エイジが学んで成長していくプロセスを笑うことはできなくて、そこにはきっと鉄の種族としての人類の成長を促さないといけない、そんな物語展開になるんじゃないかと期待しております。
今回は(も?)蒼穹のファフナーと同じく、冲方さんは最初は脚本を直接は書かれていないようですが、蒼穹のファフナー式に行くならば、前半の狐につままれたような???の連続は後半の怒涛の感動の嵐に直結する大きな伏線になっているので、ここは後半まで静観していきたいと思います。
#他の小説では結構序盤からガンガン飛ばすけれども、伏線の張り方や対比構成の妙に、いつも泣かされているので、じっくり観たいですね。