5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

枯れ草の命

2015-01-24 22:20:03 |  文化・芸術
寒いこともあってしばらく裏庭に出ていない。二階の自室から覗くと砂利を引いたスペースのあちこちに雑草が寒風に吹かれているのが見える。

隣家の境のコンクリート塀の元には緑色をした草の盛り上がりがある。冬なのに緑色が鮮やかなのは雑草の生命力がつよいということだ。朝日があたる箇所だから温度もさほど下がらないのかもしれない。

緑の横には茶色の枯れ草が長い葉を半分に折って横たわっている。ここは下宿猫たちの毛づくろいと日向ぼっこの定位置である。葉は枯れていても根は土の中にある。やがて温かくなれば生き延びた茎のなかから緑の新葉が伸びだしてくるかもしれない。

さて枯れ草は冬の季語だ。「季語集」の坪内稔典先生は、昭和の俳人、永田耕衣の晩年のエピソードを交えて、耕衣の枯れ草の句を紹介している。

人生の後半を神戸で過ごした耕衣だが、1995年1月17日に発生した阪神大震災に奇しくも遭遇し、ちょうど用足しをしていた2階のトイレから救出されて生き延びた。

家は潰れたがトイレには空間が残されており、耕衣は足元にあった銅の湯こぼしを洗面台の角に打ち付けながら救助を待ち、その音に気づいた近所の若者によって救い出されたのだそうだ。

「枯れ草の大孤独居士ここに居る」

これが彼の生涯最後の句だという。耕衣は1997年に97歳で亡くなっているから、震災直後のトイレの中での心境をこの句に表したと云えるかもしれない。命は助かったが句作のベースであった自宅を無くした。

「枯れ草や住居無くんば命熱し」

20年前の冬は寒かった。被災地の耕衣には神戸の地面を這う枯れ草が特別印象的に映ったのであろう。今は茶色に枯れてはいてもやがてふたたび緑の芽をだすであろう雑草。大孤独居士という戒名で自分を呼んだとしても耕衣の命は熱く燃えていたというわけだ。

「枯れ草の根っこはたぶん火の匂い」小枝恵美子


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