5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

言い表せないもの

2019-11-15 21:49:37 | コミュニケーション

外国語の翻訳を考えるとき「異なる文化を翻訳することで必ずなにかが失われる」という意味の英語に Lost in Translation という言い方がある。詩人のロバート・フロストの "Poetry is what is lost in translation"といったことが基になっているらしい。翻訳をすることで失われるものが詩なのだということになるのか。異言語(日本語)の中に置かれた主人公の心理を描いた同名映画(ソフィア・コッポラ監督)のことも想い出す。

人間の生活のすべてを含む幅の広い概念としての異文化を考えると、すべてがことばとして言い表せるものというわけではなく、言い表せないものもきわめて多い。それも Lost in Translation と云えるだろう。

最近はあまり良い意味には使われなくなったが「忖度をすること」もそのひとつかもしれない。相手がこうして欲しいと思っていることを「以心伝心」で感じ取り、先回りをして、その人の為に行うこと。打算もあれば、善意という場合もあろう。言葉として発せられないのだから、外国人たちはニコニコ笑ってばかりいる日本人の理解に苦しむということにもなるのだろう。

最近、目まぐるしい発達を遂げているAIだが、はたしてコンピュータの「忖度」「以心伝心」はどれほどのものなのだろうか。今日のこのニュースを読みながら考えた。

「介護ロボット導入促進へ支援強化」NHK名古屋

愛知県では、9月の介護分野の有効求人倍率が6.69倍と全国2番目に高く、人手不足が深刻化し、それは名古屋市などの都市部で顕著だという。その対策として、介護現場の負担軽減のために開発されたロボットの導入を進めたいという名古屋市だが、実際に介護ロボットを使っている福祉サービス事業所は、全体の3割を切るのだそうだ。

市はロボット導入促進の支援策の強化を図ろうと、この秋からは導入を検討する事業所の相談に対する専門家によるアドバイスを行う取り組みを始めたとあるが、導入3割というのは、現場にはいろいろ課題ありということなのではないのだろうか。

それこそ介護ロボットと福祉サービス要員との間に「ロストイントランスレーション」が発生しているのではないのかと思ったのである。介護ロボットといっても様々な種類があるのだろが、その多くは単能型で多能型ではないのだろう。

日々変わっていく被介護者の健康状態や介護の現場事情を確認しながら、多くの雑用をストリームラインとして流していくというのが介護人たちの仕事のベースなのではないのか。そこに単機能のロボットをポツンと置いただけでは、却って作業がギクシャクしてしまう。工場のラインに設置された単能ロボットの概念ではないのだろうが、それでも、ロボットの動きに対して介護する人間側が手を出さないとタスクが完了しないというおかしなことになりはしないのか。生身の介護人に負荷がかかる結果になったのでは、導入してもロボットが動いていないというようなことにもなりかねまい。

介護ロボットの言語と介護人の言語、さらには行政側の言語が違うということだとすると、「ロストイントランスレーション」の度合いが余計深まりそうな気がする。なんでもマシン依存というのでなく、マン・マシンのインターフェイスをしっかりと考えてもらいたいもの。近未来に介護ロボットのお世話になるはずの老人の切なる願いである。






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