5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

パパのはじまり

2021-06-21 21:08:48 | 社会

21日のコロナは、全国で868人(延786837人)の感染と35人(累14474人)の死亡が確認された。愛知県では35人(延50548人)の感染と6人(累930人)の死亡の発表があった。

昨日は父の日だった。これはアメリカから輸入されたアイデアらしく、本家の父の日の祝い方は今日のタイムラインに溢れている。

そんなアメリカ人の出稼ぎプレイヤーが在籍する日本の球団(西武)でも、彼等の留守宅を守る妻や子供からのサプライズビデオを、練習試合前のスコアボードに大写しして、プレイヤーたち父親の笑顔とホロリとする様子をこれまたビデオで追うという今風の盛り上げをしていた。昔の結婚式の定型だった新郎新婦の両親へのお涙謝辞の現代版みたいだと思った。

金田一春彦先生の「ことばの歳時記」にも「父の日」の項がある。

親父のことはパパと呼ぶのが現代日本人家庭の多数派だろうが、金田一先生は、明治の文豪、謹厳な森鴎外も娘にパパと呼ばせていたらしいという事実を、鴎外書簡集から見つけておしえてくれている。

大正七年(1918年)に末娘の杏奴(アンヌ)に宛てた手紙に「パパガバンノゴハンヲタベテイルトキニセイヨウデハセンソウガオワリマシタ」と書いており、この頃からパパという呼称が日本国内でも使われはじめていたらしいとしている。第一次世界大戦が終ったのはたしかに1918年の11月11日だった。

パパの使用は昭和のはじめごろには、かなり一般化しており、これを嫌ったた当時の松田文部大臣が「これでは国語が乱れる」としてパパの使用禁止を行おうとして世論が騒いだとある。今でも似たようなことはありそうだが、英語推進派の現文科大臣ならどんな対応をしただろうか。

四日市にある温泉施設では父の日に感謝を伝えようと、男湯の浴槽に特産の尾鷲ひのきの間伐材で作った丸板を浮かべた。100枚近くある板には、それぞれに地元の小学生たちのメッセージやイラストが描かれており、湯船につかった男性たちは、板を手に取って暖かいメッセージとひのきの香りに目を細めていたというニュースもあった。

丸板のメッセージを読むと、案外パパが不人気。「お父さん、ありがとう」「そんけいしています」などと子供の方もちょっと格好をつけているところがまた愛らしい。今日ばかりは「お父さん」復権である。

 


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