クリスマスデコレーションで飾られた駅前の地下街やデパートは、今日も沢山の買い物客でごったがえしていた。中には、子供たちの喜ぶプレゼントを仕込もうと悩むサンタ役の父さんや母さんも沢山いるのだろう。
ドイチェヴェレのEニュース頁には、クリスマス欄が特別に設けられていて、月曜日のニュースは「クリスマスに欲しいのは、、、」というリード。ドルトムントの芸術文化史博物館で現在開催中の「素晴らしいものいっぱい」と題された展覧会についてである。
「今年のクリスマスにはこれこれが欲しいです」と書き込む子供たちからの「お願いリストや手紙」は、すでに長い間、ヨーロッパ・クリスマスの習慣だ。時に心が温かくなり、時にコミカルで微笑ましい、こうした「プレゼント・リスト」を集めて展示しているのだと言う。
12月6日に渡すところ、24日の夜に開くところ、25日の朝まで我慢するところ、など、クリスマスプレゼントの交換スタイルは国によって違うが、渡す日にちは別にしても、プレゼントの無いクリスマスなど考えられない欧州人だ。だが、この「クリスマスにプレゼント」という習慣は比較的新しいもので、ドイツでは19世紀末、たくさんの品物が市場に出回るようになった工業化の発展に拠るものだという。
展示されている100以上の「お願いリスト」や、飾りテーブル、玩具、クリスマスツリーなど、すべてが前世紀のものばかり。これらの品物の多くは新聞告知によって個人の所有物を借り出したものである。
「お願いリスト」には、サンタクロース宛てのものもあるが、大半は「クリストキント」と呼ばれる金髪で天使の羽根を背負った妖精に向けて書かれているのがドイツ的である。
1899年に女の子が書いた「リスト」には、「お人形のフランツェンには服を、私には色鉛筆とセラー帽を。それに名札とカロドンの歯磨ペーストも。」と書かれている。19世紀末には、チューブ入りの練歯磨は極めてモダンな品物。小さな女の子にとってはドキドキするプレゼントだったはずだ。
「クリストキントさま、人形のジークフリートとドリは、病院に連れて行きたいの。ドリは、髪の毛が抜けちゃって手足もぶらぶら。直して上げなくてはね。」新しいものが欲しいといわないところが、昔の女の子らしいではないか。
クリストキントから子供たちへの返事というのもある。
「今年はあなたも妹のステンツェリも優しいお人形のお母さんじゃなかったと天使が云っているから、ほんとうの赤ちゃんを二人に任せるのはちょっと難しそうですね。」、1911年のクリスマスイブの日付で打たれたタイプの手紙だ。姉妹はもうひとりの妹がプレゼントに欲しかったのだが、どうやら両親は都合悪かったようだ。
手紙やリストからは、それぞれの世代の生活の様子も読み取れる。
第二次大戦直後の子供の欲しがっているのは、暖かい帽子や学校でつかうノートだし、その後に来る世代の女の子たちは、時代の流行を写した膝丈のスカートを欲しがっている。
最新の「お願いリスト」は2008年、ドルトムントに住むヤッシャという男の子のもの。商品カタログの写真を切り取り、値段票も付けて、自分の欲しい電子玩具をリスト化している。
彼の「お願い」は結構高額だが、生活のレベル変化を考えれば、1世紀前のものと然程の違いはなさそうだ。贅沢だと云うよりも、丁寧にリストを書き、色鉛筆で彩色した努力を買ってやりたい。
クリスマスプレゼントが日本でも習慣化したのは、やはり戦後のアメリカ軍駐留がきっかけだったのだろうか。こちらが物心ついた時分には、クリスマスツリーも、クリスマスケーキもあった。アメリカ輸出用に日本でつくられたブリキの玩具や抱き人形も百貨店には並んでいたし、カン入りのチョコレートも買ってもらえた。七面鳥代わりのサンワの若鶏丸焼きが親父の土産ということもあった。
父親や母親は子供の欲しがる品物を巧みに予備調査し、クリスマスイブにはそんなプレゼントが手に入った。あれもこれもと欲張るわけにはいかないということも空気で理解できたから「お願いリスト」などというまどろっこしいやりとりはなかったような気がする。親子の阿吽の呼吸である。
ドイチェヴェレのEニュース頁には、クリスマス欄が特別に設けられていて、月曜日のニュースは「クリスマスに欲しいのは、、、」というリード。ドルトムントの芸術文化史博物館で現在開催中の「素晴らしいものいっぱい」と題された展覧会についてである。
「今年のクリスマスにはこれこれが欲しいです」と書き込む子供たちからの「お願いリストや手紙」は、すでに長い間、ヨーロッパ・クリスマスの習慣だ。時に心が温かくなり、時にコミカルで微笑ましい、こうした「プレゼント・リスト」を集めて展示しているのだと言う。
12月6日に渡すところ、24日の夜に開くところ、25日の朝まで我慢するところ、など、クリスマスプレゼントの交換スタイルは国によって違うが、渡す日にちは別にしても、プレゼントの無いクリスマスなど考えられない欧州人だ。だが、この「クリスマスにプレゼント」という習慣は比較的新しいもので、ドイツでは19世紀末、たくさんの品物が市場に出回るようになった工業化の発展に拠るものだという。
展示されている100以上の「お願いリスト」や、飾りテーブル、玩具、クリスマスツリーなど、すべてが前世紀のものばかり。これらの品物の多くは新聞告知によって個人の所有物を借り出したものである。
「お願いリスト」には、サンタクロース宛てのものもあるが、大半は「クリストキント」と呼ばれる金髪で天使の羽根を背負った妖精に向けて書かれているのがドイツ的である。
1899年に女の子が書いた「リスト」には、「お人形のフランツェンには服を、私には色鉛筆とセラー帽を。それに名札とカロドンの歯磨ペーストも。」と書かれている。19世紀末には、チューブ入りの練歯磨は極めてモダンな品物。小さな女の子にとってはドキドキするプレゼントだったはずだ。
「クリストキントさま、人形のジークフリートとドリは、病院に連れて行きたいの。ドリは、髪の毛が抜けちゃって手足もぶらぶら。直して上げなくてはね。」新しいものが欲しいといわないところが、昔の女の子らしいではないか。
クリストキントから子供たちへの返事というのもある。
「今年はあなたも妹のステンツェリも優しいお人形のお母さんじゃなかったと天使が云っているから、ほんとうの赤ちゃんを二人に任せるのはちょっと難しそうですね。」、1911年のクリスマスイブの日付で打たれたタイプの手紙だ。姉妹はもうひとりの妹がプレゼントに欲しかったのだが、どうやら両親は都合悪かったようだ。
手紙やリストからは、それぞれの世代の生活の様子も読み取れる。
第二次大戦直後の子供の欲しがっているのは、暖かい帽子や学校でつかうノートだし、その後に来る世代の女の子たちは、時代の流行を写した膝丈のスカートを欲しがっている。
最新の「お願いリスト」は2008年、ドルトムントに住むヤッシャという男の子のもの。商品カタログの写真を切り取り、値段票も付けて、自分の欲しい電子玩具をリスト化している。
彼の「お願い」は結構高額だが、生活のレベル変化を考えれば、1世紀前のものと然程の違いはなさそうだ。贅沢だと云うよりも、丁寧にリストを書き、色鉛筆で彩色した努力を買ってやりたい。
クリスマスプレゼントが日本でも習慣化したのは、やはり戦後のアメリカ軍駐留がきっかけだったのだろうか。こちらが物心ついた時分には、クリスマスツリーも、クリスマスケーキもあった。アメリカ輸出用に日本でつくられたブリキの玩具や抱き人形も百貨店には並んでいたし、カン入りのチョコレートも買ってもらえた。七面鳥代わりのサンワの若鶏丸焼きが親父の土産ということもあった。
父親や母親は子供の欲しがる品物を巧みに予備調査し、クリスマスイブにはそんなプレゼントが手に入った。あれもこれもと欲張るわけにはいかないということも空気で理解できたから「お願いリスト」などというまどろっこしいやりとりはなかったような気がする。親子の阿吽の呼吸である。
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