5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

昭和の映画看板

2021-04-11 21:33:07 |  文化・芸術

11日のコロナは、全国で2777人(延507607人)の感染と16人(累9421人)の死亡が確認されている。このうち、愛知県では129人(延28843人)の感染と2人(累604人)の死亡の発表があった。

1963年、小津安二郎が死んですでに半世紀を超えたが、アメリカでは70年代が小津映画がもてはやされた時期だった。

74年~76年にかけて自分が留学した東部の大学でも、文化催事のひとつとして小津映画の上映会が数回上映されて、映画好きの学生たちが集まっているのを横から見たことがある。エキゾチシズムへの興味が勝っていたのかもしれない。

逆に上映会に参加した日本人の留学生たちはいなかった気がする。アメリカまで来て、静的で地味な感じのする日本映画を観るつもりなどなかったのだろう。

小津の名前を最近聞かないなあと思っていたが、今日の中日WEBには『懐かしの小津映画を看板で』というニュースが載っている。

東京人の小津だが、伊勢商人の末裔だったということで先祖の出身地松阪とは深い縁がある。父親の教育方針から松阪に一家で移住、彼は小学四年に転入し、自宅近くにあった映画館で尾上松之助の映画を観たことがきっかけで興味が映画に向かう。それから1923年に再上京するまで小津は松阪で映画を観ながら大人になっていくのだ。

看板というのはもちろん映画の招き看板のこと。看板描きの職人で〈現代の名工〉の紀平昌伸が描いた小津作品の5点を、原田二郎宅という江戸の武家屋敷に展示するこの映画看板展は、市の歴史民俗資料館にあたらしく常設展示コーナー〈小津安二郎松阪記念館〉がオープンした記念企画である。

展示された5点の作品は紀平近年の制作。〈東京物語〉や〈秋日和〉の映画看板のほか、小津のポートレートもある。極めて精巧に描かれた原節子や司葉子は写真のようで、間近で見れば迫力を感じるとある。

最近の映画はデジタル制作が多いから映画看板にしてもデジタル映像を加工して作る場合が多いはずだ。看板描きの職人が重宝される時代ではない。小津映画の昔を思い出して懐かしむのは、もはや高齢者ばかりかもしれないと思った。

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿