5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

六月は水の月、蜷の月

2011-06-30 23:04:35 |  文化・芸術
今日で6月は終わりだ。名古屋地方、今年の梅雨いりは例年より早く5月27日だったが、この6月中に雨(小雨を含む)の降ったのは全部で7日間、晴れ(曇りを含む)は23日間だった。空梅雨というほどではないが、特別に降雨量が多かった一ヶ月というわけでもない。なぜこんなことを書くのかといえば、六月の古名が「水無月」だからである。

調べてみると九州北部は例年にない降雨量だったようで、長崎県のローカルニュースでは「雨量:6月の長崎市、戦後最多 平年の2倍超」とあって、活発な梅雨前線が九州付近に停滞した影響で豪雨・長雨が続いたとある。長崎市の6月降水量平年値は314・6ミリで、今年はその2倍超。54年以来、57年ぶりに記録を塗り替えた。どうやら九州は「水有月」の様相だったわけだ。

「水無月」と書いてミナヅキと読ませる。「ことばの歳時記」で金田一春彦先生は、漢字の字面から見て、暑気は甚だしく水泉涸れ尽くすところから名づけるという説が有力だが、水上(ミナカミ)、水底(ミナソコ)のように、水をミナということが多いところからして、「水無月」はアテ字で、「水の月」という意味かもしれないとおっしゃる。

大槻文彦の「大言海」には「田に水をたたえる月の意」とあり、折口信夫は「みなは巻貝の一種だから、『みな月』は『蜷月』で、昔はこの貝の出現や殻の形で年の占いをする習慣があったのではないか」としているともあった。水が張られた田んぼには田螺がつきものだったのだから、どちらもありそうに聴こえる。

今日は窪島誠一郎著の「明大前物語」(筑摩書房・2004)を読んだ。ここにも「ミナ」が出てくる。窪島の実父・作家の水上勉のことである。もっとも、これはミズカミ・ツトムと読ませるらしいが。

長野県上田に美術館「信濃デッサン館」を建て、つづいて戦没画学生慰霊の「無言館」を併設したアート・パトロンで、関連した著書も多いのだが、これは養父母と暮らした京王電鉄の明大前駅周辺での彼と家族の生活をエッセイ風に描いた自伝である。1941年生まれの著者が描いた戦後から昭和30・40年代の時の流れや街の雰囲気は、44年生まれの自分には案外によくわかった気になれた。

ちかごろ見たり、聞いたり、読んだりする昭和当時のアレコレの総てが美しく懐かしいのは、自分が歳をとった証拠なのだろう。ちょっとしたことで眼から水が出るのもそのせいに違いない。






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