里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

東北関東大震災

2011-03-18 18:27:56 | Weblog

3月11日午後2時40分私は梨畑にいた。突然揺れが起こり、そのうち収まるだろうと思っていたら次第に強くなり、立っていられなくなった。とっさに梨の枝にしがみついた。近くにあった防火貯水槽のコンクリートの蓋が突然1メートルほど吹き上がった。自宅の方から黒っぽい煙のようなものが上がったので、慌てて転がるように家に戻った。瓦が落ち、その土ぼこりだった。母は外に出て大きな石にかじりついて呆然としていた。母を安全な場所と思われるところに移し、しばらく揺れの収まるのを待っていたが、なかなか収まらない。

やっと落ち着き、周りを見渡したが、瓦屋根の「ぐし」が見事に崩れ落ちていた。妻は実母の看病に病院に向かっているはずであったが、携帯はつながらなかった。子供たちにも電話するがまったくだめだった。妻は自冶医大にようやくついたそうだがエレーベーターが動かず、病室に入れないとのことで戻ってきた。家の惨状に驚いていたが、実母の病状の方も気がかりだった。義母は3月5日に脳梗塞で倒れ、意識不明のまま、自冶医大に運ばれた。それから毎日、通い続けているのだ。

3月12日未明、病院より連絡あり。母の病状に異変が起こったそうだ。妻と二人で車を飛ばした。病室にはすでに実家の家族が待っていた。午前3時30分、母は静かに永眠した。余震の中、葬儀の準備と子供たちへの連絡に忙殺された。3月15日通夜、16日告別式と決まった。孫9人ひ孫3人を見届け旅立った母は、千年に一度と言う大震災を知らずに逝った。せめてもの救いかもしれない。

大変な1週間だったが、大震災の被災者の方々に比べれば、まだ幸せな方かもしれない。東北地方の方々の惨状を見るにつけ、涙が出た。落ち着くまでに何年かかるのか・・・がんばってほしい。がんばれ日本。