大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

嵐山散策

2023年05月24日 | 風景
5月22日から三井V・NET関西サロン特別企画により4年振りに京都嵐山へ一泊旅行。
15時前に阪急嵐山駅前集合、嵐山温泉にて汗を流し渡月橋手前のM社嵐山寮へ(総勢12名)。

夕食は、本当に手の込んだ季節の会席料理の数々と美味しい地酒に囲まれ楽しいひと時を過ごし、部屋に戻っての二次会でも大いに盛り上がった会になりました。

いつもの通りの痛飲、バタンキュー。
朝食後、猿で有名な岩田山の裾野を借景とする雨上がりの庭園を散策。

出発までの時間を利用して、私は隣接の法輪寺へ。
新型コロナも一段落、修学旅行中の中学生や外人の参拝客多数で朝早くから賑わっていました。
境内の舞台からは、渡月橋が眼下に望めます。

地元のU氏の案内で嵐山周辺を巡ります(参加者8名)。
コースは、竹の道⇒野宮神社⇒嵯峨天皇皇女有智子親王墓⇒二尊院⇒慈眼堂⇒清涼寺⇒野々宮・愛宕両神社御旅所⇒昼食(西山艸堂・湯豆腐)。

野宮神社・・その昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に身を清められた地。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居(クヌギの木の皮を剥かないまま使用・日本最古の鳥居の様式)と小柴垣(クロモジの木)に囲まれた聖地。その様子は源氏物語「賢木の巻」や謡曲「野宮」に美しく描写されている。

5月21日から嵯峨祭が開催されていました。
サクランボの生る道を進み嵯峨天皇皇女有智子親王墓へ。

嵯峨天皇皇女有智子親王墓
交野女王を母とし嵯峨天皇の第八皇女である。弘仁元年(810年)4歳で賀茂の齋院となり、承知14年に41歳で崩じた。平安朝随一の女流詩人として知られるが、歴史の側面から見れば「賀茂斎王の始まり」として有名である。

二尊院
総門・・慶長十八年(1613年)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたもの。室町時代築。

慈眼堂
藤原定家開基と伝えられる。
小倉山は、公家で歌人であった藤原定家が山荘を構え、小倉百人一首を選定したと言われている。なお定家は正治3年(1201年)に和歌所の寄人に選ばれ、「新古今和歌集」の編纂に加わり「新勅撰和歌集」を編集した。

清涼寺
嵯峨の釈迦堂’で知られる浄土宗の古刹。建立は、寛平7年(895年)頃。

寛和3年(987年)奝然(ちょうねん)上人が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺の釈迦堂に、師が宋より請来の木造釈迦如来立像(国宝)を安置した。体内に絹の五臓六腑を納入してあり、生身如来といわれている。
昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説の小野篁が地獄から帰ってくるのがこの場所との石碑が立っている。冥府への入り口は六道珍皇寺の井戸。

野々宮・愛宕両神社御旅所
嵯峨祭は野宮神社と愛宕神社の祭礼で、御旅所とは神輿みこし渡御に際し,本宮を出た神輿を迎えて仮に奉安する所。
立派な二神社の神輿が奉安されていました。

帰り道、森嘉の豆腐とひろうすを購入し相棒へのお土産にしました。ご案内頂いたU氏有難うございました。
今回の旅は、M社OBのK氏並びに三井V・NETのK氏のお世話で実現できたこと感謝です。本当に有難うございました。
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