大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

フウの木(街路樹)の伐採

2019年12月13日 | 風景
先日、国立大阪医療センターでの活動を終えての帰途、センター東門前の上町筋の街路樹(台湾・アメリカフウの木)が伐採されているのを目撃。
40数年間街路樹としての役割を果たしており、特にこの時期にはオレンジ色から真っ赤に染まる紅葉の美しさで市民の眼を和ませていたことを考えると、残念でなりません。(下の写真は2017年の紅葉です)
ここまで成長するのには半世紀近く要したと思われますが、伐採は一瞬です。

伐採は、クレーン車で樹の先端を釣り上げ上から数メートルごとにチェーンソウでカットして地上へ下ろす作業を数回繰り返して一本の樹木が地上1.5m位に短く切り揃えられていきます。後日その樹も抜根されることでしょう。
伐採される理由としては、倒木・縁石や舗装の持ち上がり・信号機の見にくさ等種々あると思われ、やむを得ない事情があることは理解できますが、一番の理由は、これらの理由により被害が発生することと、その後訴訟となることを恐れるからでしょう。

〇民法第717条(土地の工作物の占有者及び所有者の責任)
土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない。
〇道路法第43条(道路に関する禁止行為)
何人も道路に関し、左に掲げる行為をしてはならない。
一 みだりに道路を損傷し、又は汚損すること。
二 みだりに道路に土石、竹木等の物件をたい積し、その他道路の構造又は交通に支障を及ぼす虞のある行為をすること。

当然、街路樹の植え替えは検討されているでしょうから、景観向上・生活環境保全・交通安全・防災機能及びヒートアイランド等の都市環境の改善・都市内における自然再生等への寄与・CO2 吸収源対策等の道路緑化機能を果たす樹木が選定されることでしょう。
その樹木が何になるのか照会したところ台湾フウの木の予定だそうで、その後の成長と紅葉を楽しみにしましょう。


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四天王寺・西国巡礼三十三度行者満願供養塔

2019年12月08日 | 四天王寺
12月6日、祖母の50回忌で境内のイチョウが黄金色に輝く四天王寺へ。
お墓参りの後いつもの六時堂へ、なんと階段下に鎖が張られ入堂できません。聞いてみますと、「お身ぬぐいで午前中は閉鎖です、代わりに北鐘堂(写真下右)へお参りください」、と。

道理で、いつも込み合っている六時堂前には殆ど参詣者がいません、代わりにいつもより鐘の音がひっきりなく鳴っている北鐘堂へ入っていく人多数。
北鐘堂で回向を済ませて頂き、頂いた経木を亀井堂(写真下)で流します。
回向の際の読経の間、通常は木魚が叩かれますが、北鐘堂では鐘が撞かれました。また、亀井堂で経木を流すと極楽往生できるそうです。

北鐘堂
正式名、黄鐘楼。北の引導鐘・鐘つき堂とも呼ばれ春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえし、このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。
当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

境内の四天王寺学園校門横に立派な供養塔(約5mの巨大な宝篋印塔)があり、そばに説明板には西国巡礼三十三度行者満願供養塔とありました。
宝篋印塔・・塔の中に宝篋印陀羅尼経や法華経・舎利を納める仏塔。

西国巡礼三十三度行者満願供養塔
西国巡礼三十三度行者とは、大きな寺が支配する特定の会所に属し、その支配を受けることで、自由に移動し巡礼を続ける特権を得た人々のことで、その人は1年に3回ずつ、本物の西国三十三箇所観音霊場を巡礼し、11年これを繰り返して合計33度の巡礼を行った。女性の行者もおり、尼三度などと呼ばれた。

江戸時代には、人々は自由に移動することが禁止されていたが、ある程度自由に旅行のできた行者に対し人々は願いを托し全国の霊場を巡ってもらっていた。
この供養塔は、住吉神社の近くにあった西の坊というお寺が組織した住吉組の真道という行者の巡礼を記念した文久2年(1862年)のもの。大阪市有形民俗文化財。

私達も西国33か所巡礼を数年かけて1回巡りましたが、それを年に3回11年続けられた行者の存在を今回知り、人々の願いを叶えるという責任感や信仰の深さに心から敬意を表したく思いました。


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旧大乗院庭園・ならまち

2019年12月06日 | 高齢者大学
12月4日、高大歴考仲間の忘年会で奈良へ。
近鉄奈良駅前集合10時、参加者9名いつも通り定刻前に出発。好天気でもあり旧大乗院庭園まで歩くことに。
外国からの観光客たちや角きりで頭の寂しくなった鹿たちで賑わう奈良公園内を抜け、のんびりと歩きます。

旧大乗院庭園
寛治元年(1087年)
大乗院創建。平安時代から江戸時代に栄えた(興福寺の)門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出。)

治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後、奈良県庁の位置から現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続し、現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっている。

室町時代の徳政一揆で荒廃しましたが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥父子によって改造。
将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられてきた。
明治時代、大乗院門跡は松園家と改称し男爵に叙せられるが明治10年大乗院を売却。その後敷地は飛鳥小学校や奈良ホテルのテニスコートなどになった。

1958年(昭和33年)国の名勝に指定。
1994年からは庭園全体の発掘調査を行い、江戸時代末期に画かれた『大乗院庭園四季真景図』をもとに復元。平城遷都1300年記念事業に合わせて一般公開。

殆ど来園者の無い庭園の真ん中にある東大池の周囲を散策。朱色の反り橋のかかる池を渡り、水面で鴨たちの日向ぼっこを眺め紅葉も楽しめました。
隣接の「名勝旧大乗院庭園文化館」で、かつての大乗院を復元した模型や、関係資料の展示の歴史的文化遺産を見学して昼食。

昼食後、ならまちをのんびりと散策、道祖神社にもお参りし猿沢の池を経て近鉄奈良駅へ。

駅前でティータイム後、帰宅。
このメンバーで今年も楽しい時が過ごせました、来年もどうぞよろしく。
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第9回大阪マラソン

2019年12月02日 | 催事
12月1日、第9回大阪マラソンのボランティアに参加。
第2回大会から三井ボランティアNETさんのお世話でグループ参加(33名)しています。(私は第1回にも個人参加)

今回からコースも変わり、ボランティアの場所もなにわ筋に変更されましたが、活動内容の給水は不変。
備品を運ぶトラックが到着、皆さん手慣れた様子で給水基地を設置。
いつもの通り、テーブルに水を注いだ紙コップを三段に重ね並べます。今年は、水の他に塩熱サプリが加わりました。

9時32分車椅子先頭ランナー3名が、9時55分には10人程の先頭ランナーが通過。その後しばらくして一般ランナーが続々と我々の前を通過し始めます。

今年のランナーは32千人、我々の前の紙コップに手を伸ばすランナーも多くなり、取りやすい場所へ紙コップを移す作業でゆっくりランナーを見る余裕もないほどでした。
しばらく多忙な時もありましたが、その内ランナーのスピードも全体にスローペースとなり例年通り色々な扮装をされたランナーたちとの一瞬の交流を楽しみながら作業を続けます。

12時過ぎ、最終ランナーとその後を行く制限時間内に走れていないランナーの収容バスが通過して撤収作業へ。
12時30分過ぎ解散、私は天王寺まで2キロ余りをウオーキングし、バスで帰宅。

上本町に着き千日前通りを歩いていますと、向かいの通りを大阪マラソンの丁度30キロ地点手前を走るランナーが列をなして走っていました。
今年のコースには、大阪府庁・造幣局・大阪中央公会堂・国立文楽劇場・あべのハルカス・四天王寺・大阪城等大阪市内の新旧建造物を見ながら走れる名所巡りのように設定されており、抜けるような青空のもとを駆け抜けたランナーにとっても楽しく走れたのではないかと思っています、とはいってもランナーにとっては見る余裕はなかったでしょうか。
毎年、お世話頂く三井ボランティアNET事務局の皆様有難うございました。
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