大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

北野恒富展

2017年07月10日 | 催事
あべのハルカス美術館での「北野恒富展」へ。
大阪の女性を描き続けた画家、とのキャッチフレーズに魅かれ相棒を誘って出掛けました。

没後70年を記念しての大回顧展、大阪初のなにわの美人図鑑として開催されています。

北野恒富
1880年金沢の生まれで画家を志し17才で来阪。
新聞の挿絵画家としてスタートし明治から昭和前期にかけての浮世絵師、日本画家、版画家。

明治末には日本画家としての地位を確立、妖艶美漂う初期の作品は「画壇の悪魔派」と呼ばれた。
次第に内面表現を深化させた作品を生みだし、そして上品で華やかさを秘めたモダンな感覚「はんなり」に到達し、近代大阪画壇を牽引。
画塾「白燿社」を主宰して不二木阿古、中村貞以、樋口富麿、生田花朝女ら多くの門下生を育てたほか、大正末年には徳島で南海画塾も設立した。

浮世絵と同じ技法による新版画を発表し浪速情緒にあふれた木版画も残し、島成園を少女時代から指導した事も知られる一方で、いわゆる艶福家でもあり、孫娘北野悦子によれば彼女の幼少期、家には「おばあさんと呼ぶ人が三人」いたという。
また祇園や宗右衛門町などでの芸妓遊びを好み、一晩遊んだ後に居続けをすることもしばしばで、息子の北野以悦の結婚式に間に合わず式では参列者の一人が親代わりをつとめ、北野自身は記念写真の撮影の直前にようやく現れた、とも伝えられている。

昭和22年当時在住していた大阪・三野郷村(現在の東大阪市、八尾市の一部)の自宅で心臓麻痺のため67歳で急逝。
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