大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第1回・奈良 食にゆかりの社めぐり

2018年02月25日 | 和食の歴史でめぐる飛鳥・奈良・京都
昨日、歴史街道主催の「和食の歴史でめぐる飛鳥・奈良・京都」の第1回「奈良・食にゆかりの社めぐり」に相棒と共に参加。
この催しに参加したのは、適度のウオーキングと訪問地の名物の昼食がセットされていたので迷わず申し込みました。

第1回のコースは、
近鉄奈良駅前⇒林神社⇒今西本店(奈良漬)⇒餅飯殿商店街・理源大師堂⇒大宿所⇒鹿寄せ⇒春日大社(壺神神社・祓戸社・酒殿・竈殿・本殿・藤浪之屋・若宮神社・夫婦大黒社・広瀬神社)⇒昼食⇒奈良の食文化講座⇒近鉄新大宮駅

参加者12名が二班に分かれボランティアガイドに伴われてスタート。

林神社・・漢國神社の社頭に住んだ林浄印(中国浙江省の人・1349年来朝)が御祭神。
彼は肉入りの饅頭をもとに肉食の許されない僧侶のために、小豆の餡を肉に見立て白い皮に包み饅頭を作り評判を呼んだことから、彼は後村上天皇から賜った宮女との結婚式の時に紅白饅頭を配ったのが、結婚式で紅白饅頭を配る風習になった。
また、結婚式の際子孫繁栄を願って丸い石の下に埋めたのが饅頭塚の言われと伝えられています。
子孫の一人は、名字を塩瀬に改め京都で饅頭屋を営み、現在は東京で660余年伝統の味を伝えている。

今西本店・・粕漬けの起源は奈良時代に始まりどぶろくの粕に塩漬けした蔬菜類を浸しつけたことに発する。奈良漬の名称は、室町時代京都の貴族たちの大茶会の際、奈良の寺院から差し出された粕漬けが賞味され、時の帝から名前を与えられたのが始まり。
今西本店は、古来の製法(味醂粕を用いず最低3年以上酒粕に漬け込み、最低6回以上漬けかえる)を守り続けている。

餅飯殿商店街・理源大師堂・・理源大師は真言宗の僧で16歳で東大寺に入り、のちに東大寺の東南院(現在の本坊)や京都の醍醐寺を開いた。
平安前期に大峰山に棲みついた大蛇が人に危害を与えていたのを当地の勇敢な箱屋勘兵衛が理源大師とともに大蛇を退治した、この功績を讃えた当地の町民は二人に餅と飯を差し出し労を労うと、後に理源大師から「餅飯殿へ」と書かれた礼状が届いたことから当郷を餅飯殿郷と称されることになった。
この逸話にまつわる理源大師・箱屋勘兵衛等を祀る仏堂を建立した。

大宿所・・大宿所祭は、12月17日の春日若宮おん祭が無事執行されることを祈願した祭事で、その際の御湯立の式はおん祭に関わる人々の身を清める意味合いが込められ、又のっぺい汁が振舞われる。


その後、春日大社参道の南側の飛火野と呼ばれる場所での鹿寄せへ。
鹿寄せは、ホルンを吹き始めると、その音色に誘われ森の奥からたくさんの鹿たちが集まって来てくれます。 奈良でしか見られない、さわやかな朝の澄んだ空気に包まれるのどかな光景を楽しみました。

奈良公園の鹿は現在約1500頭生息しており、毎年約400頭誕生しますが交通事故・疾病や異物を誤食で約400頭(内小鹿約150頭)が死亡しているようです。
下の写真は、昨年12月に生まれた小鹿です。

最後の訪問地春日大社での特別参拝で本殿・藤浪之屋等を見学後、バスで新大宮駅前の昼食会場へ。
大和肉鳥のから揚げがメインの昼食はボリュームたっぷり、清酒発祥の地が奈良であることから地元の日本酒がサービスでセットされていて皆さん大喜び、ついつい飲み過ぎ?。

昼食後、奈良の食文化についての講座を受講して解散。
講座では、清酒の発祥が奈良であり、素麺のルーツが三輪素麺・饅頭のルーツが薯蕷(じょうよ)饅頭・お茶のルーツが大和茶・鶏食のルーツが大和肉鳥・氷食のルーツが氷室神社のかき氷・うどんのルーツが春日餺飥うどん・醤油と味噌のルーツ醤、また柿の葉寿司の発祥も奈良である事を教わりました。

今回の歩数12379歩。
8回シリーズの次回は、3月に斑鳩方面へ、楽しみです。
関係者の皆様有難うございました。


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