大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

一休寺

2018年11月28日 | 風景
昨日、しばらく風邪で臥せっていた相棒と共に、一休寺の紅葉見物へ。
今年の紅葉の候補は、一休寺と箕面。
相棒の体調を考え歩くことの少ない一休寺にしました。

近鉄新田辺駅から臨時バスで一休寺へ直行。
バス停付近には観光バスが数台、観光客と共に数分で到着。

山門を入った所から紅葉のトンネル、皆さんカメラに夢中、私も負けずにパチリ。

酬恩庵 一休寺
鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが初めで、元の名は妙勝寺。

元弘の戦火にて焼失していたものを一休(宗純)禅師が康正年中(1455~56年)宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩に酬いる意味で酬恩庵と命名。

禅師は、ここで後半生の生涯を送り81歳で大徳寺住職になった時もこの寺から通い、文明3年(1481年)88歳で示寂。遺骨は当寺に埋葬。
一休禅師は、後小松天皇の皇子であるので陵墓は宮内庁管理。宗純王廟は当初慈楊塔と呼ばれていたが現在は法華堂と改称されている。
このことから一般には一休寺として知られる。

方丈は、1650年加賀三代目前田利常により寄進。国の重文。内部襖絵は狩野探幽筆。本尊は一休禅師で木造を遠目に拝観できる。この木造の頭髪と髭は一休禅師のものと伝わる。(写真上右・ホームページより)
方丈周囲の庭園は、石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六昌俊三名の合作で江戸初期の禅院枯山水庭園で名勝指定。

境内には「このはしわたるべからず」の橋、方丈内には「虎の屏風」があり、一休さんのとんち話が思い出されました。

「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」の歌があり、正月を迎えるたびに思い出すことがありましたが、一休さんの作で一休さんがしゃれこうべを持ってこの歌を歌って踊りながら歩いたことを知りました。

今年の5月、この近くにお住いのT氏のご案内で一休寺他南山城の寺社にご案内頂いた際、一休寺のカエデが多く紅葉時期には来ようと思っていたことが実現できました。
平日のお蔭でそんなに混んでおらず、小春日和の中見事な紅葉をゆっくり拝観できました。
コメント
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