島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

柳家甚語楼

2014-12-16 | 富江
 
 一人の時も家内がいる時も、時々行く「ソトノマ」と言う名の食堂。
どこからか?五島に来た?おばさん?家族?がきりもりしている食堂です。
雰囲気もよく、安くて味もよく、量も多い夕食を食べに行ったりしている店です。
 ここ「ソトノマ」では、時々音楽会もやってるようですが、今回は2回目の落語会。(50人は入れないぐらいの会場です。)
 先週の金・土・日は当直なしのフリーだったので、金曜日の夕方食事を食べた後、落語を聞きに行ってきました。
 柳家小さんの孫弟子の「柳家甚語楼」さん、私より20歳ぐらい若いですが真打です。
金語楼のような丸い顔、東京の落語家ですが、やっぱり上手で生は楽しい、家内ほどではないですが、よく笑いました。
 釣りが好きで、それで五島に来るようになったそうですが、なんとかついでに落語をしてくれているので、ありがたい限りです。
 千円で2席も落語が聞けて、間近に真打を見れて(間近すぎて撮影遠慮したぐらいです)、終演後ケーキセットを食べて、満足して帰りました。
 やっぱり、福江島は都会です!

   返事
花水木さん:いつもきちっと読んでもらっているのが分かって、
     今更ながら感謝です。
    やっぱりここの文おかしいですね、おかしいなあと4回ほど直してこれです。
    「真っ暗の中を歩く季節、になってきています」と書くつもりを、「歩く季節」を省略しておかしくなりました。
     「をに、なって」と、二の後に点ですかね?直せば直すほどおかしくなっています。
     基本的に私は、小学生の頃から句読点の打ち方を知らなすぎるようです。
大雪男さん:私もこれらを鴟尾と言うかどうかはっきり知りません。
    
    ラミーチョコ、捜して158円で買いました。
    チョコは何も入ってないのが好きですが、初めて食べて美味しかったです。
コメント (3)
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鴟尾(しび)

2014-12-12 | 富江
 
 仕事が終わってからの夕方のフークの散歩は、日本の西の端でももう真っ暗の中を、になってきていますし。
休日の少し早い夕方の散歩でも、もう薄暗くなっては来ています。
 只狩山を眺めながら、すすきの原の横を歩きます。
 
 富江町狩立界隈にも、入母屋造り風の立派な家がたくさん並んでいますが、夕方散歩の時には夕陽を受けて屋根も輝いていました。
 
 こんな家の大棟の鴟尾(シビ)として、立派なしゃちほこが乗ってる家も少なくありません。
 
 大棟の瓦が9段も重なっています。
このように「棟の瓦の段数が多いほど、立派な格式ある屋根なんですよ。」と、どこかの寺院の説明で聞いたことがありますが、ここの鴟尾自体は簡素化された物。
 この鴟尾も富江でよく見かけます。
 
 最近の新しそうな家の屋根には、こんな風な尖塔状の鴟尾が乗ってる家が多いです。
映画「トトロ」のメイの洋館風の家の屋根にもこんな尖塔風の鴟尾が付いていましたので、五島出身のジブリ映画背景作者山本二三さんもこれを富江で見ていたかも?
 35年前に私が京都で購入した安い建売住宅にも、ふさわしくない冠木門という役に立たない門が付いていましたが、住宅建築も時代時代や場所場所によってさまざまなんでしょうね。

    返事
和みさん:う~ん、人それぞれで気になることが違うのですね。
    それがまた面白いのですが。
     確かに岩と岩の間、非武装中立地帯には、地雷ではなく岩があるだけだったので、
     富江領にしときます。
花水木さん:女の人って、いつまでたっても若い時の恨みつらみを言いますよね。
大雪男さん:ラミーチョコ、我々年代には常識のようですが、
    私は知らなかったし、「ラッシー」のそんな場面も憶えていません。
     調べました、ロッテのチョコレートなんですね、食べたことはないようです。
和さん:発音は色々ですね。
     私的には「うっぜ・うんまんぜ」が好きです。
コメント (2)
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馬瀬・牛瀬

2014-12-05 | 富江
 
 富江から福江に行くいつもの道を、いつものように海岸に沿って走り、一つ目のトンネルを抜けると、そこは富江町の田尾地区。
その田尾の一番端までが富江町で、その向こうは福江です。
 この道路沿いにこの看板が立っています、牛瀬・馬瀬と書いてある名所説明文。
 
 海岸から眺めると、この写真の左半分は富江町の田尾、右半分は旧福江市の福江町です。
先ほどの看板は、この写真のちょうど真ん中あたりの道路沿いに立っていて、中央黒っぽい岩が写ってるのが分かりますね、ここが馬瀬・牛瀬。
 *看板は牛瀬・馬瀬の順に書いてありましたが、病院職員の富江住民に聞くと、皆が馬瀬・牛瀬と言います。
読み方は「ばせ・ぎゅうせ」と言う院長、「うませ・うしせ」と子供は学校で習ってきたと言うお母さん看護婦さん、「うまんぜ・うしんぜ」や「うっぜ・うんまんぜ」もありました。
 
 元々富江藩は、ひと騒動あっって福江藩から分藩され出来た藩。
その境界を定めるにあたって、富江藩は牛に福江藩は馬に乗ってそれぞれの城下を出発し、その出会った場所がここだったので、ここを両藩の境界としたそうですが、牛と馬ではえらく富江藩には不利な境界の定め方だったようですね。
 その時の牛が富江よりのこの左側の岩(確かに牛です)、右の福江よりの小さな岩が馬(これはせいぜい見えて寝そべったラクダ)だそうで、そこからここを馬瀬・牛瀬と呼ぶようになったそうですよ。
 
 これで納得したらいいのに、なんか馬の岩の形が気に入らないので、今度は湾の反対側に回って眺めてみると、牛だった岩さえ牛に見えなくなっています。
船から眺めることが出来ないのは残念ですが、科学者?としてはなんか不満が残ります。
 
 看板の所に戻って、道の上から海岸の岩を眺めると、牛の岩と思っていた岩は2個の岩に別れて並んでいました。
右側富江側が牛の岩(サイにも見えますが)、左の福江側が馬の岩(馬の背という感じ)に見えませんか?!
これが真相なのでは?!馬瀬・牛瀬の名の由来岩はこれのことでは?!
 富江の読者(まだ少ないか?)の人で、知っていれば教えて下さい。

     返事

花水木さん:奈留島でも、しけで船が来ない時に真っ先に無くなるのは菓子パン。
     福江島でも、パンの棚からパンが無くなってるのを目にします。
     島の生活にいつからパンの文化が入ってきたのでしょうかね?
大雪男さん:昔よく買った、袋を持った黒人の太ったおばさんの絵が付いた干しぶどうの袋、
     あの袋一杯分ぐらい干しぶどうが入ってる気がします。
商家の嫁さん:ジャパンカップは買えたのに失敗しました。
    息子からは自慢げに、馬連で大もうけしたと電話がありました。
和さん:つばき屋さん系のスーパーです。
     みかんやさんからブドウパンとアップルパイのリクエストがあって、家内が予約に行くと、
    普通は5個ずつぐらいしか作らないと言われたそうですが、その後希望の10個ずつ作りますと電話があって、
    前日に買い占めて奈留島に持っていきました。味はみかんやさんに聞いてください。
和みさん:あのスーパーまだ新しいのですね。
    ブドウパンの方は、モールの店に行かないと、なかなか有りません。
福山市さん:私の子供たちは、干しぶどうも焼きりんごも好きではないようです。
    この二つが好きなのは、我々世代ぐらいですかね。
コメント (4)
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