島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

116‐2桃園天皇女御一条富子

2023-02-05 | 天皇陵巡り

 昨年春の旅行で、海沿いの喫茶店で休憩した時に食べた、ほぼアイスクリームだけのパフェです。

ケーキも食べたのではなく、ケーキは家内の分です。

 と言うことで、今回は残念ながら月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。

 関白一条兼香(カネカ)(1693~1751)の娘一条富子(イチジョウトミコ)(1743~1796)は、1755年に入内し、第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)の女御となって、二人の皇子を産んでいます。

  写真は何回も出てきてる月輪陵の門です。

  その門のアップです。

 夫である桃園天皇が22歳の若さで亡くなった時、二人の間の第1皇子で次期天皇になるべき英仁親王(ヒデヒト)はまだ幼過ぎたので、皇位は夫の姉、すなわち富子にとっては義姉智子内親王(トシコ)が継ぎました。

 この第117代後桜町天皇(1740~1813)(在位1762~1770)の中継ぎ後、富子の実子の英仁親王が第118代後桃園天皇(1758~1779)(在位1771~1779)となったので、富子は皇太后に成り、恭礼門院(キョウライモンイン)の院号も授かっています。

 皇位に就いた息子後桃園天皇ですが、病弱で夫と同じく22歳で亡くなったので、唯一の孫である欣子内親王(ヨシコ)(1779~1846)を富子自身が育て、第119代光格天皇に入内したのを見届けて亡くなり、月輪陵に葬られました。

  その制札21番目に 桃園天皇女御尊称皇太后富子月輪陵 とありました。

コメント (8)
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