ぶらぶら人生

心の呟き

烏賊と漁火

2006-07-21 | 身辺雑記

 近所に住む友人が、ビニールの買い物袋を差し出して言った。
 「息子が釣ってきた烏賊と、ばあさんが作ったキリギリスの餌さ」
 中身を確かめるまでもない。
 烏賊と胡瓜の差し入れなのだ。
 私は、とびっきり美味しい烏賊が食べられると思うと、嬉しくなった。お店で買う烏賊とはまるで味が違う。去年もいただいたので、よく分かっている。
 鮮度の問題だと友人はいう。釣った後、すぐ凍らせてあるので、海に泳いでいる時のままの味が保てるのだと。すぐ冷凍庫に入れておくようにと、友人は指示した。

 先日、久しぶりに見た漁火を思い出した。
 夜のとばりが下り、深い闇に閉ざされた海上のはるかに、漁火は、町の灯よりも賑やかだった。数がどんなに多くても、どこかもの寂しいのが漁火だ。

 友人が帰った後、「漁火」は夏の季語だろうな、と思いながら歳時記を調べた。
 が、出ていない。では、春? と思い直して調べたが、そこにもない。勿論、秋にも。海上のしける冬期の季語であるはずはない。
 広辞苑、その他を調べても、季語としての説明はない。
 あの風情ある漁火の状景を、どうして季語として認めないのだろう?
 疑問に思いながら、烏賊そのものは季語にあるのだろうか、と調べてみた。
 烏賊という季語はない。が、下記の言い方が、夏の季語としてあった。

 「烏賊釣」 「烏賊釣火」 「烏賊釣船」 「烏賊火」

 
人魂の祭のごとし烏賊釣火       渡辺恭子
 天に海に烏賊船の火のともりそむ   原 石鼎
 水天の闇を烏賊火の二分けに     中村将晴

 
三句とも、状景をうまくとらえている。
 歳時記には、季語(「烏賊釣」)の説明を、次のように述べている。

<烏賊は昼間は海深く沈み、夜になると水面近くに浮き上がってくる習性がある。種類が多く地方によって漁期も異なるが大体夏期が多い。灯を慕って集まるので、集魚灯を照らして漁をする。<烏賊釣火沖ゆらぐごと増えにけり 大澤ひろし>のように、烏賊釣り船の灯が海上に連なる景は、美しくまた涼しげである。(以下略) [倉田紘文]>

 
別の本によると、昼間、烏賊は二百メートルの深海を遊泳しているのだそうだ。習性とはいえ、ご苦労な話だ。海中には、沢山の未知が潜んでいるらしい。

 漁火という季語はなかったが、それに代わる季語が存在したことで安心した。
 かつて勤めをしていたころには、日暮れて帰宅するごとに、日本海沖の漁火を眺め、その折々の情趣に浸ることも多かった。今は日暮れまでに帰宅する慣わしなので、めったに漁火を眺めることも、その妖美や寂寥感を味わうこともない。

 一度だけ、烏賊釣船に乗ってみたいと思っていた。夜の大海原の浪や風を一身に感じながら、日ごろ、自分の住んでいる煩わしい人里をはるかから眺めつつ、海上を揺蕩うてみたかった。
 その話をしたら、私の幼馴染の友達が、乗船を約束してくれた。だが、彼はそれを果たさず、突如他界した。
 漁火を眺めるとき、友人の死を悼む思いからも、逃れることができない。

 いただいた烏賊は、極上の味であった

 
(写真は、友人から貰った烏賊と胡瓜)

 

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生方たつゑの歌

2006-07-20 | 身辺雑記

 岡井隆編「集成・昭和の短歌小学館)
 生方たつゑ(1905~2000)<大貫貞一選より>

 http://www.city.numata.gunma.jp/introduction/bunko.html

 戦前戦後を通じ、代表的な女流歌人であることは知っていたが、まとめて歌を鑑賞するのは、今回が初めてである。
 私の持っている本には、著者の没年を記したものがなく、パソコンで調べたところ、2000年に逝去、長命の歌人であったことを知った。
 「集成・昭和の短歌」所載の歌は、「山花集」と「「白い風の中で」の二歌集に限られている。生涯には、多数の歌集が出版されているようだが、今回は、主に、上記の歌集の中から、私の好みの歌を書き出すことにする。

 ふりこめし二日の雨もはれぬれば斑雪(はだれ)流れて山肌すがし
 痩せほそるこのししむらよ注射(はりさ)してなほ生(いき)の緒をつながむとすも
 山の秋の陽脚短し手にふれし干物にいまだしめり残れり
 薄氷うてば破れむ鉢のそこにわれば重たくうごく水あり
 小夜更けを帰り給はぬ吾が夫(つま)に柚子湯わかして待ちてゐにけり
 薄皮をぬぎてすがしく芽立ちたるサフランの鉢を日向にはこぶ
 立ち並ぶ欅の細枝(ほそえ)むきむきに陽あみて空にひろごりにけり
 齢(よはひ)更けし老母(おいはは)が家に安まりぬ薄きみ髪(ぐし)を梳きて参らす
 朝土のつゆの蒸(あが)りにぬれにける韮の白花こぼるる幽(かそ)けさ
 桐の実の雫に霑(ぬ)れて落つるありこのひとときのさびしさに堪ふ
                  (昭和10年、むらさき出版部刊「山花集」より)
 謀られてゐるわたくしを意識して交はりゆけば夜の埃あり
 あたたかきゆふべ秘密をもらすごと忍冬酒(にんどうしゅ)の甕の泡だてるおと
 黒姫 妙高にならびて雲が照りてをり岡断(き)りて鳴る水も光りて
 海石に貝を磨ぐ夜よかりかりとかなしき無機の摩擦音たてて
 黄昏をよぶごとく吹く鳥笛よこだまは珪酸質のかるさをもてり
 馬市に狡(ずる)き打算のこゑすれど仔をつれをれば馬は明るし
 しろき帆布張りたるごとき雲起(た)てばわれに光りくる何の暗号
 無機質に還へりし兄の壺抱けば貝よりさわやかに骨(こつ)が触れ合ふ
                  (昭和32年、白玉書房刊「白い風の中で」より)

 その他の歌集から二首。(「日本名歌集成」より)

 北を指すものらよなべてかなしきにわれは狂はぬ磁石をもてり
                  (第10歌集「北を指す」 昭和39年)
 濁りたる川に花首揉まれゆくを見てをりしづかなる運命として
                  (第12歌集「春禱」 昭和43年)

 いい歌、好みの歌が多く、その中から厳選して、上記した。
 短詩系の文学では、作者の背景を知らないと、歌意を理解しがたいことも多い。が、この作者の場合は、肉親を詠った歌あり、風景や自然の営みを詠った歌あり、更には、作者の心象を詠った歌あり、歌材はいろいろだが、解釈に難渋する歌は少ない。
 作者が誰かを知らずに読んだとしても、女流歌人であることだけは、言いあてられる。女性の心情の細やかさ、感覚の鋭敏さなどが、随所に見られる。
 また、表現が美しい。古語も含めて、和語の美しさを感じる。
 「海石の……」の歌にある<かりかりと>の例のように、擬声語、擬態語、畳語的な言い方が比較的多く、それが表現効果を高める言葉として、うまく生かされている。比喩表現の巧みさにも、感心した。

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水槽の熱帯魚

2006-07-19 | 身辺雑記

 かかりつけの医院へ行くと、その待合室に、
 熱帯魚の水槽がある。
 色鮮やかな魚たち。
 人の眼を楽しませるために生まれたのではあるまいが、
 水槽に飼われ、その小さな世界を、ただ泳ぎ回っている。
 それが生きる唯一の目的ででもあるかのように。
 それを見て、人も心を揺るがせる。

 グッピー  エンジェルフィッシュ ネオン・テトラ そんな名の熱帯魚がいた。
 昔、よくコーヒーを飲んだ喫茶店には。その名を「メトロ」といった。
 どの席に座っても、水槽がそばにあって、さまざまな熱帯魚の
 遊泳を眺めることができた。

 流行が去って、熱帯魚を飼う店が少なくなった。
 「メトロ」も、いつの間にか閉店した。アーケード街が寂れるのと同時だった。
 だが、思い出だけは色あせない。
 今日見る水槽の彼方に、「メトロ」の熱帯魚や思い出が重なり合う。

 「メトロ」に限らず、近年、思い出の喫茶店が次々姿を消した。
 若い日の思い出を封じ込めるかのように。
 「麗」 「ヴィーナス」 「谷間のともし灯」 などなど。

 水槽の熱帯魚の揺らぎが、思い出を揺るがしつづける。
 
 

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送り梅雨

2006-07-18 | 身辺雑記
 数日前、もう梅雨が明けたのかと錯覚するほどの、晴れて暑い日が二、三日続いた。山の上には積乱雲が現れて、真夏本番を思わせた。が、その後再び雨の日となり、昨日今日は、雨が降ったり、止んだりの気まぐれな天気となった。
 私の住む石見地方には、今のところ被害は出ていないが、大雨洪水警報は出されたままだ。梅雨に舞い戻ってしまった。
 こうした時期の雨を、季語では「送り梅雨」とか、「返り梅雨」「戻り梅雨」というらしい。
 私の「歳時記」には、こう記してある。

 <梅雨明け間近の頃、再び梅雨のような天気に戻ること。北上した梅雨前線が再び活発になり、豪雨が局地的に降ることもしばしば。七月上旬から中旬にかけてがその時期となる。(以下略) [坊城俊樹]> 

 今夕の全国ニュースでも、真っ先に大雨の情報が取り上げられている。東日本、西日本の広範囲にわたって、なお大雨に警戒が必要であると。今までに降った、かなりの雨量により、地盤が相当緩んでいるようだ。土砂崩れ、川の氾濫などに注意するよう、呼びかけの放送もなされている。

 今回は、特に山陰・北陸などが、集中豪雨の地域となっている。
 昨日は、島根の東部、出雲地方の災害が、全国版のニュースとなった。土砂災害により電車が脱線したり、人家の裏山が崩れて、その土砂の下敷きになった人が、意識不明の重体であるなど……。

 毎年幾度か、どこかで、繰り返される災害の情報を聞くたびに、惨事の状況を想像し、心を痛める。人間の想像力には限界があり、集中豪雨の本当の怖さは、やはり経験した人でなければ分からないだろう。
 私は、昭和58年の水害に遭遇した。幸い、私の家は、少し高手にあったので、浸水は免れたし、直接の被害はなかったのだが、友人の住む隣家が裏山の崩落で押し流されたり、私の勤めていた職場が、二メートルの高さまで浸水するなど、身近に大災害を体験した。

 私は、7月23日の朝、二階の窓から、昨夜来降り止まぬ、篠突く雨を眺めていた。
 雨は永劫に降り続くかと思われた。
 目の前で、たちまち山陰本線の鉄路が水につかり、見る間に9号線が姿を消し、向かいの中学校の校庭にいたる広い土地が、一面の大きな湖に変じてしまった。
 あの朝の光景は今なお忘れることができない。
 その異変の経緯は、瞬間のことに思えた。
 妹から、大丈夫かという電話があり、まだ話し中に通話が途切れ、そのまま通じなくなった。電気、水道など、生活手段のすべてが、奪われた。テレビによる報道も聞けなくなり、皆目状況がつかめなくなった。

 職場のある町は、最も大きな災害を蒙っていた。
 職場までの距離は、十キロあまり、鉄道も道路も不通の状態で、動きが取れなくなった。
 一旦豪雨がおさまると、猛然と炎暑が訪れた。
 水害の翌々日、近くに住む、男性の同僚と一緒に、とにかく職場に出かけてみようということになった。寸断された道なき道に脚をとられながら歩き、橋のない川を、壊れた橋の残骸に縋りながら、必死に渡った。励ましあい、体力のない私は、同僚に助けられながら、何とか時間をかけて、職場にたどり着くことができた。
 水が引いた後の職場は、大惨事だった。どこから手をつければいいか方途もつかめず、ただ呆然と眺めるだけだった。
 あの時の喪失感から生じる虚しさ、20余キロを歩いた過酷な体験、復興のために働いた日々は、私の生涯にとって、初めての出来事ばかりだった。得がたい経験ではあったが、つらい体験でもあった。
 しかし、私が失ったものといえば、職場においていた私物程度にすぎない。
 107名もの人が死亡し、怪我人や病に臥す人たちが続出した。多くの人々が、倒壊、半倒壊によって住む家を失い、家族や家財も失った。たくさんの思い出までもなくしてしまったのだ。
 その年の豪雨災害で、県西部に住む者すべてが、天災の怖さを存分体験させられたのだった。

 私の手元には、その災害を記録した冊子がある。
 表紙には、58・7 島根県西部 豪雨災害 550㎜の恐怖ある。
 山陰中央新報社が、編集・発行した102ページの冊子は、写真に添えて、下記の表現で、その災害の状況を伝えている。
 (後半には、復興への取り組みの様子も、写真と共に載せている。)

 [襲いかかる自然の猛威] [水魔が!荒れ狂う] [水の猛威!] [無残] [車が消えた] [崩壊] [逃げろ] [町が沈んだ] [車が流され“倒立”] [家の中を川が流れた] [土砂の恐怖!濁流の恐怖!] [陥没] [人も、家も、土の下] [直撃] [沈没] [えぐり取る!!] [かけがえのない命を奪い深い傷跡を残した] [憎しみの豪雨]など。

 この豪雨災害の前年には、長崎が同じような被害を受けている。
 近年の災害を思い起こしても、各地が甚大な被害を蒙っている。
 豪雨は避けられないとしても、人間の知恵や政治の力で、いかにして災害を最小限にくい止めるか、その方策を考え続けてゆくことは、今後もおろそかにできない課題だろう。
 私は、書棚の奥から、貴重な記録を取り出して、23年前の惨事を思い起こしながら、この度の「送り梅雨」が、更に被害を広げることなく去ってくれることを念ずるばかりだ。

 この稿を書いている今、石見の夜は静かである。雨の音も聞えない。今日の一日も、時折雨は降ったが、おとなしい降り方であった。
 朝方にも雨はなく、庭に出て、先日来花を咲かせている木槿の底紅を眺めたり、ヘメロカリスの写真を撮ったりした。添付の写真がそれである。
 戻り梅雨の憂鬱や不安を忘れさせるかのように、花壇の一隅に、ヘメロカリスは、彩り爽やかに咲いていた!
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芝生田稔の歌

2006-07-17 | 身辺雑記

 岡井隆編「集成・昭和の短歌小学館)
 芝生田稔(1904~1991)<宮地伸一選より>

 前回の前川佐美雄とは、生没が丁度一年異なるだけで、ほぼ同時代を生きた人である。それでいて、歌の質がまるで違うのが面白い。
 難なく、歌に共感できるのは、芝生田稔(しぼうたみのる)の方である。立ち止まって考えるまでもなく、歌意がすっと心に届き、共感の思いが広がる。

 あひともに午後をすごして言ひしこと夜ふけてはかなく思ひ浮かべつ
 亡き母の日記のことを父は言ふ早熟にして意気地なかりしわが幼年を
 何もかも受身なりしと思ふとき机のまへに立ちあがりたり
                         (昭和16年、墨水書房刊「春山」より)
 若き者すでに戦争をおそれずと知りたる時にわれはをののく
 色ならば寒色なりと二十五年つれそふ妻がわれを言ひたり
 すでにしてわれと妻との残年をやや切実に思ふことありし
 命長ければみじめに死にて行く実例一つまたここに見ぬ
 父母の悪しき遺伝もそれぞれに子らは負ひ持ち人となりゆく
 トランペット悲しき音とわれは聞く吹く若人の悲しみのごと
 煩ひも若き日のそれと異なると嘆きて長く床に覚めゐる
                         (昭和40年、白玉書房刊「入野」より)
 紛争はかならず結着に至るもの太平洋戦争のその終りすら
 滅亡しても惜しくない人類かと思ひてゐたりとどのつまりに
 老い老いて死(しに)をおそるる心すらほけゆくさまをわが想像す
 魂(たま)消えてむくろ汚く残れるを人のこの世の業と言ふべき
 苦しみて書けざる文にわが向ふ少年の日の作文のごと
 きほいつつかなかな鳴きし朝々も茫々として遠き思ひす
 今日しみじみと語りて妻と一致する夫婦はつひに他人ということ
 堀田善衛氏に我はあらねど方丈記を隠者の文学と我も思はず
 また転びてズボン破れる憂鬱は妻に語らず二階に上る
 窓の入日まどかに紅きころとなり二十年の日月まぼろしのごと
                    (昭和57年、短歌新聞社刊「冬の林に」より)

 日々の生活の中で、湧き出す思念を詠った歌が多く、身近さを感じる。内省的、知性的な生活姿勢や感性が感じられ、人間の生き方、心の在り方を、読むものにも訴えかけているように思う。
 肉親に触れた歌、生と死、人生の末路を詠った歌など、誰しも考えざるを得ない問題だけに、心を打たれる。

 

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長屋門珈琲 「カフェ・ティカル」

2006-07-16 | 旅日記
 7月13日、山口県立萩美術館の展示品を見た後、長屋門珈琲の店「カフェ・ティカル」へ向かった。
 小川家長屋門を入ると、自家焙煎のコーヒー、なんでもありの喫茶店がある。それが「カフェ・ティカル」である。
 ドアを開けると、たちまちコーヒーの香に包まれて、思わず頬が緩む。
 お店のたたずまいが普通のお店とは変わっている。萩の城下町らしい名残と異国的な風情とが、渾然としていて、しかも違和感がない。
 二年前に、ジパングの冊子で、この喫茶店のことを知り、やはり萩美術館の展覧会を観た帰りに、タクシーで立ち寄ったことがある。
 それ以来、二度目の訪れである。今回は友人の車で。
 お店の雰囲気は全く変わっていなかった。
 前回は、店内に置かれたコーヒーの木の鉢植に気をとられ、コーヒーをいただきながら、お店のマスターに、その木の育て方などを伺った。
 相変わらず、大きな鉢にコーヒーの木は植わっていたが、今は、白い花も赤い実もなかった。
 あれは、どの季節だったのだろう? 帰途、東萩駅に向かって松本川沿いに歩くとき、風が冷たかったことを思い出す。春先だったのか、晩秋だったのか。
 コーヒーの木に、花もあり、実もあったということは、時期が限定できそうなのに、よく分からない。
 このたびは、ゆっくり窓の外に広がる庭も眺めた。奥行きのある庭に、木々や草花、古い灯篭などがあって、外でも喫茶できるように、テーブルや椅子が、やや無造作に置かれている。この庭の、あまり手入れの行き届いていないところが、かえって自然でいい。

 ゆったりと休んで、お店を出るとき、以前来たとき、折角コーヒー豆をいただいたのに、栽培に失敗したことをマスターに話した。勿論、マスターが、一見の客との対話など、覚えておられるはずもない。
 お店を出て、長屋門周辺の写真を撮っていると、マスターが店から出てこられた。
 「たった二粒ですが、少し乾かしてから、植えてみてください」
 そう言って、ビニールの袋に入った豆を手渡してくださった。
 その時だった。
 長屋門の入り口に繋がれていた犬が、私に向かって、猛然と吠え始めたのは。
 これには驚いた。
 それまではおとなしく悠然と寝そべっていたのに。
 犬の心理を察するに、<わが主人のものを取る勿れ>と、怒ったのだろう。マスターが、どうぞと差し出したものを、こちらは丁重にありがたく頂戴したのに、犬の方は、私が主人のものを奪ったと、思い込んだに違いない。
 犬の、主に対する必死な忠誠心に、驚嘆した。

 帰宅後、二年前に貰った、<コーヒー豆の育て方>を記した、一枚のマニュアルを探し出した。こまごまと水遣りの仕方などが書いてある。
 さて、今回はうまく発芽させることができるかどうか。
 昨日は7月15日、区切りのいい日なので、二鉢に一粒ずつ、コーヒー豆を播いておいた。マニュアルによると、40~60日で発芽するらしい。

 (写真は、「カフェ・ティカル」の入り口。)
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山口県立萩美術館 「浮世絵に見る風雅と風俗」展

2006-07-15 | 旅日記
 7月13日、山口で、用事を済ませた後、友人の車で、萩までドライブ。
 二つの市を結ぶ道は、快適なドライブコース。
 梅雨が明けたかと思えるような空の青さ、山際に盛り上がる雲の峰、夏山の木々の緑を眺めているうちに、萩に着いた。

 まず、山口県立萩美術館・浦上記念館へ。
 http://www.hum.pref.yamaguchi.lg.jp/

 開館10周年を記念して、「雅/俗 浮世絵に見る風雅と風俗」と題した展示会が開催中である。前期・後期に分かれ、7月4日からは後期の作品が展示されている。
 もう10年? そんなに多くの歳月が経ったのだろうか、と不思議な気がする。開館以来、幾度か訪れているが、10年の日々が過ぎたとは容易に信じがたい思いがする。ふわふわと、時間が流れ去ってゆくばかり……。

 趣向を凝らした展覧会だが、展示作品中に、当館所蔵のものが多く、今までに観た作品がかなりあって、少々新鮮味は乏しかった。
 浮世絵を通して、江戸文化や、庶民生活の一端に触れることはできたが、深く理解するには、更に知識が必要だし、洞察力や想像力も必要なことだと思った。
 小さい文字の解説を読むのも、次第に苦痛になってきた。視力も、根気も、衰えてきているのだろう。
 しかし、そう欲張ることもないと、この頃は達観気味、諦観気味である。

 私にとって、特に物珍しかったのは、伊藤若冲「薔薇に鸚鵡」写真・パンフレットの、上部の絵)や鍬形斎の、諸々の「略画式」など。初めて眼にするものには新鮮味がある。
 常設館の、動物たちをあしらった陶器や浮世絵などの展示は、こじんまりまとまっていて、面白いと思った。
 古来、人間が動物たちと深くかかわってきたことも偲ばれて。

 展示室を回る前に、喫茶店に入った。コーヒー好きな私には、ここのコーヒーも、美味しかった。
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怠惰な一日

2006-07-14 | 身辺雑記
 カーテンの向こうに、梅雨があけたかと思うような青い空があって、強烈過ぎる日差しが、物憂げに庭面に注いでいる。

 午前中は、聞くともなく音楽をきいた。
 意欲のわかない日は、音楽に限る。

 2006年6月9日N響演奏会の、再放送。
 指揮者 準・メルクル
 曲  目 シューマン     交響曲第4番ニ短調作品120
       クララ・シューマン ピアノ協奏曲イ短調作品7  (ピアノ 伊藤恵)
        シューマン     交響曲第1番変ロ長調作品38 「春」

 
指揮者 準・メルクルは、1959・2・11生まれ。父親がドイツ人のヴァイオリニスト、母親は日本人のピアニストの由。名前に「準」の字があるから、日本にゆかりのある人だろうとは想像したが、調べてみて間違いないことが分かった。
 バーンスタインと小澤征爾に師事。私が知らなかっただけで、いまや一流の指揮者らしい。
 指揮者のかもす雰囲気がよく、表情が豊かで、演奏を楽しんできくことができた。
 シューマンの交響曲4番の、どこか幻想的な味わいや、1番に漂う春の気分を、快くきいた。

 http://homepage2.nifty.com/junmarkl/

 クララ・シューマンのピアノ協奏曲もよかった。ピアニスト伊藤恵(いとうけい)の演奏をきくのも、初めてだった。

 
 午後のひと時は、井上靖の詩集を拾い読みした。
 (今日のような、鬱陶しい日は、まとまった読書をする気にもなれない。)
 詩集には、気に入った詩がたくさんある。
 一篇を引用しておこう。

    ふるさと

 “ふるさと”という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、
 どれもいい。外国でも“ふるさと”という言葉は例外な
 く美しいと聞いている。そう言えば、ドイツ語のハイマ
 ートなどは、何となくドイツ的なものをいっぱい着けて
 いる言葉のような気がする。漢字の辞典の援けを借
 りると、故園、故丘、故山、故里、郷邑、郷関、郷園、
 郷井、郷陌、郷閭、郷里、たくさん出てくる。故園は
 軽やかで、颯々と風が渡り、郷関は重く、憂愁の薄
 暮が垂れこめているが、どちらもいい。しかし、私の
 最も好きなのは、論語にある”父母国”という呼び方
 で、わが日本に於ても、これに勝るものはなさそうだ。
 ”ふるさと”はまことに”ちちははの国”なのである。
 ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国よ、風よ、陽よ。
                          
(第五詩集「遠征路」より)

 先日、長田弘の散文詩を読んだ後、散文詩という共通項を持つ井上靖の詩集を書棚から探し出した。文庫本二冊が出てきた。一冊は、第一詩集「北国」という薄い文庫本で、もう一冊の「井上靖全詩集」新潮文庫)には、同詩集も含まれている。
 <ふるさと>という詩は、きれいさっぱり忘れていた。が、論語にある<父母国>を引き、<ふるさと>とは、<ちちははの国>だというあたり、言いえて妙、だと感心した。私も、「ふるさと」という言葉は好きだ。
 が、上記に、指揮者、準・メルクルのことを書いたばかりなので、父と母の国が異なる人たちにとって、<ふるさと>とは? と、つい考えてしまった。最近は、準・メルクルに限らず、父と母の国(ふるさと)が、異なる人は多いはずだ。そんな人たちに、井上靖の、この詩は、どんなふうに映るのだろう?
 世界的な視野で考えれば、私のふるさとは、紛れもなく<ちちははの国>なのだが、日本の国の中で、<私のふるさとは?>と、自らに問えば、私自身も、どこがふるさととも、言い難い気がしてくる。根無し草の思い! しかし、この思いは、「ふるさと」という言葉が好きなことと、矛盾はしない。
 井上靖の、「ふるさと」詩は、詩集「遠征路」中の作品であることを考えると、異郷の地にあっての心境が、発想源になって書かれているのかもしれない。
 最後の、<ああ、……>に始まる一行の、やや感傷的とも取れる表現からも、そんな感じがする。
 
 今日は、ぼんやり音楽を聞いたり、気ままな読書をしたりの、怠惰な一日だった。

 
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槿花一日之栄

2006-07-13 | 身辺雑記
 木槿の花が咲き始めた。
 かなり長期間、花を楽しむことのできる木だが、一つの花そのものは、一日だげ咲いて夕べに凋萎する、儚い花である。したがって、「槿花一日之栄」と言われるのだろう。

 我が家の木槿は、底紅の種である。白い花弁の底に、鮮やかな紅が滲んでいる。
 「底紅」という表現は、歴然とした季語、木槿の別称として用いられるらしい。

 一昨年、パソコンを習い始めた当初、専らワードの活用を主目的としていたのだが、ペイントの画面で、絵も描けることを知って、幾枚かの花を描いた。
 木槿も描いたはずだと、古いフォルダを開けてみた。
 下手な木槿の花と下手な文字入りの絵が出てきた。
 あの頃は、マウスが、私の意思どおりに動いてくれなかった。
 小学生並みの絵や文字になった。それでも、結構楽しんで描いていた。
 随分昔のような気がする。が、まだ二年ほど前のことだ。

 今日は、木槿の開花を記念して、以前に描いた絵を添付しておこう。
    「槿花一日之栄」という文字入りの、底紅の花。

 <寸感>
 下手を自認しながら、それを恥ずかしいこととも思わなくなったのは、年を重ねて厚かましくなったせいだろうか、あるいは、自らの限界を知った諦念のせいであろうか。
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前川佐美雄の歌

2006-07-12 | 身辺雑記

 岡井隆編「集成・昭和の短歌小学館)
 前川佐美雄(1903~1990)<菱川善夫選より>

 http://www.town.shinjo.nara.jp/gyousei/gyousei_meiyo.html

 時期については定かに思い出せないが、かつて朝日歌壇の選者だった。したがって、名前だけはよく知りながら、どんな代表歌があり、どんな歌歴を生きた人かはよく知らなかった。まとまった歌を読むのも初めてであった。

 一読後、感動を共有できる歌や諳んじておきたくなるような歌は少なかった。
 作者紹介には、<「心の花」入会、新井洸の都会的感性から影響をうける。新興短歌運動に参加。「植物祭」はシュールレアリスムの幻想的な感覚美を見せ、大きな評価を獲得。>とある。
 引用文中の新井洸(1883~1925)についても知らなかったので、「現代日本文学大事典」や「日本名歌集成」で調べてみた。
 代表歌として、
 <人間のいのちの奥のはづかしさ滲み来るかもよ君に対(むか)へば>
が、あった。恋人だろうか、清純な女性に相対した時の、自らを省みての含羞がうまく表現されていると思う。こうした感情はよく理解できる。

 前川佐美雄の場合、新しい感覚とその表現が、私の理解を拒むのかもしれない。以下に掲げる歌は、歌人の代表作ではないかもしれないが、私の心に残った歌を引用しておくことにする。

 胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし
 ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし
 天井を逆しまにあるいてゐるやうな頸のだるさを今日もおぼゆる
 湖(うみ)の底にガラスの家を建てて住まば身体うす青く透きとほるべし
 はっきりと個性をかざして来る友といさかひ歩くをたのしみとせり
                         (昭和5年、素人社刊「植物祭」より)
 ゆく秋のわが身せつなく儚くて樹に登りゆさゆさ紅葉散らす
 曼珠沙華赤赤と咲けばむかしよりこの道のなぜか墓につづくも
                         (昭和15年、甲鳥書林刊「大和」より)
 春鳥はまばゆきばかり鳴きをれどわれの悲しみは混沌として
 この国を今はほとほとあきらめて腐り残れる薯も食ひゐつ
                         (昭和21年、臼井書房刊「紅梅」より)
 をりをりは首かしげ羽毛もつくろへり飛びて越えねばならぬ屋根ある
 いくたびか豹変もせりあはれなるわが生きざまの今はゆるがぬ
                          (昭和39年、昭森社刊「捜神」より)

 (昨夜、NHKの趣味悠々の時間に「リンクの張り方」について指導していた。早速、前川佐美雄の写真入り記事を見つけたので、私の記事に「リンクを張る」ことを試みてみた。張り方が正しいかどうか、よく分からない……。が、上記のURLをクリックすると、参考記事を読める仕組みにはなっている。)

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