ぶらぶら人生

心の呟き

<卵>について

2016-03-19 | 身辺雑記
 草花舎の支払いを済ませるっと、Yさんから、
 「これ、食べてみて。おいしから…」
 と、6個入り卵をいただいた。

 パッケージに入った卵を見るかぎり、そう変わっているようには見えない。
 ところが、食して、その美味しさにびっくりした。

  (卵の味を確かめるには、目玉焼きが適しているのでは? と思い、焼いてみた。下の写真)

          
           
 白身に対して黄身の量が多いし、黄身の色がやや淡い。
 食感がいい。
 黄身に、適度の粘りがあって、美味しいのだ。

 卵を選ぶときの基準は、私の場合、価格に頼っている。
 それは、美味しさの基準でもあろうと、単純に考えてきた。

 見た目で分かることは、卵殻の色の違いである。
 白いものより茶色系を選んでいた。
 黄身は外からは分からないけれど、淡いものより濃いものが、上質でおいしいのだろうと思い込んでいた。
 はたして、そうなのかどうか。
 根拠があって、そう思っているわけでもなかった。

 夕食後、タブレットで、<卵>について調べてみた。
 卵選びの基準は、私の勝手な思い込みらしい。
 鶏の飼料が、大きく卵の特色を決定するのだという。
 美味しさは、殻の色、黄身の色で決め得ることではないらしい。

 今日、Yさんにいただいた卵は、どういう鶏が産んだものだろうか?
 詳しいことは聞かなかったが、美味しさは格別だった。
 (殻は茶系、黄身は淡黄色。)

 ほぼ毎日食する卵なのに、知らないことが多い。
 価格の高いもの=栄養価が高く安全なもの、なのかどうか?
 
 知らないことばかりだ。
 卵は、好きな食品である。
 美味しい卵の選び方など、もっと知りたいと思っている。

 
             ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 
                      
     わが家の庭は狭いので、樹木は大方、広さに似合うよう、丈短く剪定されている。
     その低木の杏子とシデコブシ(こちらはヒヨドリにかなり荒らされているけれど)が、
     ほぼ満開である。(下の写真は、19日、草花舎から帰って、撮影したものである。)         

       

                 
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私のシーサー(吉岡萬理作)

2016-03-19 | 身辺雑記
 吉岡萬理さんの陶器の中から、私が選んだのは、窓辺に置かれていたシーサーである。
 残生を考えては、ものを増やさないようにと思いながら、一方で、たとえ一日でも心豊かに生きることが大事、という思いもある。

  (実に要領は悪いが、ものを捨てることも、日常の中で努めてはいる。
   が、雑多な品物が多すぎて、少々処理をしても、片づいた感じにはならない。)

 とにかく、目に留まったシーサーの二つ目を求めた。
 最初のシーサーは、私を笑わせた。
 哄笑ではなく、くすくす笑い。
 傍に置けば、楽しいだろうな、と思った。

 が、その隣で、「こちらこちら」と呼びかけているシーサーがいた。
 口を閉じ、斜め上を凝視している。
 「今、今こそが、大事でしょ!」
 と、強固な意志を示している。

 結局、私はこちらを選んだ。(下の写真)
 これも、出会いというものであろう。  

           

         
           後姿         右横から見た姿     左横から見た姿

 もう一つ、小型の<申のコップ「心は錦」と言うてます>を求めた。
 申年生まれの妹にプレゼントしたら、面白がってもらえるかな? と思いつつ。 
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3月の庭 その3 (室内の花)

2016-03-19 | 草花舎の四季
 室内の花を眺め、昼食もいただいた。

       
                春を盛った活け花と吉岡萬理さんの大皿

  
                                         トサミズキ

  

        
               手前の木彫りは、万里さんの父君の作品



  
                        サンドイッチとコーヒー
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3月の庭 その2 (庭の春)

2016-03-19 | 草花舎の四季
 ひと時、庭を歩く。
 庭の彩が、急に華やかになった。

         
                          杏子の大木

                
                 白木蓮?(辛夷にも似ているような…)

         
                         クリスマスローズ

  
                             沈丁花

  
         ヒマラヤユキノシタ                       ?

  
            早くも、ツツジ                  蕗の薹(多数あり)
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3月の庭 その1(吉岡萬理うつわ展)

2016-03-19 | 草花舎の四季
 草花舎で、  『吉岡萬理うつわ展』 が、開催中である。  (2610年3月19日~4月6日) 
 朝からの雨が、昼前にあがった。
 案内状によると、今日は<作家在廊日>である。

 さて、と考える。
 吉岡萬理さんの作品は、展示会ごとに求めてきたので、多数、私の日常生活の中に存在している。
 デザインや色遣いが個性的だが、ほんわかした温かみがあり、頬を緩ませるユーモアもある。
 そんな作品を創る作者に、私はまだお会いしたことがない。
 今日、草花舎に行けばお会いできる。
 さて、と重大な決断を強いられているかのように考える。

 一所に多くの人が集う場が、私の性に合わない。
 (都会の雑踏は、好きなのに…)
 ためらいの気持ちが強かったけれど、吉岡萬理さんの展示会は、2年に一度のペースという。
 今回を逃せば、お会いできないだろう。
 そう考えて、出かけることにした。

 予想どおり、来店者は多かった。
 作品は、毎回、似ているようで異なっている。
 各作品の本質的なところには、不変の作者が存在しながら、創られる作品の種類や形は、異なっている。

 心を楽しませてくれる作品が多い。
 陶器を眺めて、にんまりできるというのは、世に少ないように思う。
 多数の作品の中から、迷った挙句に何を選ぶか(もちろん経済的なことも考慮して)、お客の様子を見ているのも、面白い。
 人によって様々なのだ。
 作品も多様だが、人の好みの多様である。

 吉岡萬理さんにも、お会いできた。
 全く気どりのない方である。(下の写真の左側が吉岡萬理さん・右は草花舎で、しばしば生き方の示唆をいただくK・Sさん)

 お二人とも、温顔である。
 <師の温顔に接する>といった常套句的なものではなく、字義どおりの<温顔>である。
 (私は、いつも人の表情を観察する癖がある。表情だけでは分からない人柄もあるけれど、少なくとも、その折々の感情は読みとれるように思う。)

 


     以下、作品の数々。(今回は、大小さまざまなシーサーが加わっている。)
   

   

   
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