ぶらぶら人生

心の呟き

赤い手袋 (絵本「あかいてぶくろ」)

2008-02-09 | 身辺雑記

 今日は、気温の低い一日だった。
 髪の手入れを予定していたので、昼前のバスで町に出かけた。
 コートをまとい、ポケットに手を入れてみると、入っているはずの皮手袋がない。探し回っている時間的なゆとりはないので、別のコートのポケットから、手袋を取り出し、とりあえずこれにしようと、赤い手袋をはめて出かけた。

 スーパーで買い物を済ませ、その前のレストランで昼食をした。
 その後、美容院へ。
 そのとき、赤い手袋をしていたことは確かだ。道々、その手をかざして眺めたことを覚えている。私の赤い手袋は、非常に指がスマートに見える点で、気に入っていたのだ。
 
 持っている手袋にも、いろいろ特徴がある。
 値段の割には暖かさに欠けるもの。暖かさは抜群だが格好のあまり良くないもの。上等でもないのに、妙に手との相性のいいものなど。赤い手袋はまさにそうだった。

 その赤い手袋が、ポケットにも、カバンの中にも入っていないことに気づいたのは、帰途のバスの中であった。美容院でコートを着るときか、お手洗いに入ったとき、ポケットから落ちたに違いない。
 落としたとなると残念で、帰宅後、美容院に電話してみたが、お店にはないとのこと。とすれば、捜す手立てはないと諦めざるをえなかった。

 少し早い時間帯だったが、入浴することにした。お風呂を済ませる頃には、部屋が暖まるだろうと思いながら。
 湯船につかってもなお、失った手袋のことをぼんやりと考えていた。
 どうしてだろう? いつも気に入ったものから、なくなってゆくような気がする。
 眼鏡だって、そうだったし……。昨年、ついに姿を消したまま出てくることのない老眼鏡も、同時に二つ作ったうちの、フレームのお気に入りの方が、行方不明になってしまったのだ。

 そのうち、ふっと、「あかいてぶくろ」という童話を思い出した。(写真)
 中尾彰氏の童話である。生前の中尾彰氏と昵懇だったAMさんからいただいた絵本である。中尾彰氏は文章もうまい画家である。
 主人公の<さぶろう>が、お使いの帰り、見慣れぬ少女に出会う。その夜から、数日、雪がしんしん降り続いた。その間、風邪で寝込んでしまった<さぶろう>の頭に、夢とも現実ともつかぬ形で、毎夜、窓辺に少女がやってくるのであった。

 ゆきが、すっかり とけてしまったころ、
 さぶろうのびょうきも よくなりました。

 げんきになった さぶろうが はじめて
 にわにでてみると、まどのしたの 土のうえに
 あかい ちいさな てぶくろが、 ふたつ
 ちゃんと ならんでいました。

 と、物語は閉じられている。
 作者は、その後書で、
 <山の中の小さな小学校に、都会から女の子が転校してきました。村の子ども
  たちが、マントを着たその女の子を、ふしぎそうに見ていました。
  その冬、村に雪がたくさん積もりました。
  雪がたくさんふるのは、あのこのせいだ、と村の子どもたちは考えたかもしれ
  ません。
  まだ、山のきつねが人間にばける話を、子どもたちがしんじていた、五十年も
  むかしのことです。>
 と記され、満月の夜、きつねが赤い手袋の一方をくわえて歩いている絵が添えられている。一方の手袋は地面に落としたまま。
 童心社から1979年に出版された本である。

 その絵本を取り出して眺め、私のなくした赤い手袋には、格別な物語もないのだけれど、と思っているところへ、友人から電話がかかってきた。
 「今、HV特集で、神尾真由子がバイオリンを弾いているよ。聞いたら…」
 と。私は、すぐテレビをつけ、小さな音で聞きながら、
 「今日、町で、赤い手袋、落としちゃったの」
 と、言った。執着心が妙に捨てきれないのであった。
 「そんなの、また買えばいい」
 と、友人は言う。
 そのとおりだ。
 失ったものは返らなくても、お気に入りの赤い手袋をなくしたことで、もっと好きになれる手袋を入手できるかもしれない……。

 (注 神尾真由子は、昨年、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した、21歳の若きバイオリニスト。) 

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観劇「細雪」 (写真 早春の空 グラントワを出て)

2008-02-09 | 身辺雑記

 昨日、グラントワで、「「細雪」の舞台を見た。
 谷崎潤一郎の小説を読んだのはかなり昔、そのあらすじを思い出しながら、あの長編小説が、二時間足らずの舞台で、どう演じられるのだろう? と思うと、脚色、潤色といったことへの興味も高まっていた。

 脚本は、菊田一夫
 潤色は、堀越 真
 演出は、水谷幹夫
 
 前日、「細雪」を本棚から取り出し、ページを繰ってみた。本の巻末には、前回の読了日を、私の文字で記入している。見ると<1963.2.6>とある。
 45年前の記憶は、細部が曖昧になっている。物語のあらすじは、そう手の込んだ作品ではないので、おおよそ思い出せる。が、細やかな描写になると、全く記憶にない表現も多かった。そこで、読めるところまで読んでみようと、急に思い立って、「細雪」を読み返した。が、何しろ長編だし、思いつきも遅かったので、上巻・中巻までしか読めなかった…。
 今風の小説とは、かなり趣が異なる。日常茶飯事まで、描写が細密である。
 鶴子、幸子、雪子、妙子の四姉妹の性格描写から、四季の移ろい、京の桜見物の様子など、微に入り細にわたって書かれている。
 省筆をあえて拒んだような文章、これぞ谷崎文学、と思いながら、再読を進めたけれど、結局、いまだ下巻の再読完了には至っていないない…。

 舞台と小説とは、このように異なるのかと、その違いを面白く思った。
 舞台のよさと小説のよさは、簡単には比較できない。
 谷崎の冗筆とも思える描写は、舞台では削られている。が、谷崎の小説「細雪」の世界は、きちんと演じられていた。
 舞台には、小説とは異なる臨場感があり、胸に迫り来るものがあった。
 簡単に言えば、<細雪>という語句に潜む、はかなさにも似た無常感、人生の哀歓といったもの、そうした心情に訴えけるものを存分味わうことができた。
 人間の生き方を離れ、いわゆる衣装としての美しさになどには、あまり関心がなかった。舞台は美しかったし、演じる女優も衣装も美しかったが、それは移ろうはかなさの仮の姿としてしか、眺めることができなかった。
 四姉妹のそれぞれの生き方や、そう生きざるを得なかった運命といったものに、私はより関心を抱いてしまう。

 今日、美容院で、「細雪」の舞台が話題となった。
 私も、その話に加わりながら、見る人によって見方は全く違うものだと、改めて思った。しかし、それでいいのだろう。楽しみ方、考え方は一様ではないのだから。

 間奏曲一つにしても、みな感じ取り方が異なるのだった。
 あの音楽は、どうもねえ…と、否定的な人もいた。
 私は、開幕寸前、その曲を聴いたとき、即座に、モーツァルト? ディヴェルティメント? と聞き入ってしまい、舞台にふさわしい、考え抜かれた選曲のように感じたのだった。
 だから、各場面ごとに流れる、その曲に耳を傾けて楽しんだ。
 ただ、間違いなくモーツァルトだという確信もないままに。
 昨夜、私のCDで、「ディヴェルティメント ニ長調 K.136」を聴いてみたが、絶対にそうだったかどうか、いまだによく分からない。

 音楽が話題となったとき、あの曲はモーツァルトだったでしょうかと、私が尋ねると、だれの曲かなど考えもしなかった、との返事が返った。
 その後、ひとりが、「モーツァルトは、壁の二番目の人でした」と言ったことから、昔学んだ中学校の音楽室の、壁にはられていた音楽家の写真に話題が移った。
 バッハもあった、ベートーヴェンもあった、シューベルトも、メンデルスゾーンもと、そこに居合わせた美容師と客と、総勢六人が、てんでにそれぞれの教室を思い出し、談笑となった。客は、互いに見知らぬものばかりの、中高年の女性客だった。
 みな結構よく覚えていると、記憶の確かさを自賛しながら。

 (写真 昨日、グラントワを出ると、早春の明るい風景があった。) 

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