少しずつ右坐骨の神経痛が治まりつつある。
今朝、同市内に住む妹から、月が変わったけれど、体調に変わりはないかと、安否を尋ねる電話があった。
私は、神経痛の経緯を話し、でも心配には及ばないから…と言った。
妹宅では、小学二年の孫がインフルエンザにかかっているという。他の家族に感染の気配はなく、みな元気だと聞いて安心した。
先日、終日横臥の生活をしてみて、ベッドの部屋に、時計がないのは不自由だと思い、早々に求めたいと思った。外の空気も吸いたくなって町に出た。
友人に会い、取り付けを手伝ってもらうことにして、一緒に帰ってきた。
早速、柱へ設置。これで、いちいちテレビをつけて、時間を確認しなくても済むようになった。目覚まし時計はどう? と、友人に勧められ、結局プレゼントしてもらうことになった。二つの時計で、自在に時間を確認できるようになったが、同時に時間的に管理されることにもなった。
帰宅直後、携帯電話の呼び出し音が鳴った。
先日、<TFさんの旦那が、重態だとか死亡したとか耳にしたが、情報を知っている?>と、連絡のあった友達からであった。
私は、世間のあれこれに無関心で、情報には格別疎い。
その友達からの知らせは、<やはり亡くなられたようだ>という報告だった。
TFさんは、中・高の六年間、一緒に同じ駅から汽車通学をした友達である。卒業以来、会うこともなかった。が、最近は同市内に在住と聞いている。主を亡くされたのであれば、お悔やみの電話ぐらいするのが当たり前のような気がした。
だが、主の名前さえ知らない。
その友達に聞くと、新聞には、<こうじ>と出ていたと教えてくれた。
「どんな字?」
「<こう>は、耳偏に火、<じ>は、面に似た字」
「<而して>?」
「そうそう、それ」
という友達の言で、故・主の名前を知ることになった。
凝った名前だな、と思った。
後で、電話帳を調べてみたが、私の所持するそれはかなり古く、その名を探し出すことができなかった。
「耿」という一字を名に持つ、ひとりの人生が終わったのか、と思いながら、しばらくその字にこだわった。
と、いつの間にか、辞書遊びをしていた。電子辞書の<漢字源>を引くと、
<耿たり> ①小さくぽっと明るいさま。
②目の奥がちかちかして不安なさま。「耿耿不寐、…」
<耿耿として寐ねず>
と、記されていた。
その後、つれづれに<広辞苑第六版>の付録を開いて、そこでも<耿>の字を確認した。そこには、
<耿> ①あきらか。あかるい。ひかり。「耿光」
②しんが強い。「耿介(こうかい)」
と出ていた。
「耿介」という耳慣れない言葉の意味も、広辞苑を引くと出ていた。
その父君は、子どもの名前に、どんな願いを込められたのだろう? など、どうでもいいことを考えながら、<耿>の字の周囲を眺めると、そこには、同音異義の漢字が二百を超えるほど並んでいる……。
私は本を伏せ、雑記用紙を取り出し、幾つの「コウ」の字を思い出せるか試みた。テストに臨む心境で。
溝・講・構・購 工・貢・紅・江・虹・項・攻 広・鉱・紘
高・稿・縞・敲 交・絞 孝・酵・哮 公・洪 巷・港 航・抗・坑
行 光 耕 甲 好 向 黄 厚 抗 口 考
復興の興 平衡の衡 恒久平和の恒 更衣の更
頭の回転がなかなかうまくゆかない。旁が同じで、偏の異なる字は、意外に思い出せたが、単独では思い出しにくい。
40余字ばかり書いて、少々歯がゆさを覚えながら、諦めて本を開いた。
<恒久の恒>を思い出したのなら、偏を外した<亘>も「コウ」と読むはず。
人名を思い出すのも一つの手だったと気づくと、死んだ兄の名を思い出した。「コウ(浩)」がついている。
私の名前にさえ、「コウ(幸)」がついているのだった!
まず最初に思い出してしかるべき、自分の名前の持つ漢字が思い出せないとは、如何に頭が鈍っていることか!
二百二十余字を載せた本を仔細に見ると、短時間とはいえ、私の書けなかった「コウ」の字は、日常よく使う漢字として実に沢山ある。
(お暇な人は、頭の体操として、試みられたらいかがでしょう?)