ぶらぶら人生

心の呟き

お花見 2 (空き家に咲く桜)

2007-03-31 | 散歩道

 私の散歩道からそう遠からぬ所、民家の傍らに大木の桜があり、今満開だという。
 友達に誘われて、今朝、その桜を見に出かけた。

 こんな道があったのかと、細い坂道を登ると、その行き止まりに、空き家となった民家があり、雑草のはびこった庭に、桜の大樹はあった。すぐ前には山陰本線の鉄路があり、その上に覆いかぶさるようにして咲き満ちていた。

   ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな(村上鬼城)

 句さながらの光景が、目の前にあった。
 朝日を受けた桜は、吹き始めた生暖かな風に、しきりに枝を揺らしていた。それでも、まだ落花の気配は微塵もなく、まるで訪れた私たちのために、今朝、咲き満ちたかの如くであった。

 桜の大樹をカメラに収めるのは難しい。足場も狭く、あまり近づけば、全容を捉えることができないし、距離を置くには鉄道が邪魔をする。光線の具合によっては、美しさが半減もする。
 結局、線路を跨いで、少し離れた距離から眺めた。
 「ここからの眺めが一番よさそう」
 と言いつつ、カメラにも収めた。(写真)

 ロシア旅行から帰った東京の友人から、
 <帰ってみると、東京は満開の桜です。桜といえば、あなたを思い出します。>
 と記した、帰国を知らせるメールが届いた。
 一昨年の4月に、友人と千鳥ヶ淵を始め、都内の桜を見て回った。その時を思い出してのメールのようだ。
 ふっと、北九州の友達を思い出した。今年もまだお花見はだめなのだろうかと。
 もう十年ばかり前の桜の季節に、最愛の夫と永訣。以後、桜の季節には外を歩けないのだと話していた。幾年経っても、この季節は深い憂いに沈む、蟄居の日々が続いているのかもしれない。
 花の季節が過ぎ去ったら、便りを書こう。
 私自身の、桜にまつわる思い出を書き連ねれば、きりがない。

   さまざまの事おもひ出す桜かな(芭蕉)
 
 空き家となった家にも、かつては家族が住み、日ごと桜を眺めては、思い出を刻まれたことだろう。
 その一部始終を見てきた桜の大樹は、今はひとり人なき空き家の前に立ち続け、気まぐれなお花見客である私たちに、何を語りかけようとしているのだろう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い大椿

2007-03-31 | 散歩道
 新たな種の椿に巡り合うことはもうあるまいと思っていたのに、散歩の途中、友達とサクラ見物に出かけ、線路脇の小径を歩いていたところ、畑のような空き地に、またまた、馬鹿でかい椿が咲いているのに出くわした。(写真)
 私の掌よりは大きそうだった。過日、ティファニー庭園美術館で、窓越しに見た大椿にも驚いたが、大きさではそれを超えていそうだ。
 日ごろ歩く道をちょうっと外れたことで、こんな異様な椿に出会うとは!
 しかし、大きければいいというものではない。もの珍しいし、超大輪の椿に驚嘆はしたけれど、私の好みからいえば、外れの規格品である。

 なんにでも、規格を外れるものはあるらしく、世界一大きな男の話が、ネット情報に出ていた。なんと236センチの長身! 結婚のお相手が見つかったというおめでたい話で、それはよかったと思いながら、私は思わず天井を見上げた。頭のてっぺんが、どの位置にあるのだろうか、天井につかえるのではあるまいかと。
 長身がいいとはいっても、ほどほどがいい。

 椿も同様。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄色い椿

2007-03-31 | 散歩道
 「今年は、だめですね」
 花作り名人にそう言われて、諦めかけていたが、先日こっそり花園を覗かせてもらったところ、淡いクリーム色の椿が、なんとか開花していた。(写真)
 気象状況が不適だったのか、少しいじけたような咲き方である。ただ、色は珍しい。
 蕾のときは、もっとはっきりした淡黄色をしていたのに、開花してみると、少々ぼやけた浅い色となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする