パークロードの欅並木は、芽吹きの季節を迎えていた。
繊細な枝が、新芽で少し色めき、膨らみ始めていた。
立ち止まって梢を見上げ、その目で遥かを望むと、鳳翩山が、小さくかすんで見えた。(写真)
山口駅に降り立つと、必ず鳳翩山を眺めることが長年の習慣になっている。この日も、まだ芽吹く気配のない銀杏並木の遥かに、まずは鳳翩山を眺めて、パークロードへと歩を進めたのだった。
国木田独歩が『山の力』という短編を書いていて、鳳翩山を扱っているはずなのだが、昔読んだ作品の内容が思い出せない。
私の蔵書から独歩の作品集を取り出してみても、小品なので掲載されていない。
鳳翩山を見ると、いつも気になりながら、『山の力』を本気で探すこともせず、読み返すこともしないまま、もう随分長い歳月を過ごしている。
(そういう類の本は、『山の力』だけに限らない。いつの日にか、と思いつつ、結局、気になる本を読み返すことなく、生涯を終わってしまう場合が多いのだろう。)
山口に暮らしていたとき、お隣の医師夫妻が、天気のいい日曜日の朝、よく登山された。
「鳳翩に行ってきます」
と。近所に出かけるかのような気軽さで、登られたものだ。標高700メートル余りで、登山道も整備され、楽に登れるらしいが、心臓と足に自信のない私には、無理な話である。
山を眺めて、医師夫妻を思い出した。今は仕事をやめて、マンションに移られ、お会いすることもなくなった。
目の前の鳳翩山が、日ごろ意識にない人をふと思い出させた。
先日、湯田温泉の「セントコア山口」に友人と宿泊したとき、
「夕食は、ホウベンの間でお願いします」
と、宿泊受付の女性が案内するや、同行の友人は、
「嘘も方便、と覚えておきましょう」
と、すかさず言った。
「鳳翩山の鳳翩よ、きっと」
と、私は言った後、人が耳にした言葉を、各自の意識がどう受け止めるかに個人差のあることを、面白く思った。
私ほど、鳳翩山に関心のない友人は、山口の地にあっても、<ほうべん>=<鳳翩>とは結びつかず、ことわざの、<嘘も方便>の方を思い出したらしい。
目路遥かな鳳翩山が、「ホウベンの間」で、河豚料理をいただいた日のことまで、思い出させた。
意識の連鎖反応は、思いがけない場所にまで、心を遊ばせる。
繊細な枝が、新芽で少し色めき、膨らみ始めていた。
立ち止まって梢を見上げ、その目で遥かを望むと、鳳翩山が、小さくかすんで見えた。(写真)
山口駅に降り立つと、必ず鳳翩山を眺めることが長年の習慣になっている。この日も、まだ芽吹く気配のない銀杏並木の遥かに、まずは鳳翩山を眺めて、パークロードへと歩を進めたのだった。
国木田独歩が『山の力』という短編を書いていて、鳳翩山を扱っているはずなのだが、昔読んだ作品の内容が思い出せない。
私の蔵書から独歩の作品集を取り出してみても、小品なので掲載されていない。
鳳翩山を見ると、いつも気になりながら、『山の力』を本気で探すこともせず、読み返すこともしないまま、もう随分長い歳月を過ごしている。
(そういう類の本は、『山の力』だけに限らない。いつの日にか、と思いつつ、結局、気になる本を読み返すことなく、生涯を終わってしまう場合が多いのだろう。)
山口に暮らしていたとき、お隣の医師夫妻が、天気のいい日曜日の朝、よく登山された。
「鳳翩に行ってきます」
と。近所に出かけるかのような気軽さで、登られたものだ。標高700メートル余りで、登山道も整備され、楽に登れるらしいが、心臓と足に自信のない私には、無理な話である。
山を眺めて、医師夫妻を思い出した。今は仕事をやめて、マンションに移られ、お会いすることもなくなった。
目の前の鳳翩山が、日ごろ意識にない人をふと思い出させた。
先日、湯田温泉の「セントコア山口」に友人と宿泊したとき、
「夕食は、ホウベンの間でお願いします」
と、宿泊受付の女性が案内するや、同行の友人は、
「嘘も方便、と覚えておきましょう」
と、すかさず言った。
「鳳翩山の鳳翩よ、きっと」
と、私は言った後、人が耳にした言葉を、各自の意識がどう受け止めるかに個人差のあることを、面白く思った。
私ほど、鳳翩山に関心のない友人は、山口の地にあっても、<ほうべん>=<鳳翩>とは結びつかず、ことわざの、<嘘も方便>の方を思い出したらしい。
目路遥かな鳳翩山が、「ホウベンの間」で、河豚料理をいただいた日のことまで、思い出させた。
意識の連鎖反応は、思いがけない場所にまで、心を遊ばせる。