ぶらぶら人生

心の呟き

八手の花

2006-11-22 | 身辺雑記
 昨日、「草花舎」の庭に出て、晩秋の草花を眺めている時、庭の片隅に八手が花を咲かせているのに気づいた。(写真)
 おや、お久しぶり!
 今が八手の花の咲く季節かと眺め、懐かしく思った。
 というのも、ここ3年、八手を見る機会がなかったので。

 山口で暮らしていた折、その庭には数本の八手があった。
 庭を美しく管理する上では、少々厄介な植物であった。
 「天狗の羽団扇」という別名があるとおり、その葉は威勢よく茂るので、なかなか大変だった。切っても切っても、すぐに成長する。長い柄の先に、大きな掌に似た、肉厚のつややかな葉を繁らせると、庭の通り道が狭くなるし、雨後など、雫がうっとうしかった。

 が、八手の花は、小手まりのような形に、白く小さな花が集合して咲き、それなりの風情があった。
 その花が咲くと、やがて訪れる冬を予感しながら、高村光太郎を思い出し、詩の一節を口ずさんだりもした。
 
 きっぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹の木も箒になった   (『道程』より 詩「冬が来た」の第一連)

 この花の始末も意外と厄介だった。
 小花が散り敷くころには、少なくとも玄関先だけは日ごとに朝夕、掃き掃除をしなくてはならなかった。裏庭など、人知れず、大地にかえってくれる場所にある八手の花は、散り敷くに任せておいたけれども。
 もう一つの厄介は、花の蜜を好んで集まる虫の多さだった。特に金蝿が多く、羽音がうるさいほど集まってきた。花が見えなくなるくらい、あの大型の金蝿に襲われたこともある。一体、どこからあれほどの大群がやってきたのかと、今思い出しても、不思議である。
 早々に剪定するのもかわいそうで、しばらくは眺めたが、庭師に教えられ、花の終わりを待たず、時機を見て切り取ることにしてからは、落花や蝿に悩まされることは少なくなった。が、八手にとって、いいことだったのかどうか?

 「草花舎」の花には、2匹の虫が止まっていた。が、私が近づくと、飛び去ってしまった。
 まだ八手は花を咲かせたままである。高村光太郎が、<八つ手の白い花も消え>と詠ったのは、もう少し後の季節に違いない。光太郎は、芸術家としての自己に厳しく、季節の中では、その厳しさを持つ冬を愛した。その3連では、
 
 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 と、詠う。
 今日は、暦の上での<小雪>とか。
 寒さはさほどでもないが、昨日の小春日和と違って、曇り空の今日である。
 かつては冬の好きだった私だが、近年は寒さがこたえるようになった。年のせいだろうか? 今年の一月、大風邪を引いて一か月ぐずぐず過ごしてからというもの、体質そのものも変わったように思う。
 3年前、北海道へ流氷を見に行った時、凍えるような寒さを予想して求めたズボン下を、この温暖の地にあって、今からスカートの下に履いているようでは、真冬が思いやられる。光太郎に倣って、<冬よ 私に来い>と、壮語してみたい気持ちはあるのだが……。
 
コメント
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