ぶらぶら人生

心の呟き

ボケの花

2006-11-17 | 散歩道

 今朝の冷え込みは、かなり厳しかった。
 特に指先が冷えた。明日から厚手の手袋に替えようと思ったほどだ。

 朝の散歩のスタートが遅れがちである。夜明けが遅くなったのと、冷え冷えとした戸外に出かけるのに、幾分勇気が必要になったためだろう。

 私とは違って、朝の決まった時間に、規則的に、犬の散歩に出かけられる老人がある。必ず散歩中のどこかで出会っていたのに、私の出発が遅くなったため、その老人の家の前を通るころには、犬の散歩が終っていることが多くなった。
 犬はひとり遊びをしたり、所在なさそうに、あたりの気配を窺ったりしている。
 犬小屋は家の脇にあるのだが、そんな犬と目が合うと、必ず身を乗り出して吼え始めるので、苦手である。なるべく目をそらして通過することにしている。

 犬を連れた老人の家を知ったのは、歩き始めて間もなくだった。
 私のスタートが早かった時期、偶然、家の前で会ったのだ。
 「ここにお住まいなのですね」と、私が挨拶した途端、犬が猛然と吼えた。自分の主を守ろうとするのだろうか。あるいは、本能的な自己防衛のためなのだろうか。怖がっているのは私の方なのに……。
 前庭の手入れが、行き届いている。老人の趣味なのだろうか。家の前を通るようになって、二か月余りになるが、他の人影を見たことがない。どんな家族構成なのか知る由もない。
 九月には、老人が百日紅の落花を箒でかき集めておられるのを見たことがある。庭の管理者は老人なのかもしれない。

 先日来、塀際にあるボケらしい木が花をつけている。この季節の花? と訝りながら、ここ幾日か、花の数が増えるのを見て通っていた。
 今朝、折りよく、既に犬の散歩を終えた老人が、家の前で仕事をしておられた。
 「これ、ボケの花ですか」と、尋ねた。
 寡黙な老人は、「ボケ」と一言。
 「ボケは、冬の花? 春ではなかったかしら?」
 「ボケだから、ボケたんだろう。……もう一本は、まだ咲いとらん」
 実にぶっきらぼうな物言いをする老人だが、人柄は純朴で、朴訥なのだ。
 もう一本のボケの木がどこにあるのかは分からない。裏の方の見えないところにあるのかもしれない。
 塀際のボケは、わが家のヒメリンゴ同様、季節を間違えて咲いたらしい。
 許しを得て、写真を撮った。
 ピンク色と白の、可憐で清楚な花である。(写真)

 老人と私が短い言葉を交わす間、犬はずっと吼え続けていた。
 吼えることが仕事であるかのように。
 疲れないのだろうか?

 追記 (11月22日) 歳時記を見ていて、<寒木瓜>(冬木瓜)という季語のあることに気づいた。この花は、その種なのだろうか。狂い花か寒木瓜かは、来年のこの季節には、判明するだろう。心に留めておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする