週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#080 -’24. 五十間長屋に向かい(菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓)

2024年04月13日 16時09分14秒 | 国内旅行

玉泉院丸庭園を左手に見ながら工事中の二の丸を越えて五十間長屋に向かいました。本丸園地・二の丸広場(工事中)・三の丸広場と金沢城公園を最短で横切ります。午後の半日ですから、時間は有効に使用するために素敵な所もショートカットです。

🔵 金沢城公園

天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、
本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。

寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出されました。
内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。

宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、
本丸の櫓は再建されませんでした。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、
この後天明8(1788)年に再建されたものです。

平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、
文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、
安政頃の景観を再現しました。金沢城公園HPから引用させて頂きました。)

🔵 金沢城公園(菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門)

石川の伝統を今に伝える金沢城公園

石川県を代表する景観が広がる金沢城公園。そのシンボルともいえるのが、「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門」。外観の素晴らしさはもちろんのこと、史料に基づき史実を尊重し、伝統的な木造軸組工法で復元した内部も必見です。また、公園全域が国指定史跡金沢城跡に指定されています。文化の森お出かけパスのHPから引用させていただきました。)

1 左手の覆いで囲まれている所は二の丸広場で工事中か遺構など調査している感じです。その覆いの先に見える櫓が五十間長屋に連なる菱櫓です。

2 正面に見えるのが五十間長屋です。こちらは有料施設ですが、我ら二人は65歳以上なので無料でした。

3 右手に見える橋・極楽橋を渡ると重要文化財の三十軒長屋です。

4 一番右手の坂の所の門が橋爪門でこの後に向かう三の丸広場方向です。長屋の屋根越しに見えるのが橋爪門続櫓です。

5 平成13年に忠実に復元建築された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓です。

6 弓などで相手を攻撃する時にも活躍する狭間です。城外を観察る目的もありますが今回は満開の桜を愛でる事ができました。

7 その狭間越しに三の丸広場の先の石川門方面を望んでいます。

8 日本の伝統的な建築工法である木造軸組工法です。

9 本丸園地の方角を望んでいます。今は無き本丸です。

10 橋爪門続櫓の内部です。開口部にはその空間を利用してエレベーターを設置したようです。

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12 本来、火災などで焼失する前の全景が模型で再現されています。

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19 二の丸広場です。

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21 木造軸組工法を示した模型が展示されていました。

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23 モニター画面設置されて画像を見る事が出来る場所には電気カーペットで暖をとる事が出来るようになっていました。

24 石を確保しておき上から落とす方法で壁や石塀等を登って来る敵を撃退します。

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28 橋爪門を潜り三の橋を渡り三の丸広場に出ます。

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