週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#049 -’20. 京都・紫野 大本山 大徳寺(龍宝山大徳寺)

2020年02月11日 21時56分38秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

臨黄ネットから引用させて頂きます。

臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。

こちらは、ウキペディアからの大徳寺の解説を引用させて頂きます。

大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺院で、臨済宗大徳寺派の大本山である。山号は龍宝山(りゅうほうざん)。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園障壁画茶道具中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。

 

1  京都駅から路線バスで霊鑑寺に行く途中では雨が降り出しました。下りた時は、全く傘を必要とすることも無くなり晴れてきました。霊鑑寺からタクシーに乗りこちらの大徳寺総門前の駐車場に着きました。松の木立の先が総門です。

2  六月に来た時にタクシーの運転手さんに教ええて頂いた、寺院の壁の五本線です。皇室に所縁ある格式の高い寺社にしか許されていない五本線です。

3   ウキペディアで記載されていた通り本来は非公開の『なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、』と有りましたが、今回は特別拝観できました。法堂・方丈・唐門(本坊)に向かいます。

 

4  雨が降り出してきました。ホテルに置いてきてしまったし、買えば良いと思ってもタクシーでコンビニを素通りしてきましたので、寒い中での雨でした。タクシーを降りて総門前で撮影したものです。大徳寺境内で特別公開されているところが分かりやすく赤く表示されていました。特別公開で入る事また、観る事はできましたが写真に撮ることはできませんでした。

大徳寺で頂いた資料から引用させて頂きます。引用は青字です。

  1.  方丈(本坊) 【方丈】国宝 三門・仏殿・法堂などの伽藍が中国風なのに対し、方丈は一山住持の修行生活の場となっているが、大徳寺の方丈は特別に大燈国師の塔所雲門庵を中心とする。京都の豪商後藤益勝の寄進により再建。襖絵八十四面は狩野探幽斎筆で重要文化財。また方丈前庭は天祐和尚、東庭は小堀遠州の作庭で、特別名勝庭園である。    方丈を係の方に説明頂き方丈前庭も東庭も拝見することができました。撮影できなかったのが少しざんねんですが。
  2.  唐門  【唐門】国宝 方丈前庭にあるのが唐門。村上周防守が聚楽第の遺構を譲り受け、明治になって明智門があった今の場所に移築された。この唐門は彫刻や金具の豪華さ、豊富さに特徴があり、日光東照宮の日暮門の模型となっている。                  方丈の前庭からと外から通る事はできませんでしたが、内と外と二方面から眺めることが出来ました。
  3.  法堂  【法堂と天井龍】重要文化財 開山大燈国師三百年遠諱〈注、おんき、又はえんきと読み、50年忌や100年忌など長い事を意味する。ここでは300年忌)の際、江月和尚の勧化により小田原城主稲葉正勝・正則父子の寄進によって再建された法堂は、当時の唐様の遺構として貴重な建物である。天井には狩野探幽斎筆による龍が踊る。  因みに、法堂に入り係の方に説明を受けて天井の龍の下で柏手を打ち、泣き龍を堪能しました。画像はありません。

   

5  総門を通り、大徳寺境内に入ってきました。正確には哲学の道を歩いた訳ではありませんが、境内は実に落ち着き観光客も殆どいなかった雰囲気が何とも言えず瞑想の世界に入るが如くの気持ちになりました。大変気に入りました。

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8   平康頼之墓です。違和感を覚える程の変わった所にポツンと鎮座しています。墓地と言う訳でもありません。勅使門左手に残された如くに感じます。「平康頼之塔」と刻まれた石標がたっています。分かっていて撮影したものではありませんでした。通路の脇に佇んでいる雰囲気でした

9   心落ち着く空気が漂っていました。

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11   天皇陛下の行幸や、そのお使いの方が通る時に開き使用する勅使門です。唐破風の荘厳な門です。勿論、この門を潜ることなどかないませんが。

勅使門(重要文化財)
 山門前にある、前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門、後水尾天皇より拝領したと伝えられる。 
平成12年、屋根等修復。以上は臨黄ネットからの引用です。

 

12  こちらの三門が千利休と豊臣秀吉公との因縁の元になったと家内に説明してもらいました。直接上がるとか潜るとかはできませんが、脇から見ることができました。大徳寺で頂いた資料からの引用です。

【三門(三門)】重要文化財  金毛閣と呼ばれるこの三門は、大徳寺最古の建造物の一つ。応仁の乱で焼失後、大徳寺中興の祖一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により一階を創建、六十年後千利休によって、現在の二階二層門となった。楼上は広い一室で、釈迦如来坐像や利休寄進による羅漢像が安置されている。天上龍は長谷川等伯筆。この楼上に利休木像を置いたことから秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因といわれている。

法堂・方丈・唐門(本坊)の写真がありませんが、HPから方丈・唐門など引用できれば、続きをアップします。取り敢えず外部から撮影できたこちらまで。

 

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#048 -’20. 今日の三時のお茶のお茶菓子は京都土産です。

2020年02月11日 17時10分46秒 | 日常の出来事(日記)

長楽館でランチをしてから建物を見学させて頂きました。

煙草王・村井吉兵衛によって迎賓館として建てられた長楽館の店内を拝見させて頂きました。

お土産として葉巻を模したお菓子を買い求めました。

煙草王としての葉巻を模したお菓子のようです。

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