週末を原村で

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#073 -’20. 京都の長楽館・旧 村井吉兵衛別邸を見学し

2020年02月28日 21時09分22秒 | 国内旅行

昼食を頂きその後、建物内(本館の一部と本館三階と新館のホテル棟は除く)を見学させて頂きました。

長楽館で見学時に頂いたプリントから引用させて頂きます。

長楽館 旧 村井吉衛別邸

長楽館は、たばこ王」と称られた明治時代の実業家村井吉兵衛によって迎賓館として建てられた建物である。「長楽館」の名称は伊藤博文が宿泊した折に命名し、扁額にも記した。皇族や元勲、英国皇太子などの国賓が多数滞在し、「京都の迎賓館」とも呼べる建物であった。工事は、アメリカ人技師 J.M.ガーディナーの設計により、明治42年(1909)6月に竣工した。建物は、1・2回共にそれぞれ特徴のある部屋がならぶ。中でも一階客間は暖炉廻りや壁、天井に植物紋様のレリーフを飾るなど、ロココ様式基調とし、最も華麗で見ごたえのある部屋となっている。一方3階は書院造風の和室で、その豪華なつくりと斬新な座敷飾りはみごとである。建築当初の家具が残っている点も注目される。ロココ様式をはじめそれぞれ部屋に合ったよう様式の家具が置かれ、英国王室御用達であったMAPL社製など、大半が高級な輸入品で、意匠的にも優れる。長楽館は、内部の凝った意匠に見るべきところがあり、規模も大きく、明治後期のおける和洋折衷の住宅建築の代表例として価値が高いことから、家具30点を含め昭和61年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。

                                                         京都市

村井吉兵衛(1864~1926年)

元治元年(1864)、京都の煙草商の次男として誕生。9歳で叔父の養子となり行商を始める。明治初期に、煙草の行商で得たお金を元に煙草の製造に踏み出す。日本初の両切り紙巻煙草を製造し、明治24年に「サンライス」と名図けて発売。その後発売された「ヒロー」は、5年後に年間生産量日本一になる。明治37年に煙草が国家専売制になり、その補償金を元手に、村井銀行、東洋印刷、日本石鹸、村井カタン糸等の事業を行い、村井財閥を形成する。

 

1   知恩院を参拝して、円山公園を歩き大谷祖廟を参拝してランチを予約していた長楽館に戻ってきました。   玄関 イオニア式門柱 村井家家紋 三つ柏が正面にある。

2   玄関のアーチです。再掲です。

3   頂いた邸宅内の案内図の2としてホール兼階段室と表示されているところです。グランドピアノが置かれていました。  ホール兼階段室 各部屋へと繋がるエントランスホール  階段の手すりには、力強い曲線を描いた木材の装飾が上階へと続き階段中ほどの踊り場は、半円形に張り出してバルコニー風に演出

4   ピアノの先には階段が見えます。

5   一階上った二階から眺めたところです。隅に追いやられた階段ではなく中心をなす正に階段室です。素敵ですよね。

6   階段室の上部の半円形のドームです。

7 迎賓の間です。アフタヌーンティーを注文した人はこちらに通されていました。スパークリングワインか白ワインかを冷やしておりました。   迎賓の間  元応接間 現在はアフタヌーンティーの部屋専用の部屋 玄関のそばにあるロココ調の応接間は、現存する日本の西洋館では最大規模 壁の12枚の風景画は、高木背水(誠一)画伯の作品  天井や壁の漆喰彫刻で、シャンデリアはバカラ社製クリスタルを使用

 

8  上の画像は11時半の予約時に来た時ので、こちらは食事が済み建物内を見学させて頂いている時です。既に、沢山の方がアフタヌーンティーを頂いていました。

9       球戯の間です。  元球戯の間で現在は カフェスペース  当時はビリヤード台が置かれており、大理石の洗面台が当時のまま残る

10 サンルームと言う名が付いている通り、本来はサンルームだったとおもいます。今は、長楽館ブティックとしてお土産などの販売などを行っていました。我が家も二つほど葉巻を模したお菓子を買って帰りました。

11

12  一箱1200円ですから必ずしも安いものではないかも。

13  CHOURAKUKAN  BOUTIQUIE 端です。

14  喫煙の間に置かれていた調度品のブロンズ像だったと思います。

15  喫煙の間には沢山の調度品が置かれていました。 食事が終わり部屋を改めて、男性は喫煙の間に移動して葉巻や煙草をくゆらせて会話を楽しみました。上流社会での情報交換の場所でもあります。本館の中二階です。

16  喫煙の間

17 喫煙の間

18  喫煙の間 暖炉とマントルピースです。原村の峠の我が家にも薪ストーブはありますが、ストーブと暖炉は勿論異なります。暖房機と言う意味では同じ目的を持った物ですが、移動可能なストーブと家に組み込まれている暖炉です。

19  喫煙の間  元喫煙スパース 現在はカフェスペース 観音開きの扉には当時のステンドグラスが残り、 その上には伊藤博文公直筆の扁額が飾られている 当時喫煙時に使われた螺鈿の椅子は京都市指定有形文化財 

一番、絢爛豪華の螺鈿は目黒の雅叙園かもしれません。

20 喫煙の間

21  鳳凰の間 元ゲストルーム 現在はカフェスペース 大きな二面の窓から自然光が注ぎ、明るい雰囲気につつまれた部屋 扉の内側には短いアプローチが設けられている    テーブルには白いアイロンの効いたテーブルクロスが一番似合います。

22  バルコニー 元バルコニー 現在はカフェスパース 当時は壁がなく、屋外に面していた

23  接遇の間 元ゲストルーム 現在はカフェスペース 英国王室御用達のメープル社製の姿見付きの家具・ウェールズ殿下使用の衣装ケースなど、京都市指定有形文化財の調度品を展示

(本来、日本で言うところの宮内庁御用達の如き英国王室御用達との言葉は厳密に言うと存在しません。日本と英国の違いです。英国王室では、ロイヤル・ワラントとしてエリザベスⅡ女王、ご亭主のエディンバラ公、そしてのチャールズ皇太子であるウェールズ公の三名がロイヤルワラントの発行権者です。どれか、一つもっていれば俗に英国王室御用達と言う事になりますが、その意味合いは日本の皇室御用達とは一寸異なります。女王、エジンバラ公そしてチャールズ皇太子からロイヤルワラントを頂く事も可能です。勿論、一つ頂いていれば、ロイヤルワラント保持になりますから、ある意味英国王室御用達かもしれませんが、独立してロイヤル・ワラントを授けます。)

24  こちらも接遇の間です。

25  接遇の間です。 鏡は当時のものだそうです。歪みの無い真っ平なガラスをこの大きさで造らねばなりません。当時としては高価になるかと。

26  貴婦人の間  元ゲストルーム 現在はカフェスペース  マントルピースや壁面の鏡がクラシックな雰囲気を醸し出している 

27  貴婦人の間

28  貴婦人の間

29  貴婦人の間

30  長楽館を後にするときに素敵なステンドグラスを撮影しましたが、ピンボケです。

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