夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

最後は本名での意味

2024-03-18 09:01:32 | Weblog
知人や著名人でもないのに
多くの人に知られている
代表と言えば犯罪者だろう。
凶悪犯は新聞・TV・ネットの
報道以外に警察署や交番の前に
でかでかと顔写真が貼られている。

その期間が長引けば、何度も
見た顔という認識が出来上がる。
しかし、警察の人間も全国各地に
異動するし。間近で見たとしても
どれ位、犯人だと判別が出来るか
と言えば疑問だから。スルーされる。

その代表例で最近、話題に上り
多くの人が記憶している人物。
桐島聡が自白と病亡したのは
記憶に新しいだろう。何故、今
自分の身元を知らせたのか?
疑問に感じる人も居ると思う。

けれども、長年に亘り逃亡生活
というと悲惨な印象があるけれど
桐島氏は1年だけ飯場で働き
後は寮がある小さな建設業で
普通に地元の店にも出入りして
誰にも疑われず、生活していた。

この事件の他の人間は全員逮捕
されているが、たった1人だけ
生き延びたのは組織が作成した
マニュアル通りに生活行動を
続けていたからと判明した。

最後は本名でという本人の意思に
より、警察が末期の状態の病院に
出入りして事情聴取をした4日後。
本人は死亡した。伝説というより
自分が生きて来た事を世間に広く
知ってもらいたかったのだろう。

しかし、親戚を始め一族周辺は
遺体の受け取りを拒否している。
何かにつけて世間から叩かれる
人間が齎した苦痛に対する反撃
というか、当然の感情だと思う。

主犯ではないから、捕まった
としても大した刑にはならない。
という記事が載っていたが、
誰でも刑務所より娑婆の生活を
望むのは当たり前の気持ちだ。

警察が長年追っていた人物が
日本で普通に暮らし生存していた。
これは歴史に残る1ページに
加えられる出来事になるだろう。
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