夢七雑録

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8.木下川薬師 正福寺

2008-12-25 22:07:49 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 文化十三年(1816年)、嘉陵(村尾正靖)は木下川(キネガワ)薬師をへて、正福寺を訪ねている。日付は記載されていないが、木下川薬師の開帳にあわせて、3月から5月の間に出かけたのであろう。亀戸天満宮の後ろの境橋から、浄光寺(木下川薬師)の総門までは一直線の道で、道の東側の川には引き船があり、両岸には桜が数百本も植えられていた。木下川薬師は恵信作の本物の古物で、子供ぐらいの大きさ、寄付状には応永三十三年(1426年)、家定とあったと記す。引き舟が通った中居堀も、現在は道路に変わり、木下川薬師(写真)も、荒川掘削の際に現在地(葛飾区東四つ木1。木根川薬師)に移転して、昔の参詣道とは荒川(放水路)によって分断されることになった。

 浄光寺の惣門を出て、曲がりくねった道を行くと梅若の堤(墨田区堤通2)に出る。ここから東の仁王門を出て、東南に行ったところが、正福寺(墨田区墨田2)である。ここに宝治二年と刻まれた古碑と五重塔碑石があったと記す。現在、正福寺には宝治二年の板碑が残されているが、形や大きさの点からすると、嘉陵の見た古碑とは別のものであるかも知れない。亀戸天満宮から梅若までの距離は4kmほどである。

(注)「嘉陵紀行」には梅若塚と浄光寺(木下川薬師)についての勁斎の文章が綴りこまれ、そのあとに付近略図、木下川薬師を経て正福寺に至る紀行文が続いている。勁斎と正靖の文章の区切りは明記されていないが、正靖の他の紀行文から正福寺への紀行文は正靖とし、再遊年月の点から付近略図は勁斎とした。

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