夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

武蔵野吉祥七福神

2014-01-15 19:36:24 | 七福神めぐり

 武蔵野吉祥七福神が開設された7年ほど前に、武蔵境駅を起点に吉祥寺駅まで、このコースを歩いたことがある。その時は、神社に長い行列が出来ていたため、遥拝で済ませた記憶があるが、今回は参拝客が少ない時期を見計らって、吉祥寺駅を起点に武蔵境駅まで、六ヶ所の札所を歩いてみた。距離は9kmほど。コースは、吉祥寺駅~大盛寺・井の頭弁財天(弁財天)~武蔵野八幡宮(大国)~安養寺(布袋)~大法寺(福禄寿)~延命寺(毘沙門、寿老人)~杵築大社(恵比寿)~武蔵境駅である。

 吉祥寺駅から続く人込みをすり抜け、井の頭弁財天に向かう。玉川上水を渡って黒門を通り大盛寺から下る、江戸時代からの参詣道を歩いてみようかとも思ったが、日の短さに気づき、あっさり却下。参詣もそこそこに、井の頭公園を後にし、駅周辺の雑踏に戻る。外来者によって混雑しているこの有様を、地元の人はどう思っているのだろう。

 吉祥寺通りを北に向かうと五日市街道に出る。街道の両側には武蔵野八幡宮のほか、4ケ寺が集まり四軒寺町を形成している。明暦の大火のあと、吉祥寺門前町からの移住者により吉祥寺村が開かれた時、これらの寺社は、この地に創建されたか、他から移されたのだろう。交差点を渡り武蔵野八幡宮を参拝。七福神のうち大黒天はインドのシヴァ神に由来するが、やがて、音読みの同じ大国主命にすり替わる。寺院では大黒を、神社では大国を祭ることが多いそうで、この八幡宮でも大国を祭っている。

 八幡宮の東隣が安養寺である。この寺の開基についての説明は、寛政重修諸家譜に照らしてみると気になる点もあるのだが、遠い昔のことゆえ、分からぬ事もあるのだろう。安養寺を出て東側の細い道を北に進み、左に曲がって、次の角を右に行くと車道に出る。右側の信号で渡り、北に向かって進めば、左側に大法寺がある。

 大法寺の前の道を西に行き吉祥寺通りに出る。ここから八幡宮まで戻り五日市街道を西に向かうのが分かりやすくて良いのだが、道幅の割に交通量の多い街道筋を歩きたくないので、今回は別の道をたどる。吉祥寺通りを渡って西に向かい、月見小路に突き当たって右に折れ、直ぐ先の角を左折、吉祥寺ホームを過ぎて坂を下り、工事中の雨水貯留施設の横を通る。この付近は窪地になっているらしく、浸水対策が必要ということらしい。その先、青葉小路に突き当たって左に折れ、成蹊東門通りを右に、東門の前を左に行く。五日市街道に出て右に行き、歩道橋の先を右に入って、成蹊大学の正門の前を左に折れる。けやき並木の道は右に曲がっていくが、曲がり終えたところで左の道に入り、西に向かう。

 道は歩きやすくはあるが、西へ西へと進むばかりで、少々退屈になってくる。ようやく中央通り。緑町の信号を渡って、コンビニの左側の道をさらに西に向かう。やがて、右の方に、中島飛行機の製作所跡に作られた武蔵野中央公園が見えてくる。公園に入ってみたい気もするが、先を急ぐゆえ、割愛。左側には延命寺通りの標識があり、この道に入って南に向かうと、延命寺の横を通って五日市街道に出る。右に行けば延命寺の入口。延命寺は毘沙門天と寿老人を祭っているので、ここ迄で六福神となる。

 延命寺を出て南側の歩道で五日市街道を西に向かう。少々歩いたところで、左側に遊歩道を見出す。道の名はグリーンパーク遊歩道。戦後、中島飛行機の跡地に開設した東京スタジアム・グリーンパーク野球場と三鷹駅とを結ぶ国鉄武蔵野競技場線の跡という。この道を南に向かうと、池のある関前公園となり、その先で伏見通りに出る。遊歩道の続きを歩き、井の頭通りを越えると、都市計画道路(調布保谷線)の先の区間が開通したらしく、開放的な風景が広がっている。明るくなった境浄水場を右手に見ながら、遊歩道のような歩道を歩き、鉄道橋の跡に架けられた“ぎんなん橋”で玉川上水を渡る。ここから先の歩道は堀合遊歩道と名を変えるが、武蔵野競技場線の跡である事に変わりはない。二つ目の信号で右に行くと、もう一つ遊歩道がある。砂などを運ぶために武蔵境駅と境浄水場の間に敷設された引込線の跡で、戦時中、この引込線の一部を利用して中島飛行機までの線路が敷設されたが、戦後はもとの引込線に戻り、今は本村公園という名の遊歩道になっている。この遊歩道を左に進む。

 本村公園はすぐ終わりとなるが、その先、武蔵境駅方向に道が続いている。この道を進み、信号を左にJRのガードを潜る。右に行けば武蔵境駅だが、直進して杵築大社の前に出る。参拝を終えて今回の七福神めぐりは無事終了。境内には明治時代に築かれた富士塚もあるが、今回はパス。この分なら、明るいうちに帰れそうだ。

コメント