夢七雑録

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武蔵野三十三観音めぐり・その3

2021-03-24 18:13:29 | 寺社巡拝

【秋津駅から西武園駅・7番札所~8番札所】

 <コース>

秋津駅―梅岩寺―7番徳蔵寺―北山公園―正福寺―狭山公園―8番円乗院―多摩湖―西武園駅:11km。

(1)第7番 徳蔵寺(東京都東村山市諏訪町1-26)

秋津駅を南口に出て武蔵野線の上を渡り左へ。それから、秋津神社の前を右に秋津公園の上を通るようにして柳瀬川に出る。川沿いに戻るように歩き、右へ住宅地の中を行くと、よもぎ橋の上流で柳瀬川に流入している沢ノ堀に出る。その水路の上には蓋がされていて歩けるようになっている。この道を進んで旧所沢街道を渡り、その先で所沢街道に出て左へ、交差点を右に府中街道を進む。右側には梅岩寺が見えてくる。

久米川辻の交差点に出て、ここを右に行き西武新宿線を渡ると、その先に第7番札所の徳蔵寺がある。寺の本尊は白衣観音で、札所の本尊でもある。徳蔵寺には、新田義貞が鎌倉攻めをした時に戦死した3人の名が記された板碑、元弘の碑が保存されており、重要文化財に指定されている。「武蔵野話」の久米村八国山将軍塚の図によると、この板碑はもともと将軍塚近くの八国山の中腹に置かれていたようである。

上野国と下野国から武蔵国国府(府中)に出る官道、東山道武蔵路は、将軍塚近くを経て、徳蔵寺の西側を通っていた。中世になると東山道武蔵路は衰退し、それに代わった鎌倉街道(上道)が、徳蔵寺の北方を東に、そのあと西武新宿線に近いルートで南に向かっていた。徳蔵寺の東側、鎌倉街道沿いには、中世になって久米川宿が設けられた。

徳蔵寺の住職が昭和6年に書いた徳蔵寺周辺の地図には、悲田所位置が記されている。悲田処(悲田所)とは旅人の救護施設のことで、続日本後紀の天長10年(833)の記事に、武蔵国では旅行者が飢えや病に苦しまぬように多摩と入間の郡界に悲田処を置いたとある。悲田処は武蔵国の施設であり、後に朝廷が費用を負担してもいるようなので、悲田処は、官道である東山道武蔵路に対して置かれたと考えられる。悲田処跡地については諸説あるようだが、何れも確かな証拠は無いようである。

 

(2)第8番 円乗院(東京都東大和市狭山3-1354)

徳蔵寺を出て右へ、前川を渡って先に行き北川に出る。北川は柳瀬川の支流であり前川は北川の支流である。北川に沿って左に行き、八国山通りに出て左へ、踏切を渡って正福寺通りを右に行き、道標によって北山公園に行く。この公園は菖蒲の名所で、新東京百景の一つになっており、当ブログでも公園・庭園めぐりの一つとして取り上げたことがある。

一休みした後、正福寺通りに戻って右へ。その先を左に、さらに右に入って国宝の正福寺地蔵堂に立ち寄る。そのあと、正福寺の南側の通り(正福寺通り)を西に向かうと、途中から宅部通りになり、多摩湖線の下を潜れば狭山公園に出る。なお、平成9年に歩いた時は、途中で左に行き雑木林(緑地保護区域)沿いに歩いて宅部通りに出ている。

狭山公園に入って、北川の上流部と、溜池であった宅部池(たっちゃん池)を眺めながら公園内を散策し、南門から外に出る。多摩湖道路を横断して、その先のバス通りを右に行く。狭山公民館入口の交差点を過ぎ、その先の横断歩道を渡って円乗院に向かう。この寺が現在地に建てられたのは慶長の頃で、きりもみ不動を本尊としたという。現在の札所本尊は如意輪観音である。

円乗院を出て狭山神社を左に見て上がり、右に下って前川を渡り、広い道を上がれば多摩湖に出る。展望を楽しみながら堰堤を歩き、西武遊園地に沿って東に行くと西武園駅に出る。この駅が今回のコースの着地であり、次回の発地となる。

 

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武蔵野三十三観音めぐり・その2

2021-03-15 18:57:17 | 寺社巡拝

【ひばりが丘駅から秋津駅・5番、6番札所】

ひばりが丘駅から5番、6番の札所を経て秋津駅に行くには、一日で回れるコースが設定できそうだが、平成9年に歩いた時は遠回りをしたため、二日で回るコースとなった。

<コース1>

ひばりが丘駅―たての緑道―竹林公園―落合川―5番多聞寺―南沢遊水地―落合川・黒目川合流点―小山台緑地―清瀬駅:8km。

<コース2>

清瀬駅―志木街道―6番全龍寺―清瀬市役所―柳瀬川―清瀬金山緑地公園―空堀川―中里緑地―秋津駅:6km。

 

(1)第5番 多聞寺(東京都東久留米市本町4-13)

ひばりが丘駅を出て学園通りを進み、左に折れて、たての緑道に行く。たての緑道は、戦時中に武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)の東久留米駅から、ひばりが丘団地の付近にあった中島航空金属田無製造所へ、軍用機エンジンの鋳型用材料や燃料を運んだ東久留米駅構外線の跡地で、現在は送電線の下の遊歩道になっている。この道を北に向かって歩き、途中で下りて竹林公園に行く。園内の小径をたどって、湧水を見に行き、それからベンチに戻る。竹林公園の内側は竹林によって外界から隔離されている。疲れた体と心を休ませるには良さそうな場所だが、今日はまだ先があるので、ゆっくり休んではいられない。

竹林公園から外に出て竹林公園通りを歩き、落合川に出て老松橋を渡る。それから清冽な川に沿って左に行き、多聞寺通りを経て多聞寺に行く。嘉永年間に建てられた山門をくぐると、正面に本堂。本尊は毘沙門天で、観音めぐりの札所本尊は十一面観音である。

札所本尊の参拝は終えたが、今日はもう少し落合川を歩きたい。それにしても、この川の水は澄んでいる。大量の湧水が流れ込んでいるからだろうか。とりあえず、湧水の多い南沢湧水地まで足をのばし、それから、落合川の右岸を下流へと向かう。西武池袋線の下を潜って、さらに先へ先へと歩きたい気分だが、それも黒目川との合流点が区切りで、今度は左へ黒目川を遡る。西武池袋線の下を潜り、下田橋という人道橋でようやく川と別れ、北側の小山台遺跡公園に上がる。それから、小山通りに出て野火止橋を渡り、先に進んで清瀬駅に着く。

 

(2)第6番 全龍寺(東京都清瀬市中清戸1-524)

清瀬駅の北口から駅前の通りを行き、志木街道に出て右に行く。けやき並木の道をしばらく行くと左側に水天宮が見えてくる。その先を右に入ると、第6番札所の全龍寺がある。全龍寺の本尊は釈迦如来で、札所の本尊は一葉観音になっている。この日の札所めぐりは、これにて終了。後は秋津駅まで歩いて行くだけである。ただ、志木街道を通って秋津駅まで行くのでは物足りないので、志木街道を右に行き、次の交差点を左に市役所通りを進み、柳瀬川通りに出て左へ。次の交差点を右に行って、柳瀬川を金山橋で渡ると清瀬金山緑地公園に出る。ここを右に行けば金山調節池があり、バードウッチングが楽しめそうだが、それは次の機会にして公園内で小休止。

そのあと、園内の雑木林を抜け柳瀬川の遊歩道を歩く。清瀬橋の手前で右に小金井街道を渡り、新柳瀬橋で柳瀬川を渡って左へ、空堀川に架かる境橋に出る。境橋は渡らずに空堀川沿いに進み、くるまや橋の次の石田橋を渡る。石田橋の上流側には、左からせせらぎ公園の流れが合流してくるが、その流路は昭和の終り頃まで空堀川が流れていた所で、当時の柳瀬川との合流点は、清瀬橋に近い位置にあった。その後、空堀川の合流点は少し上流の、現在の境橋の下流の位置に移された。最近になって、合流点はさらに上流の、くるまや橋と石田橋の中ほどに移され、柳瀬川から新合流点の間に新たな水路が設けられたという。そして、この新たな水路から、それ以前の合流点までの間は新柳瀬川と称されるようになったらしい。石田橋から先、左手に中里緑地を眺めながら歩く。三郷橋、梅坂橋を過ぎて、薬師橋に来る。ここで、橋を渡って西に行き秋津駅に出る。次回の出発地となる駅である。

 

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武蔵野三十三観音めぐり・その1

2021-03-08 18:53:05 | 寺社巡拝

武蔵野三十三観音霊場は、昭和15年に考古学者の柴田常恵氏が中心となって制定したもので、番外として霊巖寺を加え34の観音の寺から成っている。当時は多くの信者が、これらの寺を巡拝したとされているが、戦中から戦後にかけて一時荒廃し、忘れ去られていたらしい。その後、昭和45年に古寺巡礼の中で紹介されてから次第に知られるようになり、平成6年に練馬高野台駅が開設されてからは西武鉄道も宣伝に努めるようになった。西武鉄道では武蔵野三十三観音霊場めぐりのリーフレットを作成したが、それには各札所の所在地が記載されていたので、歩いて巡るコースを考えてみようと思った。ただ、巡拝の全行程が100kmを越えていたため、鉄道の駅を起終点とする複数のコースに分割する事にした。このコースを歩いたのは平成9年(1997)のことで、当初は1番の札所から33番の札所まで一筆書きのように歩く積りだったが、結果的には鉄道でつなぐ区間も含むことになった。その当時の資料が今も残っていたので、今回、その資料と記憶を頼りに、今と昔の地図を見比べながら、武蔵野三十三観音めぐりとして投稿することにした。

 

【練馬高野台駅からひばりが丘駅・1番~4番札所】

<コース>

練馬高野台駅―1番長命寺―石神井川―石神井公園―2番道場寺―3番三宝寺―三宝寺池―牧野記念庭園―大泉井頭公園―文理台公園―4番如意輪寺―ひばりが丘駅

:11km。

(1)東高野山長命寺(東京都練馬区高野台3-10)

練馬高野台駅は、武蔵野三十三観音の第一番札所・長命寺の下車駅でもある。この駅が開業する以前は、最寄り駅は石神井公園駅であったから、ずいぶん便利になった。長命寺の奥之院は高野山を摸して建てられていたため東高野と呼ばれ、江戸の人々の信仰を集めた寺でもあったという。江戸の人々は一日に40kmぐらいは歩いたので、長命寺は日帰り圏ではあったが、頼めば泊めてもくれたらしい。

駅を北側に出て、笹目通りを北に行き、次の信号で左に行くとすぐに長命寺の前に出る。寺の表門に相当する南大門には広目天と増長天の像が身構えている。どちらの像も、膨らみのある体躯に不釣り合いな大きい顔が付いていて、切って貼ったような目を見開いている。どこかユーモラスな像だが、時を経るに従い厳しい顔つきになっていくのだろう。門の裏側には多聞天と持国天、合わせて四天王が南大門を守護する構えである。

 門を入ると正面に本堂。先に進んで本堂に一礼。それから、観音堂に移って何がしかの賽銭を入れる。武蔵野33観音巡りのスタートとあって、少々長めに参拝。札所本尊の十一面観世音菩薩像の姿は覚えていないが、こちらの願いは届いているのだろう。それから、石橋を渡って奥の院の道を御影堂まで行く。閻魔には近づかず、井戸は覗かずに寺の外へ。

笹目通りに戻って南に行き石神井川に出る。川沿いの遊歩道、和田堀緑道、そして石神井公園。歩きなれた散歩道である。ボートの間をすり抜けてくるカルガモ、どこからか聞こえてくるカイツブリの鳴き声、石神井池沿いの、いつもの道を、いつものように歩く。

 

(2) 道場寺(東京都練馬区石神井台1-16)

井草通りを渡る。三宝寺池は後回しにして左へ、次の角を右に入り、石神井城址の手前の三叉路を左に折れる。雰囲気の良い道である。左側は道場寺で塀の上には三重塔が姿を見せている。道の先は旧早稲田通りで、道場寺の塀の角には地蔵尊が祀られている。旧早稲田通りの南側には柵のある歩道がある。しかし、北側には歩道らしきものが無い。地蔵尊にちょっと頭を下げてから、左手の道場寺の入口に向かって、塀沿いに歩く。車に注意しながら。

道場寺の開創は天平の頃と言うが確かなことは分からない。石神井を本拠地とした豊島氏が応安の頃に菩提寺として建立したというが、多分そうなのだろう。山門を入るとすぐ左手に総欅造りの三重塔。内部を公開することもあるらしいのだが、今は閉じて何も見えない。

山門から正面に見えるのが本堂で、堂内には釈迦如来を中心に薬師如来と聖観音を脇侍とする釈迦三尊が安置されているという。本堂の前で拝めば、札所本尊の聖観音に届くのだろう。三十三カ所+一カ所の札所を無事に回れることを、今は祈るだけ。

 

(3)第3番 三宝寺(東京都練馬区石神井台1-15)

道場寺を出て車に注意しながら進み、文政10年に建てられた御成門から三宝寺に入る。家光が鷹狩の途中で立ち寄ったのが名の由来で、梵鐘や2件の板碑とともに三宝寺の文化財になっている。まずは本堂で拝礼。三宝寺の本尊は不動明王だが、三十三観音の札所の本尊は如意輪観音になっている。本堂から左に行く。建てられたばかりの根本大塔には五色の幕がかけられていた。ただ、平成9年に歩いた時には、平和大観音がどうだったか、観音堂があったかどうかは、記憶が定かでない。

境内を一通り巡ってから外に出る。旧早稲田通りを少し歩き、氷川神社の参道に入って、神社の前を左に行き、その先で石神井公園に入る道をたどり、三宝寺池の前に出る。池を半周して西側に上がり日銀の運動場(現在は石神井松の風文化公園)の横を北に行き、富士街道を渡って北に進み、学芸大の敷地に沿って北から西に向かい、学芸大通りを渡る。疲れたら、ここを北に行けば大泉学園駅に出られる。

 

(4)第4番 如意輪寺(東京都西東京市泉町2-15)

 

学芸大通りを渡って牧野記念庭園に出る。その先、大泉二中の裏を抜け、大泉南小を通り、白百合遊園を過ぎて、右折し左折すると白子川に出る。左に行くと大泉井頭公園。公園の先、白子川が暗渠に変わる所から右へ行く。大泉二小の角を右折して300m程先を左に入る。畑の残る道を歩いて、かえで通りに出て左に、その先を右に、田園教場と明保中との間の道を歩いて文理大公園に出る。ここらで小休止ということに。

文理大公園を出て中町の交差点を左へ行き、保谷市役所前の交差点を渡って、西に行く道に入り、畑の残っている道を歩く。北原や谷戸を源流とし、如意輪寺沿いに流れていた新川は、この道に沿って流れており、保谷市役所近くを経て東南に流れていた。この道を先に進むと泉小があり、歩道橋を渡れば、如意輪寺の前に出る。

この辺り今は、平成9年に歩いた時とは変わってしまっている。平成13年、保谷市と田無市は合併して西東京市となり、保谷市役所は西東京市役所保谷庁舎となり、平成15年には伏見通りが、保谷庁舎付近から先に伸びて北町まで開通する。現在、如意輪寺に行くには、中町の交差点を左へ行き、保谷庁舎前の交差点を渡って右に、次の角を左に入ることになる。

如意輪寺は、ロウバイ、ウメ、サクラなど花の多い寺として知られている。花に負けず劣らず目立っている山門をくぐって、本堂で本尊の大日如来に拝礼。そのあと、札所本尊の如意輪観音が安置されている観音堂に詣でる。ここの観音は保谷観音とも呼ばれていたらしい。

如意輪寺を出て北に向かい、横山道という古道との交差点を左に入り、尉殿神社の参道を歩き、社前の道を左に東禅寺の裏手を右に折れて、畑の残る道を北に進み、その先を線路に沿って左に行けばひばりが丘駅に出る。この駅は、次のコースの起点でもある。

 

 

 

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