夢七雑録

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47.1 遅野井村八幡宮参詣 善福寺池 妙正寺池

2009-07-24 20:30:00 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 天保三年五月九日(1832年6月7日)、午前10時に三番町の家を出て、中野の法泉寺(宝仙寺。中野区中央2)の大師に詣でる。嘉陵は大師八十八箇所詣でをしようと思い、最初に、この寺を選んだと記している。ところで、高田村天満宮詣の記の頭書に、壬辰(天保三年)五月九日遊行富士見の茶屋、云々とあるので、この日は富士見茶屋(跡地は学習院内。豊島区目白1)に立ち寄った事になる。経路は記されていないが、三番町から高田馬場を経て面影橋を渡り、富士見茶屋に立ち寄ったあと、薬王院前を過ぎて西橋を渡り、小滝橋の近くに出て、御成山の麓を南に行き、法泉寺に出たのではなかろうか。

 ここから青梅街道を行き、鍋屋横丁から堀の内に行くのは熟知の道である。妙法寺を参詣したあと西に行き、谷の窪への道を分け、稲荷の祠を過ぎて馬道に出る。五日市街道と思われる。その四辻を北へ行くと青梅街道の馬橋である。さらに西に行くと阿佐ヶ谷で、ここで食事をとる。そのさき、天の沼村の八丁(杉並区天沼3)を通り、12時過ぎに遅野井に着く。馬橋からの道筋は民家が少なく、貧しい村が続いていると記している。

 嘉陵はここで遅野井八幡宮(図。井草八幡宮。杉並区善福寺1)を参詣している。現在の井草八幡宮からは想像しにくいが、社は茅葺で簡素な造り、宮主の住まいも人が住んでいるとは思えぬほどだったという。このあと、善福寺池(杉並区善福寺3)に行く。地元の人の話では、此処にあった善福寺、万福寺が廃寺になり、その跡地にある池なので善福寺池ということであった。池は一面に葦が生えていて、水面が僅かに見えるだけ。池の東縁にある弁財天の祠も分け入る事が出来ないため、遠くから手を合わせて立ち去っている。また、この辺り、民家は困窮しているようで、無住の寺も二ヶ所あったと記している。当時の善福寺池は、下から水が湧き上がって葦も浮き根になるほどであったが、現在は、地下水をくみ上げて池の水を確保しているという事である。周辺は公園として整備され、冬には水鳥も多く飛来する。嘉陵が行くことが出来なかった弁財天も、池の西北の小島に市杵島神社として残っている。


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